吾妻連峰 谷地平と東大巓

              1971年10月3日               単独

 2度めの吾妻山への山行は、谷地平をへて県境尾根の真ん中に位置する 東大巓に登り、山形県側へ下山するルートを選んだ。今度は吾妻山の中心部 に分けいることになるから、構えた気持ちでこの山行に挑んだ。なにしろ1回 めの吾妻山の登山は、山にはかすっただけで、霧ノ平から引き返したのだ から。

 福島駅を朝7時30分に発つ1番バスで浄土平(磐梯吾妻スカイライン)ま で上がれば、日帰りで山形県側の峠駅まで下山できる。その分、いいペース で歩かなくてはならない。そんな気持ちにせかされて、浄土平から鎌沼をめざ すけっこうきつい登りでは、いっしょにバスを降りた登山者たちをはるか後方 に引き離し、30分で姥ヶ原の原っぱに上がった。ここから、谷地平に下る暗 い森の中の道に入りこむ。足元はところどころ、ずぶっとぬかるむ。木や石に 付けられた赤ペンキの目印を頼りにコースを確認するが、展望のない原生林 の中の道は心細い。左手に姥沢が落ちて、その岸に出たところで、ようやく明 るい空の下にもどる。この沢を渡渉するところで、対岸に赤い屋根が見えた。 谷地平の避難小屋だ。(10時15分着)

 谷地平小屋は水辺にあって、周囲は東吾妻と中吾妻の山々に囲まれた、ま ったく静かなところだ。小屋は鉄骨にブリキ屋根の造りで、小さな土間と板の間 があり、シュラフで7〜8人が泊まれる。小屋の外で小休止して、おにぎりを食 べる。

 小屋からは100メートルほど沢沿いに下って、ペンキの印を頼りに対岸へ石跳び で渡る。河岸段丘を15メートルほど上がると、湿原の一角に出た。黄色の海が広 がり、池塘が点在している。谷地平だ。目測ではむずかしいが、南北150メートル、 東西80bくらいか。けっして大きくはない湿原だけれど、これまでは樹林の中 の狭い空間しか歩いてこなかったので、とても大きく感じてしまう。西に中吾妻 の尾根、そして正面に東大巓(1928メートル)が立派だ。

 湿原は木道が設置されていなくて、黒々とした裸土の踏み跡を選んですす む。ところどころ、登山靴の足首近くまで没するぬかるみがある。湿原の北 の端に着くと、沢が6〜7メートルの下に見下ろせる段丘の上に立つことになる。湿 原が周囲からこれほど高い場所にあったなんて、びっくりだ。この大倉深沢は 石跳びで渡渉して、こんどは大倉川の本流に沿って大倉新道をたどり、東大巓 の登りにかかった。

 ふたたび、展望のきかない樹林の中の道になった。倒木やぬかるみが連続 して、歩きにくい。やぶこぎまである。幹や大きめの石に着けられた赤いペンキ の印をたどって登っていく。上部に行くと沢沿いのルートとなり、大倉川を渡り返 したり、小沢を渡渉するときには、対岸の踏み跡を見失わないように注意してす すんだ。誰にも会わない道だが、紅葉の鮮やかな色に励まされて進む。

 本流に小滝を見て、坂がひとしきり急になると、周囲の林が切れて展望が開け はじめた。途中の湿地帯には、テント場の跡も見られた。急登のあとに、県境尾 根の稜線に出る。ここは湿地帯と笹、ハイマツの、丸みを帯びた尾根だ。

 東大巓からは、明月荘へと、広いゆるやかな尾根をたどる。ハイマツのやぶこぎ がところどころある道で、慎重に踏み跡を進んだ。尾根を乗り越し気味にすすむ この道では、これから下降する潜滝沢(米コノ沢上部)の谷と、県境尾根の山々 の展望がいい。背丈の低い樹林を抜けて、小広い場所に出ると、明月荘が小さな 沼のほとりに建っていた。ブロック壁にトタン屋根をのせて、地味な感じ。軒下に 霧の時の用心にバケツ大の鐘が下がっている。

 登山者が周囲の湿原で、思い思いに腰をおろしている。ここで昼食のためにザ ックを下ろしたら、ちょうどそこに「うんち」があって、ザックの布地が黄害にあって しまった。ひどいよ、こんな休み場所に。

 明月荘からは、「滑川 - 明月荘」と書かれた赤い金属板の道標を目印にくだる。 途中の金明水の水場は、小さな湿地で、北に向かって踏み跡が延びていた。そこ からは根曲がり竹の中を急坂をさらに下って、回り込むようにすすむと九蔵沢に出 た。沢沿いに登っていく道もある。この東大巓の一帯は、こういう得体が知れない 踏み跡がほんとうに多い。九蔵沢を渡ると潜滝の上部に出る。ここからは、かなり 急な道を滑るように下降し、滝の下部で左岸から右岸へ渡渉した。道は、すぐ先 で、薬師森・姥湯方面への分岐点に出、もう一度、目印を頼りに米コノ沢を左岸 へ、さらに右岸へと2度も、渡渉させられる。上部の渡渉よりも水量がずっと増えて いて、石跳びは少々危ういところ。その右岸沿いの踏み跡を少し下っていくと、滑 川鉱山の宿舎の跡に出た。対岸に露天掘りの跡が見え、そこへ向かう吊り橋が かかっていた。

 鉱山跡で一休みして、滑川温泉へと、気楽な下り。7月末に霧の平の来たとき によった大滝をすぎて、滑川温泉に着いたのは、まだ3時半前だった。谷地平の ひっそりとした黄色の海が印象深かった山行だった。




◇明月荘からの下降ルートのうち潜滝から滑川鉱山跡にかけては、その後、73 年、74年にもたどったが、下部での2度の渡渉は不要になり、薬師森への分岐 点から右岸の踏み跡がそのまま鉱山跡までつながっていることが確認できた。

 滑川鉱山は、この山行の翌年、1972年6月にも訪ねた。宿舎前の空き地にテ ントを張って幕営し、翌朝はすばらしい朝焼けにつつまれた。薬師森への分岐に は、水芭蕉の群落があり、これは生まれて初めての水芭蕉との対面になった。




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    山の便り、大地の恵み (野原森夫)  
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