飯豊連峰縦走 石コロビ沢雪渓から飯豊本山

         1971年7月31日〜8月2日  単独



 *高校2年生(1971年)の夏、一人立ちの登山を開始して二度めの山行が、 飯豊連峰の縦走だった。朝四時過ぎに福島駅を発つ山形行きの急行列車に 乗るため、父が車で駅まで送ってくれた。

 単独行の私は、装備も心もとないものだった。背中には、借り物のキスリン グを背負い、4人用のビニロン・テント、固形燃料、毛布、飯盒、ビニルガッ パ、四本爪アイゼンなどをつめこんだ。シュラフをもっていなかったので、毛 布で代用した。これらの持ち物は、重くかさばり、当時としても時代遅れで、 不備そのものだった。雨に降られたら、固形燃料だけでどうやって炊事を するのかと思ってしまうが、何もなかった自分にはこれらをそろえるだけ でも大変だったし、うれしかった。

 飯豊連峰は東北ではもっとも険しい山脈として知られているが、なかでも 長さ3キロメートル、高度差1000メートルの石コロビ沢大雪渓は、規模では日本三大 雪渓(剣沢、白馬岳、針ノ木岳)に匹敵し、高山植物の多彩さとあわせて、 東北の岳人を魅了してきた。この石コロビ沢大雪渓を登高し、連峰の主 脈を縦走して飯豊本山から会津側に下山するのが、計画したルートだった。 山中でたっぷり3日はかかるこのルートは、幕営山行で荷物は大きくなるし、 雪渓でのアイゼン登高や岩場の下降など初心者には手ごわいものだった。 それを、駆け出しもいいところの高校生が単独で挑んだわけだから、知ら ないということは怖い。あとで考えても、担任の先生や親がよく行かせてく れたものだと、思ったものだった。

 長大な雪渓をはじめとする豊富な残雪に憧れての飯豊連峰単独縦走。 以下、当時の山ノートの記録を、ここに写す。(小見出しは後でつけたもの)

◇    ◇    ◇    ◇





ダットサンのトラックに相乗りして、登山口へ

 7月31日午前9時、長者原着。小国駅(米坂線)からは2台のバスが 出たが、満員で一時間ほど立ち続けだった。2軒の売店のあるバス停 は登山者でいっぱい。朝早く福島を発って以来、単独行への不安でい っぱいだったのに、この活気あふれる登山者の中に包まれると、頭の 中はこれから目にするであろう未知のものへの期待に満たされる。

 長者原からはダットサンのトラックに6〜7人の登山者といっしょに乗 せてもらう。予定外の乗車だったが、時間をかせげるのは何よりだ。

 すばらしい好天。玉川の渓流に沿った細いジャリ道を、トラックは飯豊 の山中へとどんどん入っていく。西に鋭峰・杁差(えぶりさし)岳が真っ 白な残雪を輝かせている。青々とした山肌に白い雪が見事なコントラ ストでとりついている様は、初めて目にする自分には異様なものでもあった。

 下ノ桑畑沢で登山道が始まった。半そでシャツに着替えて、歩きや すいなだらかな道に入る。このあたりはまだ標高が低いためか、か なり暑い。ニッカーの中はたちまちビショビショになってしまった。登 山者はとても多く、降りてくる人には「頑ばれよ」と幾度も励まされる。

 桑畑沢から40分ほどのゆっくりとした歩行で、ちょうどおなかがすい たところで、旭又滝に着く。この滝は落差10メートル弱。小さいが、岩の間 から勢いよく水を吹き出している。滝けむりの中で食べるブドウパ ン。涼しさで生き返ったような気分だ。

 シャツを着替え、短い吊り橋を渡って、また進む。10分ほどで飯豊山荘を通過。 ここから先は涼しいブナ林の中の道だ。すっかり幅が細くなった玉川を見下ろしな がら、ブナの大木の根元に腰を下ろし、しばしキスリングの重みから解放される。

道を二匹のマムシに通せんぼされる

 温身平の小屋には、お昼ごろに着く。木造二階建てで、カイラギ沢のすぐ脇に 建てられている。小屋の裏手からはダイグラ尾根コース(飯豊本山に直登する 長い尾根ルート)が分岐しており、これから進む地竹原への道は小屋の手前 50メートルほどの大きな石のところから右折して続いている。

 それにしても、カイラギ沢の水流の激しさ、水量の多さはものすごい。これが すべて、上流で雪が融けたしずくが集まったものだなんて、信じられない。

 温身平から先は、いままでよりも道は細くなり、登りは急になる。カイラギ沢 左岸の道を、雪解け水の音をブナ林越しに聞きながら足を進める。登山者は いつのまにかすっかり減ってしまって、見通しがきかない。

 それにしてもヘビやトカゲの多いいやな道だ。マムシが2匹、朽ちた倒木に からみついているのを目にした。倒木はマムシをのせたまま、登山道を通せ んぼしている。けとばすくらいまで近づいても、2匹とも人間なんて眼中にない という感じで、動こうとしない。道の脇から倒木をまたいでなんとかやりすごし たが、その先も、ザッザッザッと足を踏み出すごとに、両脇の草むらがカサ カサと揺れる。

 途中に二度ほど休憩をはさんで、地竹原に着く。原と呼ぶにはあまりに狭い ところで、しかもヤブが多く、テントは5〜6張りほどしか、張れそうにない。しか し、小沢が近くにあって水には恵まれている。このあたりまで来るとブナ林はほ とんどなくなり、カイラギ沢もずいぶんと幅が狭くなった。高度をかせいだのが よくわかる。風が少し出てきた。

初めて、雪渓の上に乗る

 地竹原からは道はさらに急になり、涸れ沢も落ちてきて歩きにくい。カイラギ 沢はV字型の谷となり、両岸は次第に岩壁の占める割合が多くなっていく。

 30分ほど進んだところで、登っていく道が一つの小さな頂点に出た。パーッと 開ける視界。ドッドッドッという大きな水音がするので下の方に目をやると、沢全 体の水量を落とす滝が見えた。赤滝だった。距離感はまったくつかめない。そし て、滝の上部には黒と白の不気味な光景が展開していた。

 「あの白いのは何だ………雪だ。雪渓だ。バンザーイッ、ついに来たぞ」。

 誰も聞いていない自分一人の世界で、大声を上げてしまった。その声さえ、す ぐに、かき消えてしまった。

 霧に隠れた飯豊の主脈の山々から、白く長くうねって落ち込む石コロビ沢大 雪渓。その残雪の沢の末端は、断崖となって落ち込み、赤滝がドッドッドッとう なりを上げている。カメラを取り出すのも忘れて、呆然と見とれてしまった。ああ、 もうすぐに、あの白い雪の上に乗ることができるのだ。

 さっきまでのキスリングの重みを忘れて、登山道をたどって進んだ。道は急に 下っており、雪渓の末端近くに流れ落ちる枝沢が、急なガレ場となって前をふさ いでいた。不安な石飛びの渡渉となる。キスリングを対岸の岩の上にのっけたり して慎重に、苦労して、対岸に渡った。そこからは登り返して、今度はカイラギ 沢の本流に向かってドロの上を滑り下りる。そして、いよいよ雪渓の上 へ………。

 この真夏の雪は固かった。ボコボコとしたくぼみが表面をおおい、予想に反し て黒いドロ土や細かい小枝がいっぱい落ちていて、薄汚れていた。でも、自分 の足が、いま雪を踏みしめているのが、何よりもうれしかった。上流から吹きつ ける風が、雪からわきたつ白い水蒸気をけちらして顔にあたり、冷気でいっぺん に汗がひっこんでしまった。

雪渓の傍らの小さなテント場に泊まる

 午後2時すぎ、雪渓にのった位置からすぐのところにある左岸高台の幕営地 に着く。ここは意外に狭くて、テントは三張りが限度だ。少し強い風の中で一人 でテントを張る。ツェルトならば設営は楽だし、重荷にもならないのだが、まだ高 校生の自分は、以前に買ってもらった4人用の重いビニロン・テントしか持って これなかった。

 高台のこの幕営地から眺めると、目の下の雪渓の中央部には大きなクレバ スがあって、雪渓内部の構造までよく見ることができる。かなり不安定な感じ だ。テントの上方を見上げると、幕営地の上部はブッシュ帯だが、土の部分も 目につき、雨が降ったらあまりのんきに寝ていられないような大きな岩が、すぐ 上にかぶさっている。

 対岸は岩の尾根で、落石が多いらしい。さっきも、直径2メートルくらいの大きな岩 がころがり落ちてきて、ドシーンと雪渓の上にのっかった。枝沢の渡渉も考える と、天気が悪かったら、この石コロビ沢は大変なルートになってしまう。

 それにしても、こうやってあたりの光景を眺めていても、対岸までの距離がど れだけなのか、まだはっきりととらえられない。距離感というものを、初めて雪 渓を目にしたときから失ってしまったようだ。

 さあ、夕飯のしたくだ。水は、これがほんとに手を切るように冷たいのが、テン ト場のすぐそばにあり、米をとぐのさえつらかった。簡単な夕食(コンビーフ、御 飯、漬物、スキムミルク)ができあがったころ、 隣に若いカップルのパーティーが到着してテントを張り始める。よかった。心細か ったから。飯はあまり食えず、体が冷えてしまったのでカゼ薬を飲んで寝る。(就 寝7時40分)



  石コロビ沢大雪渓にとりつく

 8月1日。5時起床。

 夜中に寒くて目を覚ましたら、遠くでゴォーッという音が鳴っていた。大きく口をあ けた雪渓のわきのちっぽけなテント。隣に人がいなかったら、ほんとうに怖かった にちがいない。起床が遅れたので、ビスケットだけの朝食で出発する。

 クレバスが多い雪渓には下りられなくて、道は沢の脇のやぶをナタで払ったばか りの踏み跡をたどっていく。20分ほど左岸沿いに登ると、広々とした雪原に出る。 石コロビ沢と入り門内沢の出合いで、石コロビ沢の右岸には小さくて石ころが多い が、水の豊富な泊り場もあった。



石コロビ雪渓(門内沢出合)

 この地点から見上げると、高度差900メートル、長さ3キロメートルの石コロビ沢大雪渓が、巨 大な生き物のようにうねって迫ってくる。門内岳の方角には扇を広げたように源頭 の雪田が並ぶ「扇の地紙」があり、ちょうどそこが朝焼けの光に照らされていた。 雪渓の上部、ずーっと遠くには、赤や黄色の装備を身につけた登山者が登ってい くのが見える。

 いよいよ本格的な雪渓の登高だ。風が、昨日とは逆に下から吹き上げてくる。ス プーン・カットになった雪の上に登山靴をのせて、高度をかせぐ。途中、幅20センチほ どの小さなクレバスが雪渓を横切っていて、飛び越えて進む。

 3分の1ほど登ったところに、雪にのった石があり、腰をおろして一休み。見下ろ しても見上げても絶景。両岸の岩壁には赤や黄色の花があちこちに咲いている。

 7分方登って、北股岳の側から小沢の水が落下しているところで3度めの休憩を とり、アイゼンを付ける。傾斜はずいぶん急になりだしたが、転んでもまだまだ大丈 夫だ。でも上部を見ると、雪が壁のように感じるほどで、不安があった。かなり登っ てきたので、見下ろすと延々と落ち込んでいく雪渓に吸い込まれそうな気分にな る。雪渓の両側の岩壁はいよいよ狭まってくる。

源頭の「中ノ島」の急登が長かった

 北股岳と梅花皮(カイラギ)岳の鞍部をめざして進み、ついに雪渓が両側に分岐 するところに着く。ここでもひたすら鞍部をめざすルートをとり、雪渓の中に取り残さ れたようになっている「中ノ島」をめざして登る。いよいよ雪渓の末端に出て、再び 土の上の登りだ。

 中の島の登山道は、花でおおわれている。それはいいけれど、すごくきつい登り で、この場所を両側からはさみこむ雪渓も、源頭だけにすごい傾斜だ。稜線は霧に 包まれていて、登っていくうちに視界が閉ざされた。鞍部のカイラギ小屋までどのくら いあるのか、見当がつかない。すっかりバテて、途中の小沢で大休止、昼食にする。 霧はますます濃くなってくるようだ。北股岳東面のすばらしい岩壁が隠れてしまった。

 40分ものびてから、再び登る。ようやく鞍部のすぐ下まで登ってきたが、ここには テントが5張りほど張れる幕営地があって、残雪のそばでなかなかいいところ(実は 小屋側からの落石が危険)。どこかの会社の山岳部が大勢で昼食の最中だった。 ガスで見えないが、上の鞍部にはかなり人がいるらしい。声がひっきりなしに聞こえ てくる。雪渓もすっかりガスの中に隠れてしまった。

  カイラギ小屋から梅花皮岳、烏帽子 岳、御西岳へ縦走

 テント場から4時間20分、出合いからは正味3時間半かかって、鞍部のカイ ラギ小屋に着く。小屋の近くでは、テントが10張り近く立っていて、大きなパーテ ィーも幕営中だった。木造の小屋は10人入れればいい方というくらいの小ささで 、それに汚くて臭う。10分ほど休んだだけで出発。(10時20分)

 梅花皮岳へのジグザグの登り。稜線上に出たためか急に風向きが変わって、新 潟県側から強く吹きつけてくる風が、山形県側には濃い霧をつくっている。新潟県 側は見通しがよく、谷はやはり鋭く落ち込み、雪渓を幾状も吸い込んでいる。振り 返ると、北股岳(2025メートル)は連峰で一番の鋭峰というだけあって、毅然とそびえ ていて、なかなかいい。

 霧に包まれた梅花皮岳(2000メートル)に着く。この山は、自分にとって初めての 2000メートル峰だ。頂は狭く、三角点を示すコンクリートの杭があるだけだった。トン ボ、それも赤トンボらしいのが無数に飛んでいて、こんな高さにとびっくりする。

 さあ、下降だ。初めての2000メートル峰を後にして、視界のきかないなかを烏帽子 岳へと向かう。いったん下りきったところにある与四太郎の池は、登山道の左手 に50メートルばかり下ったところにある。テントはたくさん張れるが、水は汚くて飲め そうにない。登り返すと、烏帽子岳(2018メートル)をすぐに通過する。ガスはいぜん として晴れず、最高峰の大日岳(2128メートル)方面の眺望を楽しみにしていたが、 だめだった。

 烏帽子岳からは道はなだらかになり、歩きやすい。時おり残雪にのっては、ま た土の上にもどるということを繰り返す。行程を一気にかせいできただけに、か なり疲労がたまってきた。途中、大きな雪田が山形県側にあり、名前のない泊り 場があった(テント2、3張り分)。雪の中に入り込むと、冷たいしずくがポタポタ 落ちてくる。これを、ポリタンク替わりに持ってきた冷蔵庫の水タンクで受けて、 のどをいやした。一時的に元気をとりもどして根曲がり竹の中を進むと、今度は 御手洗(みたらし)池に出たが、ここの水も使えそうにない。

  御西岳の大雪田のわきで幕営

 さらに進んで天狗の庭へ。ガスが晴れ、日が差してきた。そして天狗岳にたどり つくと、前方の視界が一気に開けてくる。何よりも、大日岳がすばらしい。新潟県 側に深く落ち込んだ飯豊川源流の谷を隔てて、険しい山容でせりあがっている。 そして南東の方向には、目指す山・飯豊本山がピラミッド型の稜線を描いてどっか り腰をすえている。前方に見える今日の泊り場、御西岳(2013メートル)は、どこが頂上 かわからないような、のっぺりした山だ。山形県側の沢の源頭がそっくり埋まるよう な大きな雪田があり、その残雪のわきにテントが5、6張り張ってある。このまま本山 まで向かっても遅くなってしまうし、体はもう疲れてしまった。それに、山上の残雪の かたわらにある、こんなすばらしい泊り場をただ通りすぎるという手はない。明日の行 程はつらくなるけれど、早発ちすることにして、雪田を斜めにトラバースし、テント場に 向かった。

 午後2時30分、御西岳着。今日もまた、とてもゆっくりしたペースで歩いて、一日 が終わった。サッカー場が楽にできるような膨大な残雪のわきで、また一人でテント を張り終えると、夕食の支度にかかる。雪田にそって少し下降したところに雪解け水 が豊富で、テント場もしっかりしており、一夜をすごすのには最高の泊り場だ。

 インスタント・カレーの夕食のあと、御西小屋まで登って、日没を見る。明日、いよ いよ登る飯豊本山が夕陽に照らされて美しい。大日岳は黒い、大きなシルエットにな っていて、その一角だけが夕陽に染まっている。小屋の前では円陣を組んで夕御飯 を始めるパーティーもいる。何もかもがのどかだった。夕日が雲の中に顔を隠すと、 すぐに夕闇が迫ってくる。満ち足りた気持ちで、テントへと向かっ た。(就寝7時45分)





  いよいよ飯豊本山へ。大展望の山頂に立つ

 8月2日。目覚まし時計のベルのストップ・ボタンをみずから押して寝坊したため、 出発が大幅に遅れる。でも今日は家に帰れる。それに天気も上々。胸がはずむの をおさえることはできない。6時ちょうど、御西岳発。

 しばらくはハイ松とお花畑の海の中の道。今まででもっとも歩きやすい。駒形山の ピークをこせば、いよいよ本山の登りとなる。北面の谷から雲がわき上がり、烏帽子 岳がかすんでしまう。

 ガレを登り終えると、大きなケルンと一等三角点のある飯豊本山(2105メートル)に着 く(7時25分)。すばらしい大展望だ。大日岳は、南に牛首山を従えて、険しさも大き さも、圧倒的だ。烏帽子岳は全容が見えるが、北股岳は、梅花皮岳と烏帽子岳との 間から、頭だけを出しているのが見える。真北には、岩の峰をごつごつと重ねたダ イグラ尾根が、ものすごい傾斜で落ち込んでいる。ケルンの傍らに腰をかけて、い つまでもこの展望を楽しみたいのだが、今日はハード・スケジュール。ゆっくりしては いられない。この時間から、もう暑くなりだしたので、ニッカーをまくり、ソックスもおろ して、前進することにする。

 山頂の一つ下に飯豊山神社があった。神主さんだろうか、「頂上はここだ」といい、 説明板にも同じことが掲示してある。何も神社がてっぺんでなくても、いいじゃないか、 と思う。

 そこからは御前坂(おまえざか)と呼ばれるジグザグの急坂で、これはずいぶん長 い。次は御秘所(ごひしょ)の岩場。信仰登山の山らしい名前が続く。ここは部分的 にヤセ尾根になったところをたどるが、短いので助かった。登り返すと、草履塚とよ ばれる小さなピークで、ここからは、大日岳がもうかなり遠くにかすんで見える。飯 豊本山は、大きな量感があり、のしかかってくるようだ。行く手を見下ろすと、ずーっ と先に青い屋根の切合せ小屋も見える。

  切合せ小屋から三国岳をへて、剣ヶ峰を下降

 草履塚から下りきったところは、好適の幕営地で、残雪の末端には水が豊富に流 れている。ここでビスケットだけの食事にする。疲れが蓄積されてきて、ペースが上 がらない。(あとで考えれば粗末な食事の連続と塩分不足で体がまいっていた、そ の始まりだった。)

 切合せ小屋は小広い平坦な場所にある。このあたりからは、小さなピークが連 続し、それを越すごとに休憩してきたから、時間をひどく食ってしまった。雪田は種 蒔山と七森峰の間にもあって、ここでもおいしい水が得られた。

 三国岳(1644メートル)は、いままでのピークよりもひと回り大きな頂で、頂上では小 屋が改築中だった。さあ、いよいよここからは、福島県に入るのだ。磐梯山がはる か遠くにかすんでいる。天気はいぜん良好。大日岳を見るのは、これが最後に なる。

 三国岳の下は剣ヶ峰と呼ばれる岩場が始まっていた。両側は断崖になって切 れ落ちていて、テラス状の岩が段々に重なった岩の尾根となっている。かけ声が するので尾根の北側を見ると、切れ落ちた谷をはさんで、対岸の七森峰の岩場 を、ロッククライミングの人が登っていた。おそるおそる下降するが、悪い場所に は鎖がかけられていて、助かる。でもこの岩場は思ったよりも長く続いて、疲れた 体にはかなりつらい下降となった。

  「十五里」のつらく、長い下降で、ばてる

 下りきって、土の道にでると、しばらくで地蔵山との鞍部に着く。ここからは深い 溝状の歩きにくい道を地蔵山に向かって少し登り、途中から右へ折れて最初の掛 け小屋(板壁さえなく、屋根はトタンをかぶせ、周囲をござや布でおおっただけの 簡易休息所)である地蔵小屋に着いた。

 この小さな掛け小屋からは、長く苦しい下降が始まった。道は深い溝状に掘れ ていて、しかも段々になって急に下っている。その段をがくんと降りるごとに、キス リングが肩に食い込む。まわりは、ブナの白い幹がどこまでも続く林で、展望はな い。つらいのは登る人も同じなのか、大汗をかいて歌を歌いながらゆっくりゆっく り登っていく3人の青年とすれちがった。

 15分も行くと、横峰小屋に出る。地蔵小屋と同じで、屋根はトタンでおおって、ま わりをムシロなどで囲っただけの造りだ。床板はしっかり張ってあり、いろりもあ る。入り口は、登山道に面したところが広く開けてあり、夜間は屋根下に丸めて あるムシロを下ろすのだろう。頂上の神社に登拝に来た人や登山者は、ちょうど 縁側にそうするように、小屋の床板に腰を下ろして疲れた体を休めるのだ。

 横峰小屋では、鼻の左に大きなホクロのある人なつっこそうなおじさんが番人 で、水場を教えてくれた。水は、小屋の裏手を西側へ100メートルばかり下ったところ に、地下水らしのがチョロチョロと出ている。

 登山口の一ノ木発の最終バスが午後5時半なのだそうで、ここから先はペース を上げねばならない。しかし、道は依然として歩きにくい急な坂で、深く掘れた場 所では何度も手を使わせられる。林の中なので太陽の光を避けられるのが、せ めてもの慰めだ。

 上中下の3つに分けて呼ばれるこの急坂のうち、中十五里まで下りたところで、 左手50メートルばかり先のブナの木から、木の枝をバキバキと折りながら獣らしい物 体が落っこちるのを目にする。クマだろうか? あまり大きくはなかった。中十五 里の終わりあたりには、地蔵山から数えて3つめの掛け小屋があり、水場は東へ 40メートルばかり下ったところにある。

 下十五里の下り。少し歩きやすくなったが、疲れ切った体にはつらい。ようやく、 坂の末端の御沢小屋に下り立った。(午後3時50分)

 最終バスは絶望……。ヤケクソでもう一泊を決めたが

 御沢小屋は、水量の多い沢畔に建てられており、付近にはテントも張れる。こ こからは車道のジャリ道をとぼとぼと行く。川入の集落はすぐだが、そこから一 ノ木までは2時間以上の長い車道歩きとなる。トラックにでも乗せてもらわないと 、一ノ木発の最終バスには間に合いそうもない。でも、うまくトラックに出会えるか どうか………。すっかり汗にまみれたキスリングを放り出して、半分ヤケクソにな って、沢の岸に腰を下ろした。食糧には余裕がある。このあたりにテントを張って、 沢で水浴びするのも楽しいだろう。でも、やっぱり、家に帰りたい。

 川入着(午後4時20分)。ワラぶき屋根の家々の間の道を歩いていたら、おば さんに声をかけられた。「自動車に乗って行かんしょ」。息子さんといっしょに、ちょ うど一ノ木へ帰るところだという。ああ、これで、バスに間に合う。うれしくて、飛び 上がらんばかりだった。

 激しく揺れるバスの荷台。おばさんは、そこにいっしょに乗って話のしどおし。聞 けば、横峰小屋のあのホクロのおじさんの妹さんだという。本当に親切な人たち だ。「いいとよ山は人は殺さねえから」。そんなおばさんの言葉が印象的だった (会津側では『いいでさん』と言わず『いいとよさん』と呼ぶ)。

 一ノ戸川に沿った谷あいの道を、トラックはどんどん下る。親しく言葉をかわしあ いながら、楽しかった飯豊の山旅の思い出を一つ一つ胸に刻みつけた。





山の便り、大地の恵み (野原森夫)
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