湯ノ島小屋(湯の島小屋)



 一度しか利用していないのに、思い出深い山小屋です。
 泊ったのは1974年8月。
 磐越線・日出谷駅(新潟県)側からの入山でした。
 長い林道の終点から、ブナ林の中の沢沿いの登山道を、2度、3度と、枝沢の 崩壊地帯をやりすごして、進みました。踏み跡は、ときに、途切れがちになりま した。
 ようやく着いたのは、これまた深いブナの林。薄暗い森の中には、あちこちに テントを張れる広場があり、その一段高い位置に、朽ちかけたような湯ノ島小屋 がありました。

 内部は暗く、土間と、板敷きの床がありました。板はあちこち腐食して、虫が 出てきそう。蚊も多かったので、私たちは内部にツェルトを張って、その中にも ぐりこみました。岩魚釣りなどにも利用されている小屋のようで、焚火をすれ ば、虫除けになったのかもしれません。
 そのかわり、小屋の裏手には、沢水を引いた冷たい上等の水場がありました。

 私たちは、戸を開け放って眠りました。翌朝、暗いうちに目を覚ますと、小屋 の前のブナ林が次第に明るみを増し、梢から見透かす空には雲がありませんでし た。
 急いで身づくろいをして出発したのは良かったのですが、以前の増水か雪崩か で、渡渉する2つの沢にはどちらも橋が消失し、とくに2つめのアシ沢は怖いと ころで、朝一番から肝を冷やすことになりました。
 そして、オンベ松尾根に取付いてからが、この日の本当の苦労の始まりでした。

◆「磐梯朝日国立公園 飯豊連峰大地図 71」
(1971年、新潟県発行、藤島玄)
 日出谷駅からハイヤーで、実川の先、前川堰堤まで行けるから便利になった。こ の道も昔は飯豊信仰の登拝路であったが、荒廃したのを戦後に復活したのである。  前川堰堤から登山道は細くなるが、前川の右岸沿いで岐路はない。段丘のブナ林 を縫いつつ、大小の支沢を横断して行くと、箱ノ沢の迂回路から岩壁のからみとな るが短い。大崩壊で広くなったトチ沢を渡ると、今夜の泊り場の湯ノ島小屋だ。
 湯ノ島小屋は、五万分地図の温泉印はあるが(埋没して)温浴のできない湯ノ島の段丘より一 沢手前のブナ林にあり、水に近い静寂境で、センノウノ大島が地名である。
 登山道は小屋前からヨシワラ沢、次にアシ沢の橋を渡る。間もなく頂稜を行くの がオンベ松尾根の次郎新道だ。

◆野原森夫のサイトから
飯豊連峰縦走 大日岳から 門内岳(1974年8月3日〜7日)
http://homepage2.nifty.com/kinokoyama/touhoku/iide1974.8.htm
 8月3日朝、福島を発って、郡山、会津若松、喜多方と国鉄を乗り継いで、昼に新 潟県側の日出谷駅に着く。小さな町で商店が5〜6軒あり、駅前の旅館でタクシー (中型しかなかった)をチャーターした。

 実川に沿った細い車道は、すぐに砂利道になる。車は、山肌にへばりつくように 奥へと延びる悪路を、箱の沢の出合いまで入った。昼食をとって、登山開始(13 時25分)。

 林道をしばらくすすむと、終点の広場があり、ここから登山道となる。実川沿いに ぐんぐん高度をあげ、足場も悪く、始めから汗をかかされる。左から荒れた沢が土石 流跡のようになって合流してくる場所では、ルートが断ち切られ、とまどわされる。 ゆるい登りになると、ブナ林があらわれ、静かな林に囲まれた湯ノ島小屋に着いた。

 小屋はかなり古く、中は薄暗い。虫がはいだしてきそうな感じ。小屋の前の広場は 幕営場になっていて、先着の学生のパーティーが夕食の支度をしていた。小屋のすぐ 裏に水場があることを、おしえてもらう。
 蚊が多くて、夜は小屋の中にかまぼこ型のツェルトを張って、その中でシュラフ にもぐりこんだ。いい感じに疲れていたので、熟睡できた。

 4日。4時に起床し、急いで朝食つくりに励んでいたら、まだ薄暗いのに、幕営 していたパーティーがヘッドランプ姿で発って行った。どこかの大学のワンゲル部 なのか、かけ声が勇ましい。けれども、こういう場面で後に残されるのは気があせ る。なにしろ今日は、高度差1500メートルを一気に登り、飯豊の最高峰・大日岳 に登ったあと、主脈の縦走にかかる長丁場だ。荷づくりにも手まどって、5時50 分の出発となった。

 オンベ松尾根ルートとよばれるこのコースは、登り始めに二つの沢の渡渉があ る。最初のは楽だったが、二番めは、いやな沢だった。遭難者の碑をすぎて、その 沢に出ると、両岸は岩に囲まれている。沢幅は1・5メートルばかりだが、「とい 状」の岩の間を水がものすごい勢いで流れ下っていて、その数メートル先で流れは 落下し、淵が渦をまいている。水流を飛び越え、うまく対岸の岩場に着地しない と、体ごと深い淵に引き込まれるだろう。その下も、きっと滝か淵だ。幅はこんな に狭い沢なのに、失敗すれば体を濡らすくらいではおいつかない、悲惨な結果にな りそう。まずザックを対岸にエイッと放り投げる。意を決して、ジャンプ一発。 やった。緊張感がすっと引き、体から力が抜ける。わずかでも増水すれば、着地点の 岩場も水に洗われるに違いない。この沢は、増水したら、とても越えられそうにない。

◆現況
○湯ノ島小屋は、70年代以降、2004年現在までに、2ないし3度、建て替えら れた。位置が以前と同じかどうか、写真からは確認できないが、おそらく、「2代 目」以降は位置が変えられていると思う。また、あの老朽化した70年代の湯ノ島 小屋が、「2代目」の完成(96年)まで残っていたとも思えない。一時、倒壊し たまま放置されたか、この期間に元の場所で別の建て替えがあったかもしれない。

○90年代には、電力会社がアシ沢合流点直下の実川に取水口を設けるため、林道 を開設したあと、1996年に、オウデ沢右岸に「2代目」の湯ノ島小屋が建設され た。
 ところが、その96年の冬に小屋は雪崩にあい、1階部分が完全に倒壊し、流さ れ、2階部分が飛ばされるなど、壊滅的な被害を受けた。この雪崩は、「新しい避 難小屋の2階が33m意外な方向へ飛ばされた」と学会で報告されたほど、独特で破 壊力に富む雪崩だった。
(1997年度日本雪氷学会全国大会 http://avalanche.shinshu-u.ac.jp/book2.html)
 1997年、流された一階部分を撤去し、飛ばされた2階部分を元の位置に仮復旧 する工事が完了した。小屋に併設されていたトイレも修復された。

○2000年時点では、仮復旧ではなく、2階建てに立て直された湯ノ島小屋が、 種々のサイトに紹介されている。「3代目」。

○飯豊朝日登山者情報のサイト  登山者情報582号の2
(2001年9月下旬の記録)
 http://www.iideasahi.jp/582a2.htm
 雪崩にあった湯ノ島小屋は、90年代末に再建された模様。舗装された林道が延び、 小屋の周囲は激変している。アシ沢の、いったん沢床の岩場に下りてジャンプする難所 も、頭上高い位置に吊橋がかけられている。

○飯豊連峰 オンベ松尾根から大日岳(2000年7月20日〜21日)
http://gamou.hp.infoseek.co.jp/yamadata/120720/120720.html
小屋の新しい写真あり。
「この小屋は雪崩で崩壊し、仮設の小屋が建っていると聞いていたが、最近新しく改築 されており、道路から奥まったブナ林の中にひっそりと建つ木造の小屋が予想外に美し く、目を見張る思いだった。」

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 1970年代の湯の島小屋(湯ノ島小屋)の貴重な写真を、栃木県の早瀬洋さ んが、ブログに掲載しています。こちら を、ごらんください。
http://blogs.yahoo.co.jp/nightlyrains/40397625.html

 1977年夏の記録ですので、おそらく、私たちが1974年に泊まったのと同じ 建物と思われます。
 写真を見て、「そうだった、石垣で壁を造っていたんだ」と思い出しました。石積 みの壁で覆っているのは、やはりこの場所が雪崩と豪雪の場所だからだと思います。

 早瀬さん、貴重な写真のご紹介、ありがとうございます。
 若き日の飯豊連峰の縦走が、ずっと記憶に残っているという登山者は、多いので しょうね。
           (2006年8月21日)



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東京都あきる野市  野原森夫



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