白馬三山縦走
1987年8月23〜25日 家族4人
岳彦(4歳)、峻二(1歳)




白馬岳の雪渓のなかほどで


 夏の家族山行(1987年)は、北アルプスは初めての二男も加わって家族4人で白馬岳をめざすことにし た。長男は4歳11ヵ月。四季おりおりにハイキングを重ねてはきたが、白馬三山縦走となると、行程15キロ ほどになる。小屋をはしごして、なんとか歩きとおせるかな。天気も心配されて、不安のなかの出発だった。

 8月23日、立川市から特急あずさで中央線・大糸線経由で白馬駅に着く。
 いまにも雨粒が落ちてきそうな空模様だ。バスで猿倉まで上がり、そこから砂利道の林道を登って白馬尻の村 営山荘まですすんだ。
 今夜は、この小屋に泊まる。夏の終わりで、宿泊者は3家族と寂しい。




白馬尻で、朝御飯の前に雪渓を見に行った


 24日、起き出して外に出る。小屋の裏手にまわると、雪渓はすぐ上手に見渡せる。下部は雪が崩れ、小屋の北 側をごうごうと沢水が流れる音がする。
 雪渓の上部霧の中に包まれて、稜線は見えない。雪渓が途中まで見渡せて、岩の尾根にはさまれて、なかなか 迫力のある眺めだ。スナップ写真を撮る。

 小屋の朝ご飯はハムエッグで、けっこうおいしい。
 出発。今朝、猿倉に着いた登山者が登ってくるが、夏の終わりのこの時期はやはり人が少ない。
 小屋を発って、200〜300メートルほどやぶの中を登り、雪渓の縁に出た。雪渓は中央部が落ち込み、大きく 割れ、切れ切れになっていて、すぐには雪に乗れない。右岸の踏みあとをたどって、高度を上げる。




小屋の朝御飯




















 雪渓にのって登ってゆく登山者を右方向に見ながら、ガレの踏み跡をたどってさらに200メートル余りすす んだ。
 雪渓がかなりしっかりしている場所まできて、踏み跡を離れ、雪渓に乗った。
 乗ってみると、気温が下がってきつつある時期だけに、靴のグリップが効かないくらい固い。大きくスプーン カットしていて、汚がべっとりとついている。岳彦は、大苦戦。ツルリ、ツルリと足をとられ、「もう、雪の上は いや!」と半ベソをかき始める。デコボコの雪面を使って、足をしっかり乗せて登るように、岳彦にやってみ せる。







 それにしても、雪渓上の落石はおびただしい数で、人の胸くらいの大きさのものも見られる。雪渓上の落石は音 がほとんどしないため、ガスが濃かったら怖いところだ。
 雪渓は細く痩せた場所もあり、クレバスを巻きながらルートをとる。アイゼンなしで大丈夫だが、足場には気を 使う。と、そこだけ足元の雪が氷状に固まっている場所があって、前のめりに転んでしまった。背中の峻二は、驚 いたろうが、何かの歌なのか一人で機嫌よく声を上げ続けている。










声をかけると峻二は手をふった














 2合雪渓の上で左岸(上流から見て)のガレ場の登りにかかる。電光形の足場の悪い急登だ。対岸の杓子岳の北 東面は崩壊がすすんでいて、乾いた落石の音がときどき聞こえてくる。私たちが登るルートは小尾根状になり、傾 斜がぐんと増してジグザグに高度を上げて行く。ルートの右手の枝沢には、細く急傾斜の雪渓が岩場へと登りあ がっている。




葱平へあがる





葱平付近


 途中、ハクサンフウロの花に見とれながら葱平(ねぶかびら、ねぷかっぴら)で昼ご飯にした。ここの地名のも とになったシロウマアサツキも見られる。ここからは残雪が順次、消えていった場所に、花の姿が多くなる。

 また登り始めて、しばらくで、登山道はゆるやかな湿った場所をたどるようになり、道の両側にはこれまででい ちばん広いお花畑が広がっている。右手の源頭には大きな雪田が広がっている。




杓子岳を背に





白馬岳山頂  写真が古く色抜け





村営頂上山荘から、白馬岳山頂方面


 村営頂上山荘の前に着く。大休止。40人ほどの登山者が、おもいおもいに休んでいる。

 村営山荘から、ひと登りして、ようやく今夜の泊り場の白馬山荘に着いた。
 宿泊の手続きをして、部屋に荷をおろし、山頂へ向かう。
 ここまできて、今日初めての青空が広がりだした。2933メートルの白馬岳山頂へ。
 岳彦はとうとう自分の足で、この山の頂に立った。峻二も背中で「ヤツター」と声をあげた。時計を見ると、白馬 尻から9時間もかかった。子どもの足では、やはり相当な長丁場だったと思う。
 私は、なんだか顔色が悪く、頭が痛い。(2年後、北岳の登山で高山病症状を発症。自分の体が高度を上げると反 応しやすい体質であることに気づくのは、そのときになってからだった。)




白馬岳山頂





杓子岳と奥に白馬鑓ヶ岳


 山頂から、岳彦を3年前に担ぎ上げた剣岳、立山、遠くには槍ヶ岳、穂高連峰も眺められる。
 峻二は、岳彦の剣岳登山とほぼ同じ1歳10カ月で、初めての北アルプスの頂に到達したことになる。

 山頂から小屋にもどって、みんなで並んでふとんをかぶり、昼寝した。
 部屋は15人は入る中部屋。今日は5人で使う。この時期は登山者がぐっと減って、小屋の東の棟には客をいれてい なかった。




山荘から朝日をあびる杓子岳方面


 25日、今日は、長い行程になる。杓子岳、鑓ケ岳を縦走して、白馬鑓温東経由で猿倉へ戻る。




右、白馬岳と、左に旭岳





白馬岳と手前は村営山荘。テントが見える








 白馬三山は、それぞれに個性的な山容だが、共通しているのは、東側が岩の断崖となった非対称地形になっていると ころだ。そのかわり、富山側は天上の遊び場のようなのびやかな緑の斜面が広がっている。ずっと下の谷こそ、黒部川 のきびしい支流になっているが、源頭部は緩斜面が続き、池塘もいくつも数えられる。この一帯や旭岳から 清水(しょうず)岳の尾根筋は、北アルプス北部ではもっともよく自然が保存されてきたところだろう。
 キツネだろうか。山の苺かなにかを食べて未消化のフンが岩の上にあり、見つけた岳彦たちが声を上げている。













 杓子岳は、稜線の富山側のトラバース道をたどった。杓子岳から白馬鑓ヶ岳に続く稜線は、剣岳から薬師方面、五竜 岳からはるかに槍・穂高連峰の方面が、それぞれ眺められるポイントが続く絶景の稜線だった。  白馬鑓ヶ岳の山頂からは、白馬鑓温泉へ下降する。
 途中、大出原(おいでっばら)はハクサンコザクラやクルマユリ、ミヤマキンポウゲが一面に風に揺れていた。チン グルマなどが終わっても、あとからあとから開花する花が続く、白馬の植物の奥ゆきの深さをを感じた。




白馬鑓ヶ岳から、剣・立山連峰





五竜岳方面





白馬鑓ヶ岳にて





大出原への下降で、白馬鑓ヶ岳


 大出原を通り過ぎると、下りが急になり、鑓温泉。
 大きな露天風呂に透明な湯があふれるが、登山者は少なく、一人しか入っていない。急斜面に張りつくように建てら れた湯宿だった。




大出原への下降で


 鑓温泉からの長い下り。杓子沢の手前までクルマユリなどの花が多い。沢を小さな仮設の橋で渡り、急なトラバース 道をゆく。小日向のコルを越えるあたりで、本降りの雨になった。雲が厚く日は差さず、登山道はしだいに暗くなる。
 この日の行動は長かったようで、雨で先も心配したのか、岳彦が泣き出した。こんどは私の背中にかわっていた峻二 も「おうち、いく」と心配げだ。無理をせずに鑓温泉にもう一泊すればよかったのかもしれない。
 登山道が森の中に入ると道の両わきにキノコが見つかり始め、岳彦は気をとりなおして歩き、夕暮れの猿倉へ着く。休 みも入れて11時間の行動だった。

 猿倉発の最終バスはとうに出た後だった。売店で教えてもらい、タクシーを頼んで白馬駅まで夜道を走る。
 駅に着くと9時前で、列車はもう終わっていた。4人で呆然としたが、小さな子どもを連れた姿が目に止まったのだ ろうか。駅員さんのご好意で、仮眠室のベッドで深夜の列車を待たせていただいた。

 

 夜行列車の中、いろんな方に励ましていただいたり、助けていただく山行になったことを思った。
 岳彦は、よく歩いたと思う。途中すれちがった何人もの人に「えらいね−」と声をかけられ、それを励みに登りとお した。峻二も元気に白馬三山一周ができた。



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野原 森夫