残雪の吾妻山 県境尾根縦走

             1974年6月6〜7日   単独



吾妻県境尾根の稜線を、山形・五色温泉上空から見る
赤い線が縦走したルート
カシミール3D(DAN杉本作)で描画。国土地理院50m数値地図を使用


 豪雨の中の入山。慶応吾妻山荘へ

 (札幌から久しぶりの帰省。日程に余裕がないため、大雨のなかを入山した。)

   吾妻山荘(家形山中腹)に着いた時には、本降りの雨になりそうな空も ようだった。玄関で靴をぬいでいたら、管理人の岡部さんが、すぐになつ かしい顔を見せてくれた。山荘に上がりこんで、熱いコーヒーをごちそう になりながら、賽の川原をぬけるとすぐに雨がふり出したこと、前日の雨 で山道は川のようになっていること、この雨で雪は一気に消えはじめてい るらしいことなどを話した。

 集中豪雨は、この吾妻山も襲い、前々日からすでに百数十ミリの雨が残 雪をたたいていた。でも、気圧の谷は今夜中にぬけると予報があったので、 雨にたたられても………と入山してきたのである。

 山荘で体を温めているうちにも、空は薄暗くなり、雨はますます強くな りだした。そして、3時半ごろから、ものすごい雷雨となった。雷はすぐ 近くに来て10秒に1度くらいゴロゴロゴロ………と来る。いちばん激し い時は、1つ落ちるごとに地ひびきがして、窓のガラスがビリビリとうな った。そしてとうとう小屋の屋根にもドドーンと落ち、目の前のラジオが ピーンと音をたてた。岡部さん、さすがにこれには驚いて、包丁(彼は調 理場にいた)を落としそうになる。屋根に落ちたのは初めてのことだと言 っていた。

 1時間ほどでさしもの山の雷もようやくおさまり、静かに降る雨だけと なった。夕食はペミカンおじや。おにぎりをそのままペミカンのスープに いれただけだけど、ボリュームもあってとてもおいしかった。

 夜は、家形ヒュッテとり壊しのため作業を続けている5人の職人さんと いっしょにすごす。岡部さんにお風呂もわかしてもらって、とてもうれし かった。ヒュッテは雨の中で、今日、倒されてしまったとのこと。がんじ ょうな造りでとても苦労したと、人夫さんが話していた。

 雪の稜線をたどる

 翌朝は予想通り、雨があがった。ブドウパンとペミカン・スープで朝食 をとり、山荘をとびだす。上空はすばらしい快晴。一切経山と家形山には ガスがかかっていた。

 早いピッチで五色沼畔に出ると、とたんに冷たく強い風が体をたたく。 巨岩の陰に身をよせ、ウィンドヤッケを身につけた。家形山の頂にでると 同時に、濃いガスがたちこめる。ここからは、いよいよ、今度の山行の目 標にしていた県境尾根の縦走路にはいる。シラビソや栂の林につつまれ、 道は一メートルくらいの残雪で消されていて、たちこめるガスも手伝って不安な 気持ちにおそわれた。兵子から先は、ぼくにとっては未知のルートだった から………。





山ノートに記したルート図。斜線記入は残雪

 兵子への分岐で小休止。キャラメルを食べて気を落ち着かす。ガスと風 はなくなりそうもないけれど、ガスの割れ目から上空にときおり青空が見 えるのが心強かった。「不安定な天気には違いないけど、上が晴れている んだから、とうぶん崩れそうにない」 確信がもてなかったので、半分 は祈るような気持ちだった。

 ニセ烏帽子(兵子のつぎのピーク)は、雪の着いていない登りだった。 登りきったところは、背丈の低い木が林立する小さな頂で、ここから望む 烏帽子山は、大きな量感でせまっていて、北面には豊富な残雪がとりつい ていた。スパッツをつける。

 いいピッチでたどりついた烏帽子山の頂は、小広くて、木につつまれた その真ん中に岩で囲まれたくぼみがあった。風はあいかわらずだけど、ガ スは晴れ出して縦走路も明るくなりだした。烏帽子山の下りで、それまで の樹林の中の道を抜け出し、いったん、火山岩らしいのがごろごろしたカ ン木帯に出た。紅色のつぼみをつけたアヅマシャクナゲがきれいだった。 さえぎるものがなくなって、風が体をたたく。体がひんやりしだしたころ に、再び、縦走路は樹林の中にもどり、昭元山との鞍部に出る。北に10 メートルばかりのところに残雪に囲まれた小さな沼があった。

 そこから昭元山へは、膨大な残雪の上の登りとなる。三角点が立つ頂上 は狭い。眺望はいいらしいけれど、今は、ガスの中で展望が得られなかっ た。本当なら、1800bの標高を抜け出たこの山から、中吾妻の尾根の 向こうに、吾妻連峰の主峰といっていい西吾妻山(2024b)や、はる かに飯豊連峰が眺められるところである。

 ガスでルートを惑わされつつ、明月荘の小屋へ  

残雪にのったり、雪が消えかかった道をたどったりを繰り返して、さら に小ピーク(東峰)の登高をキックステップで越すと、足元はすべて雪と なった。この一帯からは、吾妻連峰も降雪量が多い日本海側の気候のエリ アにはいりこんでくる。厚い残雪で、道は完全に消えてしまった。これが、 福島・山形の県境尾根なのだ。ガスにまかれながら、注意深く進路を定め てすすんだが、ヤブが行く手をさえぎっている。「まずい。迷ったら大変 だ」。ヤブをこぎ、また雪の上へ。そしてまた、ヤブの中へ。前方のガス の中に、かすかに白くなだらかな大きなピークが見える。見覚えのあるそ の山容が東大巓だとわかったときは、ほっとした。立っている場所は、秋 に通過したことのある大倉新道との分岐付近に違いなかった。

 ここまでくれば、東大巓から北にゆるやかにのびる尾根の方向、2`た らずのところに、明月荘(避難小屋)がある。いつのまにか、また風が一 段と強くなっていたが、ガスが飛ばされた分、見通しが効く。大きな大き な雪田の登りにかかり、途中から北(右手)に進む尾根の上を慎重にたど って40分ほどで、前方に赤い屋根の二階建ての姿に見覚えがある明月荘 が見えてきた。

 小屋にはいって昼食をとる。

 明月荘から北東へ、滑川温泉への下山コースは、まず雪田のグリセード 滑降で始まった。一昨年の秋に下山ルートに使った道だが、残雪期はやは り様子が一変している。登山道は、滑川鉱山上部の沢にそってつけられて いるが、沢の両岸には雪がついていて、夏道は大事なところで使えない。 渡渉やトラバースが連続し緊張させられる。ついに、滝の下の渡渉で、水 量が増し始めた沢にジャボンと入るはめになった。それでも、野ウサギや 水バショウとの出会いもあり、天気も良くなって、さっきまでの重い気分 はとっくに消えてなくなった。鉱山跡からはようやく夏道が明瞭となる。 ヤッケ、セーターと順に脱いで薄着になりながら、滑川温泉への気楽な道 を、のんびりと下った。




(明月荘は、少し下がれば夏遅くまで残雪がある水場に 恵まれ、同じ年の夏、次姉らと泊まったときも人で一杯 だった。その後、この避難小屋は建て替えられ、地名を 冠して弥兵衛平小屋と名前を変えた。場所が同一かどう かは確認していない。)




山の便り、大地の恵み (野原森夫)
http://trace.kinokoyama.net  
東北の山 Index へ    HomePage TOP へ
記事、写真の無断転載を禁じます Copyright (c) Nohara Morio.
since Nov.2000