|
◆古いガイドブックの記述から 枡形屋 遠藤金太郎 滑川からさらに1時間ほど東大巓に向かって歩くと、三方から絶壁
が迫って、南画にも出てきそうな深山幽谷の温泉、標高1300メー
トルの姥湯が現れる。宿は1軒のみで山小屋同然の粗末なものだが、
環境がすばらしい。宿の前は大日沢の急流で丸太橋がかかり、その先
には赤褐色と灰色の荒々しい岩峰が立ちはだかり、岩場にはカモシカ
が姿を現したりする。……湯は200メートルほど上流の対岸の源泉
から、丸太をくりぬいた木管で引いている。53度の硫化水素をふく
んだ酸性緑ばん泉は、木管に入りきれないで大日沢にどんどん流れ出
している。
滑川温泉をすぎ、姥湯に向かう道(1972年3月、野原撮影) ◆1970年年代前半の、姥湯の様子(野原森夫のメモ、写真も)
1972年8月の姥湯。沢を渡る橋は、丸太を束ね、 板をのせた、幅が狭いものだった(野原撮影) 1970年代前半は、姥湯は米を持参して湯治形式で泊まる宿で、収
容は10人余り。宿泊代金は数百円だった。 70年代から80年代前半期には、姥湯の露天風呂は、いまよりも少し宿 に近い位置にあり、沢の流れの脇にあった。増水ですぐ沢水に呑まれる位 置。大きさ直径3メートル弱しかなかった。登山道がすぐ2メートル上を 通っていて、脱衣所も何もなく、丸見え。おまけに、温泉の湯は、今と 違って透明度が高く、入るのには勇気がいるところだった。今の露天風呂 の湯の色が不透明で混濁しているのは、湯の引き方、空気との混じりあいの 違いか? 源泉の位置が微妙にかわったのか? 内湯の方は、やや不透明 だったようにも記憶している。 当時は、登山者の行き来がけっこう多かった。姥湯から、崖状の源泉地帯 を登って、鎖場で尾根に上がり、県境稜線の兵子(ヒョッコ)へ行くルート は、浄土平や高湯温泉方面をつなぐ登下降によく使われていた。日帰りのメ インルートの一つだった。 稜線の兵子から姥湯へ下降してくるのは、変化とスリルのある道だった。
兵子から、最初はネマガリダケの密生地のトンネルの中を下り、鎖場のある
崖の上端に出る。目の前に幽玄な三階滝が眺められ、6月にはアヅマシャク
ナゲの咲く崖を下降する。 私の場合は、1990年の5月、両親と私の家族4人の計6人で、姥湯に
行ったのがいちばん最近の訪問になる。このときの姥湯は、建物が以前の2倍
ほどに増改築され、概観は大きく変わっていたが、内部は古い木作りの名残が
残り、タタミ2畳くらいの広さの気もちの良い内風呂があった。 70年代、最初に訪問したころの姥湯を思い起こすと、そこまでの道程
も、行き来する登山者や湯治の人々らも、そしてひっそりとした姥湯の建
物のたたずまいも、すべてが素朴そのものの時代だった。 姥湯温泉HP http://www.mountaintrad.co.jp/yamagata/uby/masugata/data.html 露天風呂は http://www.ycci.or.jp/kanko/tanbo/00048.html ◆野原森夫の関連山行記録 滑川鉱山と姥湯の露天風呂(未掲載) 父と山へ この山小屋についての情報・思い出をお寄せください。 山の便りBBS 交流と情報交換の掲示板 思い出の山小屋 表紙へ 情報・思い出・リンクのご連絡のメールは、 こちらへ 「山の便り、大地の恵み」 http://trace.kinokoyama.net/ |