奥多摩・M集落に通って


 東京の立川、国立あたりの桜が満開になるのは、例年、四月初めのころになる。その桜 が満開になって、十日後になると、奥多摩のある駅前の小さな広場の桜が満開になる。 ちょうど、そのころ、駅から高度差で三〇〇メートルばかり登ったMという集落で、伐採 跡の斜面のタラの木が、いっせいに、食べごろの芽をふくらませる。
 そのM集落のタラの芽を採りに、七〜八年間も、家族で、そして山菜好きのメンバーら と、通い続けた。

 最初に、そのタラの木の群生地を見つけたのは、まったくの偶然だった。長男の岳彦が まだおむつをつけていたころ、四月中旬に家族三人で登山した(一九八四年四月 十五日)。沢ぞいの登山道は、キブシの花が見ごろで、水辺の若芽やコケの緑もみずみず しく、岳彦を背負って気持ち良く高度を上げていった。残雪の雑木林をぬけ、 滝をすぎ、伐採地の脇をのぼりつめると、山頂へ。下山は、小さな社のある尾根コース を選び、駅をめざした。タラの木の林を見つけたのは、その下山の途中でだった。

 下山の尾根道は、杉の植林が多くて変化が少ない。駅までもうひと下りのところ まできたところで、尾根の左手にグラウンド一個分ほどの伐採地が広がって いた。その伐採跡の斜面に、タラの木が見つかった。
 それは、鉛筆をわずかに太くした程度の、丈も三〇〜四〇センチしかない、タラの幼木だっ た。芽は、まだ時期が早くて、堅いつぼみのままだった。それに、木が若すぎるためか、 「青芽」ではなく「赤芽」だった。そのタラの幼木が、伐採跡の斜面全体に群生していた 。二〇〜三〇センチほどの間隔で、斜面が小さなタラの木で埋め尽くされているという感じだ った。

 二週間後、職場のHさんと、ふたたびその斜面に出かけた。こんどは、タラの芽は伸び 過ぎていて、芽から出た茎、葉が完全に開いていた。「来年になったら、タラも育って、 きっとすごいことになるぞ」。そんなことを言いあって、斜面を下り、林の中の踏み跡を たどると、道は突然、人家の前に出た。よく見ると家は傾き、茅葺きの屋根からは雑草や 若木まで伸びている。人がいつごろ去ったのだろうか。あたりを見回すと、廃屋は四軒あ って、ほかにも家の取壊し跡や朽ち落ちた跡が二〜三軒あった。地図で確かめると、ここ には「M」という集落が記されていた。雨戸がない縁側から一軒の中をのぞくと、中央に 囲炉裏を切ってあり、土間もあって、農家風のつくりだった。
 M集落からは杉林のなかに、しっかりした作業道が続いていた。I谷にそって、その道を たどると、三〇分ほどでI川の沢床にできた広い川原に出た。堰堤でさえぎられた土砂が たまったところで、道はここから林道に変わって、古里(こり)の駅まで続いていた。
 途中、旦那さんと秋田からダンプの出稼ぎにきたというおばさんに出会ったが、かごの 中にはワラビやアケビの芽など、いろいろな山菜が収められていた。

 翌年(一九八五年)は、Hさんと長男のTくん、おなじ職場のKさん夫妻、そし て息子の岳彦とともに、勇んでM集落のタラの木林へと出かけた。駅から上がって 、途中、サンショウの葉を摘み、登山道をそれて踏み跡をたどり、M集落 に到達した。

 斜面に出てみて、驚いた。タラの木は、わずか一年で、一メートル前後の高さに伸びている。 しかも、その密集度がすごい。数十センチの間隔でグラウンド一つ分ほどの斜面の、ほとんど 全体を埋め尽くしている。白い幹を直立させたタラの木が、暗い杉林を背景に群生してい る様は、異様でさえあった。芽も、やや小ぶりだけれど、もう十分な大きさだ。

 みんなで、それーっとばかりに、急な斜面にとりつき、タラの芽の収穫に狂奔した。中 腰になって四方に手を伸ばせば、それだけで四つも五つも、タラの芽に手が届き、収穫で きる。懸命になっているうちに岳彦(まだ二歳半で、よちよち歩き)と距離があいてしま い、泣かれそうになったり、頬をタラの刺で傷つけてしまったりしたけれど、……





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野原 森夫
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