2002年8月7日〜9日 2人パーティー(妻と) 笠ヶ岳。杓子平から、8月8日 (Canon PowerShotG2 で撮影) 「おもしろい形の山だなあ」と、いつも他の山から眺めるばかりだった
北ア・笠ヶ岳へ、登ってきた。 帰路は、残雪とたくさんの高山植物が咲くカール状の美しい地形の
場所をたどって下降した。 8月7日 東京西端の自宅(4時35分)車→八王子インター(4時45分)→松本 インター(6時55分)→新穂高温泉(8時18分着) 新穂高温泉(標高約1100メートル、9時03分発)→笠新道分岐点(標 高1350メートル、10時02分着、同15分発)→標高1905メートル の休み場(11時51分)→杓子平(2460メートル、14時36分着)→抜 戸岳山頂部・稜線(標高2800メートル、15時52分)→笠ヶ岳山頂 下の天場(17時40分着)幕営 8月8日天場(5時58分発)→笠ヶ岳山頂(6時30分着、7時10分ごろ発)→天 場(7時40分ごろ着、8時31分発)→稜線途中から下降・ちょっと危険 →杓子平(10時26分着、同51分発)→笠新道登山口(13時20分着、 同35分発)→新穂高温泉(14時27分着) 新穂高・中尾温泉に泊る ************************************8月7日 ◇一度、家族山行で縦走を断念した山 暑い日差しのなか、蒲田川左俣川に沿った林道を登って、午前10時 すぎ、ワサビ平小屋の手前にある、笠新道の分岐点(登り口、標高1350メ ートル)に着く。 笠ヶ岳は、ここから標高差で1500メートル、コースタイム7時間30分
の道のり。1997年の新穂高←→水晶岳のピストンのとき、帰り道に双
六岳から縦走することを計画したことがあった。しかし、前夜に双六の天
場で風雨でテントが倒される難にあって、断念してしまった。 午前10時15分、笠新道を登りだす。ブナ林のなかに電光形に開かれ た歩きやすい道だ。すぐに60代が中心の6人の男女のパーティーを抜 く。夏休みの時期だが、平日の、やや遅いこの時間帯に笠にとりついたのは、私た ち2人とこのパーティーだけだった。お盆前だからだろうか、下山してきた のも10パーティー余りと数えることができる程度の入山者しかいない。 登りだしたこのあたり、ブナの林床には、ウド、タラ、コシアブラなどの山 菜も見られた。1800メートルあたりでは咲き終わったばかりの「ヒメサユ リ」が1輪見つかり、北アでヒメサユリがあるのか? と思わずカメラを向け た。あとで図鑑で見たら、ヒメサユリに似た「ササユリ」という花があること を知った。どうも、それかもしれない。
◇悪条件の地形だが道はよく整備されている 笠新道は、効率よく高度をかせいで、よく整備された登山道が続く。 100ないし200メートル高度を上げるごとに、標高を表示した道標が現 れる。100メートル上がるのに15分と、まずまずの調子で標高1900メー トルを超した木陰のベンチで一休み。今日は槍・穂高連峰は稜線にガスが かかっている。西穂から北穂、大キレットあたりまでつづく西面の荒々しい 岩と谷筋が目の前に広がっている。
◇久しぶりのフル装備にバテバテ 標高2200メートルあたりから、道は尾根筋を離れ、斜面をトラバースしな がら、電光形に登っていくようになる。森を抜けたので、ガスが切れ ると厳しい日差しにさらされる。 このあたりから、左太ももの筋肉がけいれんを起こした。なだめるようにゆっくり
歩くと、痛みはひいた。でも、またけいれんするのではと思うと歩幅も小さくなるし、
踏ん張りがきかなくなる。おまけに息も苦しくなり、体が重くなる。昨夜、3時間半
ほどしか寝なかったこともあるが、トレーニング不足が一気に
利いてきた。10分も登ると、もう休みたくなる。 14時36分、支尾根を乗り越し、眼前がパーっと開けると、杓子平に出た。標
高2460メートル。ちょうどそこで、私の両足がけいれんを起こし、痛くて地面
に倒れこんでしまった。 杓子平から、抜戸岳。写真右端を大きく巻いて、抜戸岳山頂部へ、道は進む 今春、新調したデジカメを使っていると、妻がとっておきの梨を割って2切れ、差し 出してくれた。今回はプラムやみかんなど、果物を多く運んできた。気持ちを切り替 えるには、うれしい食べ物だ。 もうすぐ午後3時になる。これからどうするか。眺めは素晴らしいけれど、笠
ヶ岳へは抜戸岳を右からまくように登らねばならず、そのあとも1時間余りの
稜線歩きがある。夕方までに着けばいいなどと冗談をいって登ってきたが、こ
のまま進んだらほんとうに夕暮れになりかねない。足はもつだろうか。 杓子平からは、以前は、抜戸岳の南にある最低鞍部に直接登る道が、
使われていた。しかし、稜線直下の傾斜がきつく、崩落と落石などで、現在は
通行できない。代わりに、新たに、抜戸岳の山頂部に右から迂回して登って行く
ルートが開かれた。この道もよく整備されて、登りやすい。 15時52分、抜戸岳山頂部・稜線(標高2800メートル)にやっと着く。 17時40分、ようやく天場に着く。大小15張りほどが先着していた。標高2 800メートル前後と相当な高さにある場所なのに、すぐわきになかなか割合に大きな 雪田があり、水は豊富。雪田の下部に大きなタンクが設置してあり、小 屋へはそこからポンプアップしている。 笠ヶ岳の山頂下、雪田脇の天場(8日) テントを張って、ほっとする。妻は、自宅にいる長男と携帯メールの往復で連絡を
とっている。 ここ何年か、夏休みは家族山行で、テントや食糧は息子たちがほとん
ど担いでくれた。今回は大学に行った長男はとりあえず自分の休みを自主
設計し、二男(高校2年)は今年も剣御前小舎で1ヶ月の山小屋アルバイト中。夫婦2
人の山行になり、山の面でも「子離れ」に挑んだが、失ったボッカの戦力は
大きかったことを実感した。 遅れて登っていた6人パーティーは、7時10分すぎにようやく天場を通り
すぎて7時30分ごろ小屋へ入った。翌日山頂でリーダーの話を伺ったが、彼はクリヤ谷
の往年のルートを笠ヶ岳の山頂から下降した経験もある男性だった。ゆっ
くりでもまとまって全員で行動していくパーティーで、団結力は素晴らしかっ
た。 5時20分すぎ、おそらく槍ヶ岳の背後あたりに出た朝陽が、テントのてっぺ
んを明るく照らし出す。シュラフに入ったまま、急に明るくなったテントの天井を見て、
ようやく体を起こす。夕べは、星空を眺める余裕もなく、眠り続けてしまった。 5時58分、テントを出て、笠ヶ岳山頂の往復にかかる。 ガレ場を登って、笠ヶ岳山頂へ。6時30分ごろ着。 甲斐駒の左脇に富士山もくっきり見えている。透明感のある、申し分のな
い展望。 笠ヶ岳山頂部から妙高方面遠望。 火打山は左端の野口五郎岳の稜線上にわずかにピークを覗かせている。 これは笠ヶ岳山頂の祠付近から撮影したためで、 山頂の南東端からは火打山の山頂部のより全体が見える。 ズーム側で1・85倍のテレコン(Raynox 1850Pro)を使用。35ミリカメラで190ミリ相当。 山頂からの下りのガレ場では、オコジョが姿を見せた。
杓子平を10時51分発。笠ヶ岳、杓子平のこの景観ともお別れとなる。ふ
たたび1100メートルの急降下では、今度は妻の方が足をより酷使してダ
メージを残してしまった。 「槍ヶ岳開山」(新田次郎)という単行本を高校時代(1972年)に読ん で、播隆上人が初めて登った笠ヶ岳に行きたいと思ってきた。その念願が やっとかなった。 |