飯豊連峰縦走 大日岳から 門内岳

           1974年8月3日〜7日
           野原森夫、吾妻学農

 北大に入って2年めの夏休みの山行 。福島高校で同じ 野球部仲間だった吾妻学農君と、前年の中吾妻山に続いて パーティーを組んだ。新潟県側の日出谷から入って飯豊連 峰最高峰の大日岳に登り、4泊5日で最北端の杁差岳(え ぶりさしだけ)まで縦走する計画で入山した。



オンベ松尾根の登りで、尾根脇の雪渓を見下ろす


 磐越西線の日出谷駅から入山する

 8月3日朝、福島を発って、郡山、会津若松、喜多方と国鉄を乗り継い で、昼に新潟県側の日出谷駅に着く。小さな町で商店が5〜6軒あり、駅 前の旅館でタクシー(中型しかなかった)をチャーターした。

 実川に沿った細い車道は、すぐに砂利道になる。車は、山肌にへばりつ くように奥へと延びる悪路を、箱の沢の出合いまで入った。昼食をとって、 登山開始(13時25分)。

 林道をしばらくすすむと、終点の広場があり、ここから登山道となる。 実川沿いにぐんぐん高度をあげ、足場も悪く、始めから汗をかかされる。 左から荒れた沢が土石流跡のようになって合流してくる場所では、ルート が断ち切られ、とまどわされる。ゆるい登りになると、ブナ林があらわれ、 静かな林に囲まれた湯の島小屋(湯の島小屋)に着いた。

 小屋はかなり古く、中は薄暗い。虫がはいだしてきそうな感じ。小屋の 前の広場は幕営場になっていて、先着の大人数のパーティーが夕食の支度 をしていた。小屋のすぐ裏に水場があることを、おしえてもらう。

 蚊が多くて、夜は小屋の中にかまぼこ型のツェルトを張って、その中で シュラフにもぐりこんだ。いい感じに疲れていたので、熟睡できた。



 恐怖の沢渡り、ジャンプ一番

 4日。4時に起床し、急いで朝食つくりに励んでいたら、まだ薄暗いの に、幕営していたパーティーがヘッドランプ姿で発って行った。どこかの 大学のワンゲル部なのか、かけ声が勇ましい。けれども、こういう場面で 後に残されるのは気があせる。なにしろ今日は、高度差1500メートルを一気 に登り、飯豊の最高峰・大日岳に登ったあと、主脈の縦走にかかる長丁場 だ。荷づくりにも手まどって、5時50分の出発となった。

 オンベ松尾根ルートとよばれるこのコースは、登り始めに二つの沢の渡 渉がある。最初のは楽だったが、二番めは、いやな沢だった。遭難者の碑 をすぎて、その沢に出ると、両岸は岩に囲まれている。沢幅は1・5メートルば かりだが、「とい状」の岩の間を水がものすごい勢いで流れ下っていて、 その数メートル先で流れは落下し、淵が渦をまいている。水流を飛び越え、うま く対岸の岩場に着地しないと、体ごと深い淵に引き込まれるだろう。その 下も、きっと滝か淵だ。幅はこんなに狭い沢なのに、失敗すれば体を濡ら すくらいではおいつかない、悲惨な結果になりそう。まずザックを対岸に エイッと放り投げる。意を決して、ジャンプ一発。やった。緊張感がすっ と引き、体から力が抜ける。わずかでも増水すれば、着地点の岩場も水に 洗われるに違いない。この沢は、増水したら、とても越えられそうにない。

 標高差1500メートルの登りに泣く

 そこからは、朝日が差し込み始めて明るさをますブナの若い木々の中の 登りになった。そしていよいよ、オンベ松尾根の急登となる。天気がいい だけに気温もどんどん上昇し、汗がものすごい勢いで吹き出す。あごから も、地面にボタボタ落ちるほど。尾根の両側の傾斜がきつくなり、樹林が ずっと下に低くなり出すと、真夏の日差しが体を直射する。

 標高900メートルあたりまできただろうか。展望もひらけだした。尾根の左 手には、櫛ヶ峰から落ち込む純白の雪渓が、緑色の尾根に食い込んで美し いコントラストを見せている。上部の稜線はガスの中。すごい高度感があ る。雪渓の下端は、標高4、500メートルあたりだろう。この冬はやはり、す ごい豪雪だったらしい。

 緩登不休の鉄則を投げ出し、平らな岩場を見つけるごとに腰をおろして いたので、月心清水(水場)についたころには、僕も吾妻君も体はもうく たくただった。後で思えば、水分だけとって、塩分が不足していた状態だ ったが、このときは荷物から解放されて呼吸を整え、冷たい水でのどをう るおすことで、精一杯だった。

 休んで登って、休んで登って、いくら登ってもきつい傾斜の尾根はさら に上部へと伸びている。上を見ると気落ちするだけなので、できるだけ両 側の雪渓を眺めたり、下を見下ろして、「ずいぶん、登った」と自分をな ぐさめることにした。途中で、先発したはずのパーティーのうち、三人を 追い抜く。一人が青い顔をして、泣きそうな表情で、やっと立って歩いて いた。リュックの名前から、関西の大学のワンゲルだとわかった。

 僕たちも、ペースはけっしてほめられたものではない。冷たい水の誘い が脳を侵し、急な雪田を尾根の右側に見つけたら、またもや水を欲して大 休止。かなり危ないキックステップで雪田の末端まで下り、水を飲んだ。 稜線はもうかなり近いらしく、上方のガスの中から人の声が下りてきた。

 ニッコウキスゲの鮮やかな姿を目にしながらの最後のひと登りで、稜線 の一角にとびだした。時間はもう午後2時をまわっているから、ゆっくり 休んでいたら途中でビバークということになってしまう。けれども体は動 こうとしてくれない。近くの雪渓からコッフェルで雪をかきだし、かき氷 をつくる。僕らを苦しめた長大な尾根を見下ろしながら、二度目の昼食に する。かき氷がやっぱり一番うまい。

 吾妻君の顔はなんだかひとまわり小さくなって、目がおちくぼんだ感じ だ。きっと僕も、かなりひどい顔をしているにちがいない。

 ワンゲルの連中は、バテた人を出したせいもあってか、この場所でビバ ークするらしかった。僕らも迷いもしたが、ガスの具合からみて明日の天 気が悪くなりそうだし、体も元気をとりもどしたので、大日岳に登頂して、 あくまで御西岳の小屋をめざすことにする。

 夕暮れの大日岳に立ち、真っ暗な稜線を御西岳へ

 夕刻に近い時間になりつつあったけれど、気持ちが定まると、ペースは 快調だ。登りのそうきつくない牛首山のピークを越え、深い鞍部で休憩の あと、大日岳をめざす。また、ガスが出始めた。それに、この山は飯豊連 峰の最高峰の名に恥じず、なかなかの量感をもっている。ルートが実川側 にまわりこむところでは、夕暮れの中、巨大な雪渓がはるか下方の闇の中 に落ち込み、溶け込む様が、すばらしい迫力の光景をつくっていた。僕ら は、そんなあたりの展開に呑み込まれないように、吾妻君と二人で声をか けあい、ルートを確認しあって、頂をめざした。頂上直下の雪田では、暗 いのとガスのために、いったんルートを見失った。

 大日岳(2128メートル)の頂上に到達(18時20分)。そこはガスと夕 闇と強風の中だった。吾妻君とたがいの体調を確かめあっただけで、休ま ずに御西岳への縦走にかかる。

 風が流れ、ハイマツの枝がざわめく。先の見えない暗い道は、すごく長 く感じる。時計を何度も見、過ぎていく時間で距離をかせいだの確かめな がら、踏みあとに目をこらす。雪田上にまたルートが移り、慎重に踏み跡 をたどって、長い登りが続く。そして、突然、目の前にテントの明かりが 見えた。そばに立つ小屋は、もう、形がわからないほど真っ暗な中だった。 内部は満員に近かったけれど、なんとか入口付近にスペースをあけてもら う。ペミカンのおじやをすばやくつくって、シュラフに入った。(19時 半着)

 御西岳からカイラギ小屋へ、雨の稜線歩き

 5日。夜中に降り出した雨は、朝には強風にのって小屋の屋根を激しく たたくくらいになっていた。ビバークせずに、この小屋までやってきて、 ほんとうに良かったと思う。2人の体調とこの天気も勘案して、今日はカ イラギ小屋までの気楽な日程とする。天気図をつくったが、天気はこれよ りは悪くなりそうもない。雨の中でも、前進はできそうだ。それに、この 御西岳から北へ縦走するルートは、僕が三年前にたどった、様子のわかっ た道でもある。雨が小降りになるのをまって、出発することにした。朝食 は、昨日の夜の分までもと、空模様をながめるあいだに2回に分けて、た っぷりとつめこんだ。

 お昼近くに、御西小屋を発つ(11時35分)。稜線は、雨がほとんど あがって、ガスがまいているだけだった。調に飛ばし、途中からは霧で濡 れるものを最小限にするために、アミシャツ一枚で行動する。

 烏帽子岳、カイラギ岳を越して、カイラギ小屋につくと(14時10分)、 小さな避難小屋は満員だった。しかたなく門内小屋へと向かおうとしたら、 突然、ザーッと激しい雨が降り出した。これは大変と、カマボコ型ツェル トを設営しようと広げ始めたら、土砂降りとなって、どうしようもなくな る。小屋の軒下に退散して、水煙を巻き上げて降る雨を二人で茫然と見守 る。ぐっしょり濡れた体が気持ち悪い。

 雨はしばらくで小降りに変わった。ツェルトを張り、フライシートがわ りにポンチョでおおって、安住の空間をつくった。中で、今日も快調のホ ェーブス・コンロをたき、着替えにかかる。暖かくて、濡れたものもどん どん乾かすことができた。

 夕方、天気図をつくり、低気圧と前線の影響がいぜん残るため、杁差岳 までの縦走はあきらめることにする。

ツェルトの下は高度差1000bの大雪渓

 6日。今日は北股岳(2023メートル)から門内岳(1880メートル)へと縦走 し、適当な尾根を下降する。天気が不安定らしいので、下降ルートと目し た梶川尾根の分岐までは、急ごうと思う。

 ツェルトの脇1・5メートルほどのところから下は、石コロビ沢源頭の灌木と 草付の斜面となっている。ツェルトをたたみかけたところで、稜線の東側 のガスが晴れ、石コロビ沢の源頭部が姿を現した。両岸の岩の壁、ころが り落ちるような雪の斜面が、目に入る。真下に落ち込むような高度感。大 雪渓の上端部分は源頭部で、大きく三方へひろがっている。その雪渓をと り囲む灰色の岩壁。北アルプスの剣沢雪渓、針ノ木沢雪渓、白馬岳の大雪 渓―――日本三大雪渓とよばれるこの3つの雪渓に、長さ(3キロメートル)でも、 高度差(1000メートル)でも、一歩も引けをとらぬ、石コロビ沢の大雪渓。 その雪の斜面は、屈曲して下部のガスの中へ消えていた。「東北アルプス」 の名が似つかわしい飯豊の姿がそこにあった。

 ヤッケを身につけ、ポンチョもすぐとりだせるようにショイコにとりつ けて、出発する。最初は、飯豊連峰屈指の鋭峰・北股岳の登り。ガスがま た出てきた。風も強い。頂上を越えて、下りの崩壊した箇所は、吾妻君と 手をつないですすんだ。

 なだらかなピークをいくつか越して、これまたゆったりした山容の門内 岳をすぎると、船型(二重山稜)地形のようなくぼ地にテント場があり、 3パーティーがテントを張ったまま雨宿りで沈澱していた。(門内池)

 3年前、石コロビ沢雪渓を登りながら、源頭部の雪田が扇を広げたよう に、優美な姿を見せている「扇の地紙」に、なんていい名前だと感心させ られた。その扇の地紙は、稜線を歩いてみるとただのっぺりしているだけ の草原で、下から見たときの印象とは、まるで別ものだった。道がぬかる むようになると、おなじくのっぺりとした、梶川尾根の草原となる(11 時30分すぎ)。分岐では、飯豊の北の峻峰・杁差岳への思いが残って、 一瞬、足を止めたが、「いつか、もっといい天気のときに」と心をきめて、 梶川尾根の下降に入った。

 まぐろフレーク雪まぶしソーメン

 この尾根は、しばらくは、ほんとうにのびのびとした、ゆるやかに広が る草原が続いていた。尾根筋がしだいに明瞭になり、根曲がり竹が出てく ると、右手前方に石コロビ沢大雪渓が見え始め、ついにはその全容が姿を 現す。視界いっぱいに、右上から左下へ、斜めに白く雄大なスロープ を描く雪の大斜面。その背後に圧倒的にそびえる岩の壁。「うわー、すげ ぇなー」。なんと吾妻君と僕は、ここで2時間以上も、間に昼食をはさみ ながら、この眺めを堪能したのだった。

 昼食は「まぐろフレーク雪まぶしそうめん」。雪田の雪を、コッフェル で掘り下げ、雪がきれいになったなというあたりで、その穴にゆでたそう めんをお湯ごと流し込む。充分に冷えたところでめんを取り出し、まぐろ フレークの缶詰をかけて、口にそそぎこむというもの。けっこううまくて、 すっかりたいらげてしまった。

 ブナ林の伐採地を俯瞰する

 梶川峰からは、尾根は飯豊の登高ルートらしく、一気に傾斜を増した。 ひざががくがくいいだしそうになったら、ふもとの飯豊温泉は近い。右手 下方に石コロビ沢と合流したカイラギ沢の川畔に広がる温身平が俯瞰で きるようになってきたが、その光景にぼくは驚かされた。あの、ブナの大 木がうっそうと繁るゆるやかな斜面が、丸裸になっていたから。尾根をさ らに下り、距離が近づくと、飯豊温泉から温身平にかけての森がまるごと 消えてしまい、ブナの白い切り株が数え切れないほど散らばり、光ってい る様が見えるようになった。朝日連峰で問題になり始めていたブナ 林の伐採が、こんな場所でもおこなわれていたことに愕然とする。緑の森 の中、日差しを避けてのびていた登山道は、今はない。

 飯豊温泉着。林道がここまでつながり、いまは3年前の登山道がほとん ど使われていない。沢のほとりに幕営する。

 7日。入山5日め。飯豊温泉と長者原の間は、3年前は玉川沿いの登山 道がルートだった。途中に旭又滝などがあり、マムシにも生まれて初めて でくわしたところだったが、今日は対岸(右岸)の立派な林道をたどる。 長者原まで正味70分ほどかけて下山し、バスで小国町(山形県)へ向か った。




*飯豊温泉、温身平の一帯はブナの伐採が続き、その 後も大きく変貌している。バスは1980年ごろから 飯豊温泉まで直接、運行されるようになった。温身平 のすぐ上には、カイラギ沢を横断して大きな砂防ダム が造られた。

日出谷からのルートにある湯ノ島小屋は、その後1、 2度建て替えられたが、1996年の冬に雪崩で倒壊 した。





山の便り、大地の恵み (野原森夫)
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