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私、野原が参加している「山の展望と地図のフォーラム」(FYAMAP)の交流会議室
で、同メンバーの町田尚夫さんと、WARABIさんとから、1970年代、80年代、90年代
の梅花皮小屋のたいへん貴重な写真の、紹介がありました。
1979年7月、WARABIさんが飯豊縦走の際に、北股岳を背景 にして撮影。野原もこの小屋に、1971年、74年にお世話になった。 無人の避難小屋で、木造・平屋建て。小屋の写真の右側のでっぱりはトイレになっていた。 1971年時点で、すでにこの小屋は老朽化が始まっていたため、 この初代?梅花皮小屋は1960年代 の建設と思われる。 写真左手、斜め手前に緩やかに下る踏み跡は、水場への道
1980年7月、WARABIさん撮影。北股岳から十文字鞍部への下降の途中から。 梅花皮小屋は、新たに建て替えられ、2階建てとなり、床面積も大きくなった。
1990年8月、町田尚夫氏撮影。 同じく、北股岳から十文字鞍部への下降の途中から。 前方はカイラギ岳、右手後方に烏帽子岳。 町田氏撮影の飯豊の花の写真もセットで紹介します
同じく1990年8月、町田尚夫氏撮影。 1980年に建て替えられた梅花皮小屋と、外観はよく似ているが、 WARABIさんの写真とくらべると、手前側(北股岳側)の壁の右上の窓がなくなっている。 建て替えられたか、あるいは壁の改修がなされたためと推測される 私(野原)は、この小屋には、2度、お世話になった。 2度目は、1974年の夏。湯ノ島小屋から大日岳、御西岳と経由して、梅花
皮小屋に着いたところで土砂降りとなり、小屋の軒下で雨宿りした。小屋は小
さく、20人弱が休んでいて満員だった。 十文字鞍部は風の通り道だ。平屋建てで、木が灰色に風化し、床も傷んでいた 梅花皮小屋は、その後、1ないし2回建て替えられて、いまはしっかりしたト イレを併設した立派な小屋になっている模様だ。 1977年当時のカイラギ小屋の写真を、栃木県の早瀬洋さんが、ブログに
掲載しています。 早瀬さん、貴重な写真のご紹介、ありがとうございます。 ◆70年代のガイドブックから ◆藤島玄「二王子岳より飯豊本山」(1932年)から ◆野原森夫のサイトから 中の島の登山道は、花でおおわれている。それはいいけれど、すごくきつい 登りで、この場所を両側からはさみこむ雪渓も、源頭だけにすごい傾斜だ。稜 線は霧に包まれていて、登っていくうちに視界が閉ざされた。鞍部のカイラギ 小屋までどのくらいあるのか、見当がつかない。すっかりバテて、途中の小沢 で大休止、昼食にする。霧はますます濃くなってくるようだ。北股岳東面のす ばらしい岩壁が隠れてしまった。 40分ものびてから、再び登る。ようやく鞍部のすぐ下まで登ってきたが、 ここにはテントが5張りほど張れる幕営地があって、残雪のそばでなかなかい いところ(実は小屋側からの落石が危険)。どこかの会社の山岳部が大勢で昼 食の最中だった。ガスで見えないが、上の鞍部にはかなり人がいるらしい。声 がひっきりなしに聞こえてくる。雪渓もすっかりガスの中に隠れてしまった。 テント場から4時間20分、出合いからは正味3時間半かかって、鞍部の カイラギ小屋に着く。小屋の近くでは、テントが10張り近く立っていて、 大きなパーティーも幕営中だった。木造の小屋は10人入れればいい方とい うくらいの小ささで、それに汚くて臭う。10分ほど休んだだけで出発。 (10時20分)梅花皮岳へのジグザグの登り。稜線上に出たためか急に風向きが変わっ て、新潟県側から強く吹きつけてくる風が、山形県側には濃い霧をつくって いる。新潟県側は見通しがよく、谷はやはり鋭く落ち込み、雪渓を幾状も吸 い込んでいる。振り返ると、北股岳(2025メートル)は連峰で一番の鋭 峰というだけあって、毅然とそびえていて、なかなかいい。 ◆野原森夫のサイトから(その2) 烏帽子岳、カイラギ岳を越して、カイラギ小屋につくと(14時10分)、 小さな避難小屋は満員だった。しかたなく門内小屋へと向かおうとしたら、 突然、ザーッと激しい雨が降り出した。これは大変と、カマボコ型ツェルト を設営しようと広げ始めたら、土砂降りとなって、どうしようもなくなる。 小屋の軒下に退散して、水煙を巻き上げて降る雨を二人で茫然と見守る。 ぐっしょり濡れた体が気持ち悪い。 雨はしばらくで小降りに変わった。ツェルトを張り、フライシートがわり にポンチョでおおって、安住の空間をつくった。中で、今日も快調のホェーブス ・コンロをたき、着替えにかかる。暖かくて、濡れたものもどんどん乾かすこ とができた。 夕方、天気図をつくり、低気圧と前線の影響がいぜん残るため、杁差岳まで の縦走はあきらめることにする。 6日。今日は北股岳(2023メートル)から門内岳(1880メートル) へと縦走し、適当な尾根を下降する。天気が不安定らしいので、下降ルートと 目した梶川尾根の分岐までは、急ごうと思う。 ツェルトの脇1・5メートルほどのところから下は、石コロビ沢源頭の灌木 と草付の斜面となっている。ツェルトをたたみかけたところで、稜線の東側の ガスが晴れ、石コロビ沢の源頭部が姿を現した。両岸の岩の壁、ころがり落ち るような雪の斜面が、目に入る。真下に落ち込むような高度感。大雪渓の上端 部分は源頭部で、大きく三方へひろがっている。その雪渓をとり囲む灰色の岩 壁。北アルプスの剣沢雪渓、針ノ木沢雪渓、白馬岳の大雪渓―――日本三大雪 渓とよばれるこの3つの雪渓に、長さ(3キロメートル)でも、高度差 (1000メートル)でも、一歩も引けをとらぬ、石コロビ沢の大雪渓。その 雪の斜面は、屈曲して下部のガスの中へ消えていた。「東北アルプス」の名が 似つかわしい飯豊の姿がそこにあった。 ヤッケを身につけ、ポンチョもすぐとりだせるようにショイコにとりつけ て、出発する。最初は、飯豊連峰屈指の鋭峰・北股岳の登り。ガスがまた出て きた。風も強い。頂上を越えて、下りの崩壊した箇所は、吾妻君と手をつない ですすんだ。 なだらかなピークをいくつか越して、これまたゆったりした山容の門内岳を すぎると、船型(二重山稜)地形のようなくぼ地にテント場があり、3パー ティーがテントを張ったまま雨宿りで沈澱していた。(門内池) 3年前、石コロビ沢雪渓を登りながら、源頭部の雪田が扇を広げたように、優 美な姿を見せている「扇の地紙」に、なんていい名前だと感心させられた。その 扇の地紙は、稜線を歩いてみるとただのっぺりしているだけの草原で、下から 見たときの印象とは、まるで別ものだった。道がぬかるむようになると、おな じくのっぺりとした、梶川尾根の草原となる(11時30分すぎ)。分岐で は、飯豊の北の峻峰・杁差岳への思いが残って、一瞬、足を止めたが、「いつ か、もっといい天気のときに」と心をきめて、梶川尾根の下降に入った。 ◆梅花皮小屋の現況 この山小屋についての情報・思い出をお寄せください。 山の便りBBS 交流と情報交換の掲示板 思い出の山小屋 表紙へ 情報・思い出・リンクのご連絡のメールは、 こちらへ 「山の便り、大地の恵み」 http://trace.kinokoyama.net/ |