吾妻小舎




 すみません。私は何度も小屋の附近まで行っていながら、一度もまだ訪 問せずに現在に至っています。
 今度、混まない時期に、ぜひ、泊りに行かせてください。

◆開設
 吾妻小舎は、1934年に「国鉄山の家」として開設された。
 同小舎のサイトによると、「1934(昭和9年)8月1日の開業で、仙台鉄道局が2,800円で建 築したものです。
吾妻小舎のサイト
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/mount/azuma/azuma.htm

『吾妻小舎史(大正12年〜平成8年)』(3)によれば、深田久弥 氏の宿泊した1939年の冬季宿泊料は50銭、休息料は15銭、夏季と冬季に分 け、小屋番が常駐していたようです」とのこと。

◆60年代のガイドブックの記述
 国鉄山の家  番人 藤本才城
 スカイライン開通前から吾妻に入っていたハイカーにとっては実になつか しい山小屋であり、吾妻の代表的小屋である。……昭和9年、仙台鉄道局の 建設になるもので、早いものでもう30年にもなるのだ。……探訪するハイ カーは小屋主のひげさんによくきくが良いだろう。尚、小屋東麓のぬる湯と 私設電話が通じている。
 収容60名 宿泊料2食付400円 宿泊のみ200円 休憩寮20円  スカイライン道路に出て進むと林の中に吾妻小舎があり、いつも変わら ぬ元気な「ひげさん」が小舎番をしている。
(「みちのくの山々」 太田 繁著、朋文堂ケルン新書20、1964年 6月刊から)

◆現況
現在の吾妻小舎は、4月下旬〜11月上旬の営業で、約40名収容。
冬期をふくめ利用するには、ぬる湯温泉(旅館二階堂)  024-591-3173  に連絡する。
吾妻小舎のサイト
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/mount/azuma/azuma.htm

◆この小屋にかかわる、山の文庫

○深田久弥  「五色から沼尻まで」 1939年1月6日
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/bunjin/19390106.htm
五色温泉→青木小屋→吾妻山荘→家形ヒュッテ→五色沼→一切経 山の肩→浄土平→吾妻小舎へ。
この記録の当時の小屋の事情は、家形ヒュッテのページを参照。

○新田次郎「山旅ノート」(1970年10月刊、山と渓谷社)の「ぬる湯温泉」から
 ※昭和29年(1954年)の記録。微温湯を、ぬる湯と表記している。
 ぬる湯は二階堂さんのご先祖が開いたものであったが、幕末の会津戦争のとばっちり を受けて、官軍の雑兵共が入りこみ、焼く必要もないこの山の温泉宿に火をかけたのだ そうだ。山峡に燃え上がる炎を見詰めながら、二階堂さんの祖父は涙を流したそうであ る。
 食事の後で、二階堂さんとぬる湯問答をやった。
「体温以下の湯につかっていても、身体の熱を奪われるだけで、進退があたたまるはず がない。長湯をすればするほど毒である」
 私はこれを率直にいった。…
 一時間もして、寝床に入ると、進退がぽかぽかして来た。妙なことがあるものだなと 思った…
 翌日は二階堂さんの案内で山へ入った。ツツジと五葉松の林を二十分も登ると、すば らしい眺望が開けた。
 山の方を見上げると、一切経山が肩をいからせていた。その肩のあたりに、白い噴煙 が見えた。そこから石ころ道、更に登ると、地底からの轟音が聞える。噴火口というよ うなものがないから、地球の一部の皮膚が破れて、そこから地球内部の精気を吐き出し ているといった感じであった。硫黄を採掘している人たちの姿が見える。
 一切経の頂に立つと強い風が吹いていた。
 帰途は五色沼により、不思議なほど青黒い沼の水を眺めて、夕刻ぬる湯に着いた。歩 きながら二階堂さんが、この辺一帯が、スキー場としていかにすばらしいかの話を聞か せてくれた。遭難者の話も聞いた。
 ぬる湯というところは自然を背景として生れ出た一つの桃源郷といえる。……滞在中 二階堂さんから、山の植物、動物のことをいろいろ聞いた。ひどく精通した人だと思っ たが、後で聞くと、農学士だそうである。くわしい筈だ。

○川崎精雄「吾妻連峰と磐梯山」(「雪山・薮山」1969年、名渓堂刊 所収)
 微温湯、浄土平、一切経山、五色沼、家形山、東大巓、西大巓、早稲沢。



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東京都あきる野市  野原森夫



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