新穂高温泉から双六沼、鷲羽岳、槍ケ岳

            1996年8月2〜7日  家族4人




 北アルプスに家族で登り始めてから十数年、84年 の剣岳をのぞいて、夏は毎年、天候には恵まれなかっ た。4〜5日間の縦走で、雨具を脱げたのはほんの数 時間、という山行もあった。今度の日程に、丸一日の 予備日をとったのも、そんな体験から。けれども、こ の夏の北アルプスは晴天が続き、山脈のすべての山々 を見渡せるような大展望が、私たちを待っていた。

 8月2日 夕方5時40分、東京・日野市で勤務を 終えた遥子を車に乗せ、八王子インターから中央道に 上がった。途中、夕食をとり、松本インターを8時3 5分に下りた。ここからは、走りなれた上高地への道 をたどる。沢渡(さわんど)をすぎ、釜トンネルの手 前から左へ折れれば、真っ暗な安房(あぼう)峠への 急登に変わる。峠を越えて、岐阜県側へ。途中、キツ ネがヘッドライトに浮かび上がった。午後10時25 分、ほぼ予定通りの所要時間で、新穂高温泉のバス・ ターミナルに着いた。

 登山者用の村営無料駐車場が、400メートルほど戻った ところにあり、ここに車を止めてテントを張り、シュ ラフにもぐった。夜半には、数台の登山者の車が到着 し、それぞれ車内やテントで仮眠をとっていた。
 ここまでは予定通りだったが、テントとシュラフを 車から出すときに、たいへんなことに気がついた。荷 作りには不可欠の背負子を忘れてきたのだ。遥子や子 どもたちの荷はそうは増やせないし、どうやって自分 の50リットルくらいのザックだけでパッキングでき だろう。すぐ脇を流れる蒲田川の急流の水音を聞きな がら、あれこれ考えて何度も寝返りをうった。

 8月3日 車や登山者の出発の音で目を覚ます。外 はすでに明るかった。
 背負子なしの荷作りをどうするか、気持ちは重いが 、とにかく、まずは腹ごしらえ。そして、荷物を再度 、きりつめなおし、そして詰めてみることだ。幸い、 狭い谷間の空は青い。テントをたたんで、5時半から 鮭と卵入りのおじや(凍結乾燥した軽量食品で、今回 、軽さを見込まれて初登場)の朝食をとる。担ぎ上げ て今日の昼食に割るはずだったメロンの大玉も、1人 4分の1ずつの大きな切り身にして食べてしまった。

 いろいろ思案したあげく、アタックザックの上にう まく荷物を固定することで、積載量をふやすことを思 いついた。ザックの袋の両脇に、下山時のステッキに 使う予定のスキー・ストック(3段伸縮式)を差し込 み、これを支えにテントなどの荷物を高く積み上げた 。あとの荷物も、なんとか全員のザックに収まった。 昨年とちがって、岳彦(中学2年)のザックのマチ幅 を広げて65リットルに拡張したこと、峻二(小学5 年)がサブザックから50リットルの中型ザックに昇 進し、シュラフや着替えをしっかり背負ってくれたこ とが効いたようだった。とくに岳彦は、食料箱を二つ と水5リットル分の水筒(4本)を背負い、20キロを 超す重量を背負っている。

 バス・ターミナルまで上がって身づくろいや水の補 給をおこない、6時40分に出発。

 今日は新穂高温泉(標高1100メートル)から、弓折岳 の北のピーク(2622メートル)をへて双六沼(2560 メートル)まで、標高差1500メートル余りの登高になる。双六 沼の幕営場への到着がどんなに遅れても、今日、この 行程を登りきってベース・キャンプを設置できれば、 明日からの行動にかなり余裕ができる。5日分の食糧 はずっしりこたえるが、どんなに時間がかかっても荷 物をかつぎ上げることだ。

 重荷の私たちにとってありがたかったのは、最初の 2時間近くの林道歩きのほとんどが、蒲田川左股に沿 って、沢音を聞きながら登る、木漏れ日の中の道だっ たこと。その木々も、笠新道の分岐(標高1350メートル )あたりからは太い大木が混じるブナの森に変わり、 涼風が頬に心地よい。道端には、ところどころコゴミ が群生している。コゴミは、駐車場のそばにもあった が、飛騨の人たちは、このうまい山菜をあまり食べな いのだろうか。沢筋には雪崩のデブリの跡の残雪がま だ残り、この冬の降雪の多さを感じさせてくれた。
 ワサビ平小屋をすぎると(午前8時40分)、しば らくで、道は林道と分かれ、左股川の河原の踏み跡を たどる登山道となる。小池新道の始まりで、すぐに左 股川を離れ、灌木帯の急登が始まる。初めての荷物の 量に、峻二が弱音を吐き出した。遥子も、初日はいつ ものことだが、ペースが遅い。岳彦だけが、重荷をま るで気にしない風で、ぐんぐん先へ登ってしまう。い ったん、全員がそろって休み、また、登高を開始。西 鎌尾根が見え始め、せりあがったその先には、小槍を 従えた槍ケ岳のピークも見え始めた。午前10時少し すぎ、水音がうれしい秩父沢の渡渉点(1720メートル) に着いた。





 秩父沢は、抜戸岳(2813メートル)の東面を流れ下る 沢で、渡渉点の上部は、稜線まで急角度の雪渓がせり 上がっている。登山道がこれから向かう弓折岳の方面 も、残雪が谷を埋め、岩の暗い灰色、灌木の緑と、鮮 やかなコンストラストを描いている。ガスは舞ってい るけれど、まず申し分のない快晴だ。
 秩父沢を架設の橋で渡り、さらに急になった道に喘 いで、シシウドヶ原(2090メートル)の雪渓に出た(1 2時07分)。雪が融けたばかりの傾斜地に、名前の 通り、シシウドの若芽がいっせいに顔を出している。 この芽が伸びてシシウドの原と化すまでには、まだ2 〜3週間はかかりそうだ。

 ここから鏡平へは、山腹をいったんまいて、小さな 沢筋へと移り、その沢筋にそって登ることになる。突 然、目の前が開け、湿地を埋めた雪田の上に出た。周 囲の斜面は芽吹いたばかりのコバイケイソウやシダの 仲間で、やわらかい若緑の色彩でおおわれている。そ の中に、比較的大きな葉を八方にひろげ、白ないし淡 い桃色の7〜8センチの花弁をつけている花が目についた 。キヌガサソウだった。清潔感がありながら、けっこ う派手でもあるこの花は、雪田の周囲にいくつもの群 落をつくっていた。

 先行した岳彦が、小屋が見えると、ハイ松の向こう で叫んでいる。小さな池が散在する小広いテラスのよ うな場所に、鏡平小屋(標高2300メートル)が建ってい た。午後1時32分。名物のかき氷は、氷が切れて、 できないという。ラーメンをたのみ、大休止とする。 水は1リットル100円で売っているが、この先に水 場があるので、補給はそこまでがまんすることにした 。

 鏡平からは、稜線上の弓折岳の肩まで、登りはいっ そう傾斜を増す。峻二は「いつまでも、下の鏡平小屋 が近くに見える」といって、行程がはかどらないのに ぐちをいう。実際、ペースはがくんと遅くなった。新 穂高温泉からは10くらいのパーティーがいっしょに 登ってきたが、ほとんどは小屋泊まりの軽装で、先へ 行ってしまった。それでも、弓折岳の肩をへて稜線歩 きになると、きびしい登りからはもう解放され、雪田 やお花畑が連続するやさしいコースとなる。槍は見え ないが、穂高連峰は切り立った岩壁を見せて、屹立し ている。

 二つ、三つと稜線のピークを越すと、前方に鷲羽岳 が現れ、その前景の鞍部に双六小屋と幕営地が見えて きた。双六岳は、風船を膨らませたような、ボリュー ムのある山体で、大きな雪田が張りついている。その 山すそに、銀色に光る双六池があり、テントが30張 りほど立てられている。最後のハイ松の中の下り。岳彦人は先行して、いい天場をさがしているはずだ。

 双六沼に午後4時30分すぎに到着。ひどく疲れた が、とにかくこれで、こんどの山行のメドはたった。 幕営地は鞍部の下になっていて、南西の双六谷方面か らの風がけっこう強く、寒い。遥子が吐き気を訴えて いるので、テントを張って、すぐにシュラフに寝かせ た。小屋で缶ビールを手に入れてテントに戻り、体の 力を抜く。一口めが、ほんとうにうまかった。



 夕食は、若鶏肉の照り焼き(真空パック)と、たま ごスープ、山菜おこわ(アルファ米)。子どもたちは 元気に食べたけれど、遥子は気分がよくなくて、ほと んど食べられなかった。あとで、コーヒーとクッキー をおなかに入れてもらった。
 夜半は、ときおり、雨がテントをたたいた。

 8月4日 隣りのテントが暗いうちに撤収して出発 していったあとも、うちはそのままひと眠りした。5 時半に起きて、朝食(パン、野菜サラダ、チーズ、コ ーンスープ)をとる。今日は、往復12時間で水晶岳 をピストンする予定だが、峻二がいま一つ元気がなく 、遥子は昨日の不調がまだ尾を引いている。とにかく 行けるところまでいってみよう。荷物は行動食と雨具 だけ。岳彦と二つのザックに分けて、遥子と峻二は空 身で出発する。6時42分。

 往路は、双六岳と三俣蓮華岳の山腹をトラバースし てすすむ。去年、黒部五郎岳をへて縦走してきたとき 、三俣蓮華岳の花と残雪の多さに驚いたが、このトラ バース道は東面だけに、やはり雪も沢水も多く、それ だけにお花畑は見事だ。ハクサンフウロ、チングルマ 、ミヤマキンポウゲ、ハクサンイチゲ、クルマユリ、 ヨツバシオガマなどなど、色とりどりの群落が連続す る。トラバース道が三俣蓮華岳の頂上近くまでのぼり つめるところでは、丸山(2854メートル)の東面が全 面に渡って雪田におおわれ、すばらしい雪の大斜面を 形作っていた。岳彦も峻二も元気一杯で先行する。し かし、遥子は吐き気が続いて、何度も立ち止まる。疲 労だけでなく、高度障害の一種のようだ。

 「さあ、三俣山荘で、また、あのうまい、ラーメン を食べよう」。声をかけると、子どもたちは大喜びで 走り出す。小屋から先はどうしようか。遥子を置いて 、男3人だけで水晶岳を往復することも考えたが、小 屋の食堂でその話をきりだすと、峻二は「お母さんと 残る。ぼくは行かない」という。結局、小屋から鷲羽 岳をピストンし、帰りに、去年も山頂を踏んでいない 三俣蓮華岳などを縦走する尾根道をたどることに決し た。水晶岳は、去年は降雨の予定変更で登れず、今年 もまたまた、登頂できないことになったが、三度、来 くることにしよう。



 小屋で50分休んで、午前10時ちょうどに4人で 出発。いつのまにかガスがどんどん風で飛ばされて、 すばらしい青空が広がり始めた。400メートル近い高度差 があるだけに、鷲羽岳(2924メートル)は目の前をたち ふさぐような大きさと高さでそびえ立っている。遥子 もやや調子をとりもどし、ゆっくりと、ほとんど休ま ずに登って、11時36分に山頂に立った。
 北にはワリモ岳(2888メートル)の上におおいかぶさ るように、水晶岳(2986メートル)が頭一つ抜け出して いた。ここまで来ても、まだ遠い山、2年続けての挑 戦でも、登れなかった山だ。  南には、残雪が一番、大きく見える祖父岳(282 5メートル)が目の下にあり、雲ノ平へと続くテラスが連な っている。そして、黒部の源流を隔てて、巨大なカー ルが口を開けた個性的な山容の黒部五郎岳(2840 メートル)。三俣蓮華岳、双六岳も雪が多い。
 南東にはガスが拭き払われて穂高連峰から槍ケ岳( 3180メートル)、そして北鎌尾根のギザギザの稜線が空 に切り込んでいる。東には常念岳(2857メートル)、大 天井岳(2922メートル)が意外なほどに高く見え、その 稜線は燕岳(2763メートル)と餓鬼岳とに連なっていた 。

 「お父さん、ここは、本当に山の中なんだね」と子 どもたちがいう。「いままで北アルプスに登ったなか で、一番の展望だね」と遥子と言葉をかわした。

 絶好の展望台=鷲羽岳を後にして、こんどは三俣蓮 華岳に登り返すと、ときどきガス状の雲が走り抜ける 程度で、上空の雲はもうまったく見当たらない、これ 以上はないという快晴になってきた。三俣蓮華岳の山 頂。なんといっても間近に見る黒部五郎岳が迫力があ る。昨夏にたどったカールの中の踏み跡も、印象的だ った巨岩も、はっきり指呼できる。槍ケ岳は、やや左 に軸を傾けた三角錐型だ。



 双六岳へ向かう尾根ルートをたどって、丸山 を越え、ここからは「中道」と呼ばれる下降ルート をとった。ここは人もめっきり少なくて、花はすばら しく多い。立ち止まっては、地面にかがみこんでカメ ラを構えて、私が一番、どんじりになった。3人に追 いついて見ると、遥子は「黒ユリも撮れたでしょう? 」という。「えっ、それもあったの。どこに?」「下 降し始めてすぐのところ」「うーん、おしいことをし た」。

 それでも、帰り道の収穫の一つに、ちょっとした発 見があった。去年、北ノ俣岳から神岡新道へ下降する 途中の湿原で、「スゲ」の仲間のような赤い植物で、 図鑑に出ていない不思議なものを見つけたが、その正 体がわかったこと。わかってみたら珍しい植物でもな んでもなかった。イワカガミとコイワカガミの花が散 ると、ガクの部分がめしべをとりまいて赤い実を形作 る。北ノ俣で見つけたのは、その実で、三俣・双六の 「中道」では時期がちょうど合ったのか、その「赤い 実」や移行期で花びらが散り始めたものなどを、幾つ も目にすることができた。

 今回目にしたもののうち、コバイケイソウは、この 一帯ではどこのものも花を咲かせているものはなかっ た。去年は稜線のどこでも白い花が咲き競っていたの に。コバイケイソウは決まった周期でしか花をつけな いのだろうか?

 双六沼には、午後4時40分着。夕食は、若鶏味噌 漬け肉(真空パック)の野菜いため、スープ、野菜サ ラダ、ごはん(アルファ米)。遥子は、また吐き気に おそわれてシュラフに入って、食べられなかった。
 夕方から、一転して、断続的な雨となる。明日は、 ほんとうは槍ケ岳へ行きたいが、遥子は体調が悪く停 滞するか下山したいと言い出す。岳彦と二人で槍をピ ストンすることも考えた。

 8月5日 明け方も雨が断続的に降り続く。遥子に スープをつくってやり、相談するが、天候からいって 下山の線が強くなる。とりあえず、もうひと眠り。  5時すぎに目を覚ますと、雨が止んでいた。テント から顔を出したら、ガスが切れると、上空は青空が広 がっているのがわかる。4人で相談し、遥子の体調が もどりつつあることも確認して、槍ケ岳へ、西鎌尾根 の縦走をおこなうことに決める。

 おじやとスープの朝食を急いでとり、6時50分、 出発。今日は終始、水が得られないコースなので、岳彦人は5リットル分の水も背負った。私の高山病対策で 濡れたテントも岳彦にまわったので、荷物は初日より も重いかもしれない。
 最初は、樅沢岳(2755メートル)へのジグザグの急登 。天気はどんどん回復して、笠ヶ岳方面も、鷲羽岳方 面も、稜線はくっきりと見渡せる。ここからは、ピー クを一つ越すごとに、槍ケ岳と北鎌尾根がぐんぐんと 近づいてくる。深い谷からせり上がる岩稜も、一つ一 つを目でたどれるほどに、槍ケ岳の姿は精緻さを極め てくる。大喰岳から南岳、大キレットから北穂高岳へ の荒々しい山肌も間近に見渡せる。稜線近くには南岳 の小屋も見える。今日は、できれば、あそこまでいっ て幕営したい。

 硫黄乗越の雪田の休み場をすぎ(8時23分)、千 丈沢(左手)と水鉛谷(右手)のやせ尾根にかかると 、3ヵ所の鎖場がでてくる。峻二を補助ロープで確保 して慎重に通過。この先には鮮やかな赤色のタカネナ デシコやウスユキソウの群落が点在していて、心が和 んだ。

 千丈沢乗越(2734メートル)に11時40分着。
 槍ケ岳は、もう頭上にのしかかるような岩の固まり と化し、遠景で眺めた優美さはない。標高差450メートル 。ガレ場を電光形にせり上がる猛烈な急登が始まった 。一歩ごとに大きく一回息を吐き、吸って、足をすす める。今度の山行では、「持病」の高山病(一過性の 高度障害)を考えて、きつい登高のときにはいつも、 この呼吸法を続けてきた。また、1ヵ月前からは階段 を毎朝30〜40分間昇降運動したり、朝、ランニン グするなど、体にある程度の負荷をかけるトレーニン グも行ってきた。丹沢山から蛭ヶ岳への縦走の機会に も、このトレーニングの期間に恵まれた(7月29日 )。それでも、3000メートルラインの突破はこれまでの 体験からいって、苦痛ぬきにはむずかしそうだ。途中 、荷物を下ろして休憩をとるが、空気が薄く感じ始め たのは悪い予兆だ。

 午後1時49分、槍の肩(3060メートル)にようやく 到着。頭痛はいつもほどではないが、軽い吐き気とひ どい倦怠感がして、体を横にしたくて立っていられな い。先行した岳彦が槍岳山荘に手続きをして天場を手 配してくれていたので、その場所(サイト番号A)を さがす。このとき、すぐに休めばよかったのに、場所 がわからずに動き回ったため、体がまいってしまった 。岩場に指定のテント・サイトを見つけて荷物を下ろ すと、そのままそこに横にならせてもらった。
 「まったく、うちはうまくいっているね。私が元気 になると、こんどはお父さんがこれだから」と遥子。 岳彦と峻二は、ザックからテントを出して、設営を始 めたようだ。「ペグが刺さらない」とか「石を使って 止めろ」とか声がかかる。遥子が「じゃ、中に入って 、横になって」と声をかけてくれたので、テントに入 れてもらい、目をつぶった。気分は悪いにはちがいな いが、ひどいときはもっとひどかった。去年の黒部五 郎岳のときは2800メートルで症状が出たのだから、この 程度ですんでいるのはトレーニングのたまものだ。そ れに、高山病は一過性の持病(体質)だとわかれば、 最初に急襲されたときのような恐怖感にはおそわれな い。

 2時間眠って、午後4時前、快調な気分で目を覚ま した。もう大丈夫。南岳への縦走は時間的にもできな くなったが、とにかく槍に登ろう。遥子の話だと、槍 の最後のツメを怖がっていた峻二も、登る気になって いるという。ザックに水を用意し、槍岳山荘の前へ出 た。ここで、公衆電話で明日の宿の予約を入れている うちに、遥子、岳彦、峻二の目の前で、大変なことが 起こった。  山頂のすぐ下の、上から2番目のはしごから、人が 落ちたという。頂上からの落石が当たってはしごから 落下し、体が1回転半して途中の岩の斜面に止まった という。ちょうどいあわせた岐阜県警の山岳救助隊員 らが、ザイルやユマールをもって上がる。山頂は登山 が一時中止になり、大勢の登山者が作業を見守る。収 容されたのは40代くらいの女性で、後頭部に大きな けがをしているようだった。

 

山頂に登れるようになったが、とりつく人はほとん どいない。みんなで行こう、というと峻二は「ぼくは いやだ。登らない」といい、遥子も「峻二が残るなら 、私はいないとだめ」という。岳彦と二人で登ること にしたが、登りは13分、下りは8分で往復できた。

 ヘリが肩に舞い降りて、応急処置を受けた負傷者を 搬送して行った。
 夕食はマーボナスと山菜おこわ、スープ、野菜サラ ダ。

 その夜は、入山後、初めて雨も降らず、大きく、明 るく輝くたくさんの星々が空を埋めつくした。天の川 がミルク色の帯をたなびかせながら、星の空間を大き く二つに切り分ける。遥子と二人で歓声をあげて、に ぎやかな星空に見とれた。明日も好天だろうから、4 人で登るよう、もう一度、みんなで話しあってみよう 。

 8月6日 暗いうちから、テントのある岩場にも小 屋から人が押し寄せた。御来光の瞬間には、槍の肩に たたずむ登山者がいっせいに歓声をあげ、一筋の光が テントを明るく照らした。通気口からのぞくと、槍ケ 岳は晴天の薄明のなかに暗い岩壁を堂々と押し立てて いる。

 みんなを起こすと、峻二も「登る」という。温かい スープとクッキーで腹ごしらえをして、午前5時36 分、出発。岩場にとりつく前に、念のため、峻二を補 助ロープでしっかり結んだ。








 登りは、途中までは順調にすすめたが、頂上の下の 2段のはしごが「一方通行」になっていないため、頂 上の登山者が30人ほど降りきるまで、20分ほど待 機させられた。再度、登りを開始して、6時15分す ぎ、槍ケ岳の山頂に立つ。遠く薬師岳、立山、剣岳の 八ツ峰の尾根が確認できた。



 東には雲海に浮かぶ富士山と、その手前に甲斐駒ヶ 岳から北岳、間ノ岳が見えた。南アルプスの稜線は、 塩見岳、荒川・赤石連峰までたどることができた。槍 ケ岳から南に連なる稜線では、北穂高岳と滝谷のドー ム、そして一段高く、奥穂高岳が見えるが、前穂高岳 から北尾根が落ち込む様がもっとも荒々しく目をひく 。そして、西南にぽっかり浮かぶようにそびえる笠ヶ 岳は、山頂のやさしい陣傘スタイルと手前にたちはだ かる抜戸岳の険しい山容の対比がおもしろい。それら の山々をカメラに収め、記念写真を写して、下降を開 始。こんどは空いていたので、6時46分に肩に降り たった。

 あらためてホットケーキの朝食をすませ、テントを 撤収し、下山にかかった(8時40分)。

 飛騨乗越(3005メートル)からは、飛騨沢源頭のガレ 場をジグザグの踏み跡をたどってぐんぐん下る。途中 、2100メートル付近で大喰岳側から流れる小沢(沢形が 不明瞭なほど小さい)に最初の水場があり、ここで水 分を補給(夕べの槍ケ岳では1リットル200円の水 を7リットル買った)。槍平小屋に11時30分に着 き、昼食をとった。

 標高差では1000メートルも下りたが、新穂高まではこ こからが長い。途中、滝谷の凄惨な滝の落ち口と雪渓 、岩壁を見上げたりしながら、ぐんぐん飛ばして、白 出川の涸沢を渡って林道に上がった(午後2時12分 )。穂高平小屋(標高1240メートル)まで下ると、温泉 街は近い。ここにも、大きな雪崩の跡があり、さしわ たし十数メートルもある巨大な雪の固まりが泥まみれになっ て残っていた。4人とも足の裏が痛いという。あんま り痛いから、登山靴を破裂させそうなほど、足が腫れ ている感じさえする。蒲田川右股川の水と岩の色があ まりによくて、釣りのいいポイントが連続しているの を眺めたりしながら、気をまぎらす。

 午後3時45分、新穂高のロープウェー駅まで下り ついた。私たちは、登山靴を脱げるのがうれしくて、 膝や足首も痛がっていた峻二は汗と涙の顔を拭いて、 開放感を味わった。岳彦はまだこれから登れるような ほど、平然としている。ごほうびは、茶店の前の水槽 で、よく冷えていたスイカ。4つに割ってもらってか ぶりついた。あとは予約していた平湯の宿へ直行だ。 「お父さん、露天風呂もあるの」「当然だよ。いまは 温泉が一番のごちそうさ」。宿では、屋上の野天風呂 に星を眺めながら浸かったりして、一晩で5回も湯に 入り、体をあたため、ほぐした。




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野原 森夫