涸沢から奥穂高岳

           1991年7月31日〜8月3日  家族登山

 たとえ展望が得られなくとも、家族で登る山は楽しい。その山が、日本第3の高峰・奥 穂高岳(3190メートル)となれば、なおさらである。今夏の穂高連峰は「まだ、梅雨が明け ない」と山小屋のオーナー氏が口にするほどの雨続きで、岩の殿堂と称される主稜の峰々 はついに1度も姿を見せてくれなかった。でも、残雪の谷と岩壁に囲まれた涸沢のキャン プは最高だったし、岳彦(小3)は荷物を担いで終始、元気に登っていたし、峻二(5歳 9カ月)は片道20キロを超すハードな山道を最後まで自力で歩き、全身を使って登攀し て見せた。





上高地から奥穂高岳へのルート。カシミール3D(DAN杉本 作)で描画。
国土地理院数値地図50メートルメッシュ標高を使用。



ザイテン・ブラザーズ



沢渡に車をおいて、上高地へ
〔7月31日〕

 沢渡に車を置いてタクシーに乗り継ぎ、上高地のバス・ターミナルに着いたのは、午前 7時前。手早く荷作りをして出発する。空は明るいが、岳沢の上部にはガスがかかり、前 穂高岳、奥穂高岳は姿を見せてくれない。それでも、平日の朝の梓川河畔は人の姿も少な く、心地よい水音を耳にしながら元気に歩をすすめた。小梨平キャンプ場を抜けた森の中 で、おにぎりの朝食にする。

 明神橋をへて、色とりどりのテントがならぶ徳沢キャンプ場をぬけ、屏風の岸壁を見上 げる横尾に11時20分着。餅入りラーメンの昼食を作る。さすがにテント泊まりの装備 と食糧は重く、荷を下ろして座り込むと、すぐには動く気がしない。なのに、子どもたち は、休憩のたびに辺りを動き回り、遊ぶ材料を物色する。今度も、倒木に群がるカミキリ ムシを何匹も見つけて、大騒ぎしている。体に似合わぬ大きなザックを背負ってきた岳彦 も、ケロッとして動き回り、「川で遊んでくる」などといって走っていった。こちらは、 今朝、午前2時半に立川を発って走り続けてきたから、夕べは4時間も寝ていない。木陰 に敷いたシートの上で目をつぶる。



横尾の吊り橋

 横尾からは、屏風岩のツルツルの大岸壁の下を回り込むように進む。沢沿いの道の登り が次第にきつくなってくると、北穂高岳の下部の残雪が目に入ってくる。今日の泊まり場 、涸沢カールは近い。峻二が「もう疲れた」とぐずりだしたが、励ます親の方も、2人と も重荷に耐えて、やはりしんどい。
 と、はるか前方の緑の高台に、紅白の旗を掲げたポー ルが1本見えた。小屋の赤屋根も見える。そして、色鮮やかなテントも数えることができ る。「おい、見えたぞ。あそこが涸沢だ」。この一言で、子どもたちも、遥子も、もちろ ん自分も、気持ちがいっぺんに元気になった。そこからが遠くて、なかなか、旗のポール は近づかなかったけれど、歩くごとに人の姿も、煙も見え始め、テントの数はますます多 くなる。途中で雨が降りかかり、雨具を着けて登り直す。最後は、残雪の脇の道を、カー ル・モレーンの高台の上に立つ涸沢ヒュッテまでひと登り。岳彦、遥子と元気な順に先に ヒュッテに向かい、追いかけて峻二と私が到着。午後4時45分。高校生のころから、 いつかはテント生活をしたいと考えていた涸沢カールに、ついにやってきた。

涸沢は、岩の峰に囲まれた、巨大な鍋の底

 なんて広い空間なんだろう。山頂部こそ姿を見せてくれないけれど、3000メートルを超す 岩山に3方を囲まれた、その1番、底の部分に、いま自分たちが立っている。まるで、巨 大な鍋の底が、この涸沢のカールではないか。前穂と奥穂をつなぐ吊り尾根にせり上がる 急峻なルンゼ。その谷を埋める残雪の量がすごい。豊富な雪の上には、スキーのシュプー ルを描く人影も見える。谷を埋めた残雪が、私たちの方に向かって流れ下り、ひろがって 、広い広い雪田をつくっている。その雪田に接するように、今日、私たちが泊まるキャン プ場がある。北穂の側からは、崩壊がすすむ沢の源頭部からガレと土砂が流れ下って来て いる。駆け下るガレの傾斜が緩くなり、カールのふちに向かって広がった場所が、キャン プ場だ。「ちょっと、怖いな」と思い、テントはできるだけ北穂側のその沢から離れて張 ろうと思う。

 キャンプ場には、テントが5、60張りほど。着いて荷を下ろしたばかりの私たちも、 テント張りと風よけの石組み、荷物の整理、それに水くみと仕事は多い。子どもたちと分 担しあっててきぱきとすすめる。以前より、ずいぶん楽になったなあ、などと思いつつ、 缶ビールをグイと流し込む。

 夕御飯は、家から凍らせてもってきたミート・ソースの、スパゲッティ。雨がテントの 布地をたたくのが気になったが、明日は少々の雨でも稜線までは上がろう。疲れたけれど 、みんな元気。午後7時すぎにはシュラフにもぐった。

テントをデポ。ザイテングラードを白出乗越へ登る
〔8月1日〕

 山では子どもたちに好評のホットケーキを焼き、カップスープとコーヒーで朝御飯をす ませて、出発する。午前6時58分。

 最初は北穂側に向かってガレを登り、涸沢小屋の2階のテラスを通って見晴らしのよい カールの中段の台地に登る。そこからは、カールの鍋の中段を500〜600メートルほど大き く回り込むようにトラバースし、大岩の上のテラスに出ると、いよいよ恐竜の背中のよう なザイテングラードの岩尾根の急登になる。尾根の前穂側、雪が溶け出したあたりには、 シナノキンバイ(黄)、ミヤマキンポウゲ(黄)、チングルマ(白)、ハクサンイチゲ( 白)などが咲き競っている。

 「ほんとに恐竜の背中みたいなところだね」「あっ、ここの岩穴は熊の巣じゃないか」 「こっちの小さい穴は、子グマの家だ」「ゲッ、こんな冷たい岩にナメクジがいるぞ」。 鎖場の急登も出てくるが、子どもたちは、それぞれに気をまぎらせて登る。雨がときおり 降りかかり、霧につつまれて、髪が濡れる。雨具を着けたままの登りが続く。「まだ、小 屋は先なの?」「ちょっと、遠いなあ」などと、峻二が訴え始めた。最高の展望の中を高 度をかせぐはずなのに、ガスで目隠しされたような状態の登りじゃ無理もない。しばらく の我慢で、ようやく霧の中に小屋のシルエットを見つけることができた。

 午前10時すぎ、白出乗越に建つ穂高岳山荘に着く。

 昼食その1は、山荘のラーメン。シナチクやチャーシューもちゃんと入っており、スー プまで全部、たいらげた。外は雨が強くなり、風もでてきた。山頂に登って今日中に涸沢 のテントまで帰り着くのは無理と判断して、宿泊を申し込み、模様ながめを決め込んでみ んなで昼寝する。

 午後1時前、快調に目ざめて、山荘を出発。雨は、1時、止んでくれた。奥穂高岳へは 、最初から岩場となり、鎖場や鉄バシゴのある登りになる。岳彦も峻二も、ほとんど怖が らず、全身を使っていいバランスで乗り越す。山荘の赤屋根は、すぐ、霧の中に消えた。 岩と石だらけの小広い尾根をたどって、どんどん高度を上げる。1昨年の南ア・北岳(3 192メートル)のときいらい、高山病には気を使ってきたが、今回は3000メートルをはるかに超 しても、頭痛や悪寒はまったく出ない。前夜、涸沢で泊まり、今日もゆっくり高度を上げ てきたためだろう。結局、今回は、最後まで症状は出ず、この面でも満足のいく山行にな った。

峻二は、小屋のお姉さんたちに可愛がられる

 「ぼうや、いくつ?」「えっ、5才。すごいね」。「もうすぐ頂上だから、がんばって ね」。すれちがう登山者にどんどん声をかけられて、子どもたちは、ほんとに元気に登っ ていく。日本第3の高峰、奥穂高岳のピークはもうすぐだ。遥子と子どもたちにとっては 、最初の3000メートル峰になる。

 霧の尾根の先に、1段と高い岩の固まりが見えてきた。人も7、8人見える。そこが山 頂だった。午後1時すぎ、登り着いて、石組みのケルンの上に立つ。「やったね、おとう さん」「おかあさん、ついに来たね」。見えるのは、すぐ目の前の方向指示盤と展望図、 ケルン、そして道標だけ。展望なしの山頂だった。すぐ下には、すっぱりと切れ落ちた岩 稜の下に、ものすごい高度感で涸沢に落ち込む谷の源頭が見えるはずだが、それも濃い霧 のベールの中だ。前穂、西穂、ジャンダルム、そして涸沢岳、北穂、槍ケ岳と続く、最高 の展望は、影も形もどころか、かけらさえも、ない。それでも、みんな、気分は最高で、 昼食その2(朝焼いてきたホットケーキ)を食べ、お菓子とミカンを分けて楽しんだ。雨 がまた降り出したなかの下山でも、岳彦と峻二は、岩場のむずかしそうな下降をすいすい 通過して、元気に山荘に舞い戻った。

 その夜の穂高岳山荘は、平日にもかかわらず、ほぼ満員。峻二はもちろん最年少。山荘 のスタッフのお兄さんらにかまわれたり、かまったり。峻二の方からも、受付・売店のや さしく、美人のお姉さんたちのもとにしばしば足を運び、お菓子をもらったり、話しこん できたりと、最後までマイペースで遊び続けた。

パノラマ・コースは、すばらしい花。でも峻二には……
〔8月2日〕

 翌朝も雨と霧。「バイバイ」とスッタフにごあいさつをして、また雨具を着けてザイテ ングラードの下りにかかる。今日は、涸沢のテントを撤収して、長駆、上高地まで下り着 かなければならない。幸い、岩の尾根は高度を下げるにしたがって、風も雨も弱くなり、 トラバース道に入るあたりからは霧が晴れかかってきた。「雪の上で遊びたい」という子 どもたちの要望を入れて、こんどは雪渓の上の道をたどって、テントにと向かう。

 午前9時35分、テントを撤収し、腹ごしらえをして、涸沢カールをあとにする。

 子どもたちと遥子の注文で、下山は横尾への同じ道でなく、屏風のコルを乗っ越して奥 又白沢から徳沢へ向かう「パノラマ・コース」を選んだ。ところが、これが大変な難コー スだった。

 最初は、岩場のいやなへつりの連続。涸沢から屏風のコルまでの道で、4度、5度とこ れが続いた。上は落石が油断ならない沢の源頭。足元は横尾の沢へ向かって急傾斜で切れ 落ちている。その岩場をへつるようにして刻まれた道には、1般コースのように鎖や針金 は張っていない。再びシュリンゲを出して峻二の胴体にしばり、確保しつつ、岩場のへつ りを続けた。それにしても、岳彦も峻二もいいバランスでよく切り抜ける。

 急登をひと登りで、屏風のコルに上がる。緊張から解放され、ほっとする。涸沢カール の景色に別れを告げ、南に向いて徳沢へと下り始めると、1帯には、今回の山行で1番に ぎやかなお花畑が展開していた。雲が切れ、青空も姿を見せる。フィルムをここだけで1 本使い切ってしまうほど、次々と現れる山の花々を楽しんだ。

 ところが、楽しみはこのときだけ。早朝からの行動のせいか、これまでの疲れがたまっ たのか、峻二がこんどは本当にバテてしまった。そのうえ、下る道は沢筋に乱雑に堆積し た苔むした大きな石の上をガクン、ガクンと激しい段差で下りるようになった。整備がさ れていないため木の根や倒木が1歩ごとに行く手を通せんぼする。おとなの足なら、段差 も、木の根も、なんとか乗り越えて行けるが、峻二は両手、両足に、胴体まで使って、乗 り越え、ぶら下がり、下りて行かねばならない。「足がもうつかれたよ」「こういう道は きらいだ」「いつまで続くんだよ」などといっているうちはまだよかったが、とうとう泣 き声になって「ぼく、くやしいよう」などといい始めた。なんといわれても、下りるしか 手がないから、繰り返し休みをとり、予定を変えて途中の沢で冷やしラーメンの昼食をと り、励まし続けて、下り続けた。

徳沢でもう一泊。米を分けてもらう

 岳彦の方は、荷物をしっかり担いでも、あいかわらず元気いっぱい。気落ちする弟を気 づかって、先にすすんでいっては、「おーい、ここにキノコがあるぞーっ」とか、「しゅ んぺー、また川にでたぞー、いっしょに遊ぼうー」などと、姿が見えぬ木々の向こうから 声をかけてくる。その声に気をとりなおして、歩む峻二。今日中に上高地まで下りて、温 泉宿でゆっくり」という計画は、もうだめになったけれど、みんなの声援をうけて、峻二 は本当によく頑張って歩いた。「徳沢まではなんとか下りて、キャンプしよう」と話しあ う。

 奥又白沢に沿って下るようになると、道はようやく土の歩きやすい道になり、傾斜も緩 くなる。そして、堰堤を過ぎると、突然、作業用の林道に出た。子どもたち、とくに峻二 は、ここで勇気百倍。「やったー。もうすぐだね」というなり、とっとっとっと、駆け出 して、下り始めた。最後のエネルギーを全部、放出するようなこのがんばりで、ピッチを 上げたまま梓川にかかる新村橋を渡って、午後5時20分、徳沢着。

 夕映えの大滝山の稜線を見ながら、今夜もテントで夕食つくり。米を徳沢園で分けても らい、マーボ・ナスと味噌漬けブタ肉のソテー、それに缶ビールの豪華なメニューを、あ っという間にたいらげてしまった。

〔8月3日〕

 外で、他のパーティーが出発の用意をし始めても、気にせず眠り続ける。6時すぎに、 ようやく起き出して、残りものの食糧の中から生卵を3個も奮発したホット・ケーキを焼 き、ラーメンを作る。土曜日なので、上高地を早朝に発った登山者が列をなして横尾へと 登ってくる。すごい人の波だ。穂高は、平日に登るに限る。

 午前8時40分、徳沢発。昨日、徳沢への下りで子どもたちが始めたキノコ狩りを、こ んどは4人で始める。あるある。ホテイシメジ、キツネノチャブクロは採りきれないくら い。コウジタケやカワリハツなども加わり、この夜は家で、今年初めてのキノコ鍋となっ た。梓川の深みには、エサが流れてくるのを待ってゆったりと泳ぐ、型のいいイワナの姿 もあった。

 正午前、すごい人混みの上高地着。奥穂高岳への登山は、新しい感激と、子どもたちの 確かな成長のあとを残して、無事に終了した。みんな、ごくろうさん。



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野原 森夫