雨と残雪の仙丈ケ岳

1991年6月22〜23日  N、I 、野原


 3年ぶりの南アルプス・仙丈ケ岳。前回は台風で頂上を踏めなかった。今度は 梅雨の真っ最中だったが、休みの都合は帰られず、入山した。雨天は覚悟のうえのこと。 足のそろったパーティーだったので、山頂は必ず踏めるだろうし、残雪がたっぷりの カールや薮沢も楽しみだった。

 6月22日、夜9時すぎに国立駅前を発って、デリカで雨の中央道を走る。日付が変わって 23日午前0時すぎに戸台のバス停留所に着いた。長野側まで来たのは、 この時期の一番バスが、広河原からは8時すぎにならないと出ないため。 デリカの中で仮眠。I さんだけは、外のベンチにシュラフを広げて眠る。

 5時起床。バスが出る前にスープとおにぎりで朝食とする。雨は上がって、雲の切れ間から 鋸岳が姿を見せる。
 6時30分、村営バスで出発する。仙流荘に宿泊していた登山者が大勢いて、マイクロバスは 2台で出発した。北沢峠へ登るバスからは、鋸岳の右に甲斐駒ケ岳も姿を現し、期待をもたせて くれた。

 7時20分、北沢峠に着き、すぐ出発する。
 小仙丈の尾根をたどる。1時間余りで薮沢分岐まで上がったところで、薄日がさしてきた。キバナシャクナゲ 、コケモモ、コイワカガミなどの花を撮影しながら登ったため、ここからはペースダウン。小仙丈の手前で昼食 を食べていたところで、雨が落ちてきた。結局、ここから先は終始、雨雲の中の行動となった。

 10時50分、本降りの雨の中、仙丈ケ岳の山頂に到達した。北岳はもちろん、20メートル先も 見えないような天候。10分だけ休んで、残雪を踏んで仙丈カールを下降し、仙丈小屋(避難小屋) に入る。この下降の途中で、ひどい頭痛が始まり、小屋に入って動けなくなる。今日は一気に3000 メートルまで高度を上げたため、高山病症状が出てしまった。30分ほど休憩するうちに、バスでいっしょ だった登山者らが小屋に入ってきた。二人は昼食をとったが、私は何も口にする気になれない。
 この避難小屋は、床が腐り、土間には水が流れこんで、ひどく狭く、痛んでいた。

 12時45分、馬ノ背ヒュッテ。途中の尾根で、ひどい下痢と嘔吐にあい、もう体はすっかり力が抜けて 歩くことができない。まだ営業していないヒュッテの軒下で雨をしのぎ、ツェルトを被って仮眠させてもらう。 同行の2人には本当に迷惑をかけてしまった。
 Nさんのメモ。「途中で野原さん、吐く。ヒュッテは休業中で、軒先でツェルトにくるまり、50分間休む。 顔色が少し赤味を取り戻し、一安心。」
 「13時30分、出発。当初予定の薮沢の雪渓をシリセードで下る計画は止めて、薮沢小屋を経て薮沢 分岐にもどり、登ったコースを下ることにする。野原さんの体調が悪く、ゆっくり下る。10分に1回の割で 休息する。」

 体はまいっていたが、最終バスに間に合わねば、という気持ちで、薮沢小屋からの歩きにくいトラバース・ルート をたどった。尾根の分岐点に着くと、本降りの雨となる。ゴアテックスの雨具が使いこんだたために、 ひどく漏って体が濡れる。3合目まで下りたところで(14時50分)、15時55分発の最終バスに間に合うメド がたった。
 Nさんのメモ。「1合目あたり15分かけて下る」
 「15時40分、北沢峠着。16時発。野原さんの高山病は、ウソのように治る。そばを食べる。」

 そばは、戸台のバス停留所の売店で食べたもの。高度が1200メートルほどまで下降した時点で、頭痛、 吐き気、悪寒は急速にひいて、標高850メートルのバス停ではまったく平気になった。

 やっと山頂を踏めたものの、高山病にたいして、前夜の睡眠時間、一気に高度を上げてしまった失敗、 高山病が予想される高度に、悪天のなかで上がってしまったことなど、反省の多い山行となった。
 仙丈ケ岳は、2度とも、試練の山となった。



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野原 森夫