ふるさとの山

             1975年10月29日記              恵廸山の会のノートから



 幼い頃から眺め育った山は、故郷を離れて住むようになると、とても懐 かしいものだ。そんな忘れがたい山を胸に秘めている人は多いだろうが、 私にとって故郷の山は、吾妻山である。

 吾妻山。正確には、吾妻連峰と呼んだほうがいいのだろう。2024メートル の西吾妻山を最高峰に、1900メートル級の山が10座余り、「5万図」の端 から端まで並び立っている。連峰はおおまかに言って、東吾妻山系、中吾 妻山系、西吾妻山系に大別され、それが、福島県と山形県の県境に連なる 県境尾根で結ばれている。地図で見ると、ちょうど「山」という字を逆さ にしたような感じだ。このうち、私が生まれ育った福島市からは、東吾妻 山系と、その背後に北に連なる県境尾根の一部しか見ることができない。

 小学校のころ、学校の周囲は、りんごの果樹園とプラタナスやナラの林 で囲まれていた。校庭から吾妻山が見えるのは、プラタナスの葉が落ちる 季節になってからだった。プラタナスの枝を透かして、りんごの木々のさ らにずっと向こうに、白く化粧を始めた吾妻山があった。ひときわ目立つ 吾妻小富士が「富士山よりずっと小さいんだぞ」と父に教えられたこと、 そして、吾妻山の中でただ一つ名前を知っていたこの山を見ては、「富士 山て、どんなに大きいんだろう」と想像をめぐらせていた私だった。

 中学校のグラウンドは大きかった。それに周囲は畑と水田。吾妻山は年 中、見上げることができた。一切経山や吾妻小富士が冠をかぶったように 新雪の装いをこらすと、「吾妻おろし」のからっ風が吹き始め、その冷た さは冬が深まるにつれて、ますます厳しさを増した。野球部の練習を 終えて、夕暮れの田んぼの中の道を帰るとき、見上げる吾妻山は黒ぐろと して、そして大きかった。

 この山に初めて登ったのは、高校2年になってからだった。夏休みに入 って間もないころ、汽車で山形県の峠駅まで行き、そこから滑川温泉への 砂利道をたどって、一人で家形山をめざした。私にとって最初の単独行の 登山だったが、これはみじめな敗北に終わった。滑川温泉の先でいよいよ 登山道に入ると、繁みの中を縫うようにしてすすむ高倉新道となる。そこ で突然、遭難者の墓に出くわし、怖くてすっかり心細くなってしまった。 急な登りを終えて、稜線の鞍部の霧ノ平へ。ここで、ガスをともなった強 風に吹きつけられ、すっかり悪天候の前兆と早合点し、胸をどきどきさせ て引き返したのだった。





高校2年の夏、霧ノ平からひき返し,滑川大滝が見える尾根へ登る。1971年7月


 それ以来、十数回、私は吾妻山を峰から峰へ、谷から谷へと歩き回った。 畏れだけだった私の吾妻にたいする気持ちにも、いつのまにか穏やかな親 しみが育ち始めていた。

 吾妻山はおっとりした女性的な山である。厳冬期でさえも、福島から眺 める姿には、やさしい美しさが感じられる。

 秋になると、紅葉は、まず山頂付近から始まり、その赤い帯は秋の日と ともに、どんどん山裾へと下っていく。そんな山の彩りの変わりようが、 福島の街からは手にとるようにわかった。紅葉の帯が麓にまでたどりつく と、幾日もたたぬうちに、新雪が山頂部を真っ白に変えてしまうのだった。 そのころの吾妻山は、一年中で一番、美しい。そんな吾妻に、今年でもう 3年も、登れないでいる。

 懐かしい山、吾妻にはもう新雪が舞い降りたという。






山の便り、大地の恵み (野原森夫)
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