道志のタラの芽 93

一九九三年四月二十三日




 峠を越して、山腹をまきつつ、ほぼ水平に踏み跡をたどること四、五〇分。 みなが目標地点につき、立ち止まったところは、南西側にのびやかにひろがった、見晴 らしのいい斜面だった。斜面全体が、春の若芽の淡い緑色に染まっている。その薄緑のじ ゅうたんの上に、ポコポコと、抜き出ている、背丈の高いタラの木。どれもよく生長して 、太い幹の先には、ほころびかけた大きめの芽をつけている。そのタラの木が、広い斜面 の視野いっぱいに、はてしないほどに林立している。

 「すごい。これは、奥多摩の川苔山の群生地以上だ。おそらく、首都圏で最大規模(! )……。すごい。とにかく、すごい」。

 「どう? どんぴしゃりだっただろ、時期が。なにしろ、とって おきの穴場だからね」などと声も上がる。が、返事をなんてしたかも忘れてしまう 興奮状態で、体はもう目の前の斜面にいどみかかっていた。武器は、考案と改良をかさね た「タラの芽用長柄カギ」。掃除のモップの柄(長さ一・三メートル)に、太めのジュラルミン 棒(長さ一メートル)を取り付け、先端はカギ型に曲げている。生長したものでは、幹が四、五 メートルにもなるタラの木でも、斜面の上手でこの「長柄カギ」で腕を伸ばせば、幹の先端近く に難なく届く。幹を傷めず、軟らかくしならせて、芽を手元に引き寄せることができる。 引き寄せて、もう一方の手でポキンと芽を折りとる。

 それにしても、ほんとうに大きなタラの芽だ。幼児のこぶしほどの大きさがあるものま で、採れる。三、四メートル間隔で、次のタラの木が見えるが、斜面は結構、急なうえに、灌木 にからみついたツル性の野バラが通せんぼする。またぐか、のりかかるか、迂回するか。 泳ぐように、かきわけるように、前をめざすが、距離はなかなかかせげない。タラの木だ って、トゲは大きく、鋭い。股をトゲがこすり、肘に食い込む。痛い。熱い。目に汗がし みる。タラの芽採りという目的なしの、こんなやぶこぎなら、とんでもない拷問だのに、 なんといううれしさ。なんという、興奮のるつぼ。ポリ袋一つがすぐに一杯になり、背中 のザックに収容される。

 やぶをこぎつつ先行し、行く手のルートを確認しているメンバーもいる。ときおり、 「こっちが、進路だ」と、声を上げる。声はすれども、姿は見えない。同行のMさんも 、背丈のある太いタラの木が相手では、苦闘しているだろう。「この先の、枯れた一本杉 をめざすよ」と、またヤブのなかの声。「ハーイッ」と応じるが、ヤブは行く手をふさぐし 、目の前に現れるタラの芽は見過ごしてはもったいないし、二人のあとを追いかけるのは 容易でない。

 格闘を続けること半時あまりで、ようやく、小さく開けた茅の原に出た。みかんをもら って、一休み。もうザックはタラの芽で一杯だ。頭のてっぺんを切ったようで、ジジッと いう裂けるような痛みがある。タラのトゲで、知らぬまにひどくこすったのだろう。見る と、Aさんも、鼻のてっぺんに、ひっかき傷がある。Mさんは、私がタラの木の幹に ひっかけてしならせる細いロープを渡 したせいで、ロープがかえってやぶこぎのじゃまになり、苦労した様子だった。

 と、突然、上の方で「ザザッ」とやぶがざわめいた。「ん?」と、みな一瞬、沈黙。M さんが、どう思ったか、「こんにちわーっ」と、場違いに明るいあいさつの声を浴びせ ると、「やぶの主」はその声に反応し、ドッとすごい勢いで斜めに山肌を駆けくだってい く。やぶがとぎれたあたりで、一瞬その姿が視界にとらえられた。激しく飛び跳ねる、灰 色の腰。鹿か、猪だろう。「いやー、もしかして人間だったら、向こうも心配だろうと思 って」。Mさんの、あいさつのわけを聞いて、三人してひとしきり笑いあった。

 茅まじりの斜面は、傾斜をゆるめて、なおはるか下に続いている。谷底は、道志の小さ な集落で、春の畑が、緑や黄の彩りを見せている。その谷を隔ててせりあがっている丹沢 の山並みは、なかなかの量感だ。やわらかい日差しを浴びて、景色もみんなうれしそう。 「次は、右下の杉の林をめがけて下れば、道があるはずだ」とAさんがいう。ずいぶん 休んで腰を上げたのに、胸の動悸は、まだ興奮状態のままだった。





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