乳頭山の遭難について
   ―――野原森夫の山と自然のジャーナル


FYAMAP(山と展望と地図のフォーラム)への投稿から(2005・3)

 今日(3月30日)朝のニュースでは、全員無事で下山中と聞いてほっとしたので すが、午後5時をすぎても居場所の確認もできないとなると、心配ですね。
 43人という、東北の冬山にはありえない人数が、日帰りハイクのような感じで出 かけたようですから、降雪のなかでは1晩がやっとと思います。
 年齢は60〜70代とのことです。
   いまの時点では、運良く全員生還を願うだけです。

 今日一日のニュースの内容をときどき見ていて感じるのは、遭難したパーティーの当 事者の側からの連絡内容に、深刻さや切迫感が感じられないことです。携帯がつながり にくいという制約がありますが、問いかけへの答えの内容が「大丈夫」「行動でき る」という話が中心なので。「小屋で一夜を明かしたのか?」と聞かれて「屋根がない ところですごした」というやりとりは、登山の緊急事態の会話として、なんか、奥歯に ものがはさまったようなやりとりです。事情があるのでしょうが、緊迫感が感じられま せん。

 これにたいして、救助する側も、大パーティーの遭難の割には、体制がずいぶん小さ く見えます。自力下山に任せているうちに、日没を迎えてしまう、という状態にならな いといいのですが。

 食糧は全員、とうに尽きているのではないかと思います。装備も、この人数の急な編 成では、十分なはずはありません。脱出行動に入って、再度、道に迷った状態では、2 晩めをすごす安全確保も、体力も、深刻なのではと心配されます。

 北海道と東北地方の自治体は、2,3年前から、遭難救助費用について、当事者負 担の対応をすすめつつあります。
 救助要請とそれへの対応の面で、何か、滞りがあり、救助する側が、山の救助活動に 徹することができない問題が、何かあるのではと思います。

 今回の遭難は、原因問題は論議するまでもないですが、いまはそれ以前に、ほんと に危ない状況を感じます。
 運良く、下山がなれば、いいのですが。

  2005・3・30  野原森夫
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 午後5時前後に、岩手県側で救助隊に発見されたとのことです。
 心配しすぎたかもしれませんが、ともかくまずはほっとしました。
 日没、打ち切りになれば、たいへんなことになるところでした。
 年配者が多いパーティーのため、事後に、体力を浪費せず、無理をしなかった のが幸いしたのでしょう。

 午後9時現在で、まだ下山していないとのことですが、このまま何事もな く生還してほしいところです。

 それにしても、43人パーティーの冬山遭難・救助というのは、前代未聞。規 模において、1972年ごろの富士山の春雪崩に数パーティーが巻き込まれた 大量遭難いらいでしょうか。それでもあのときは、数パーティー合わせて、やっと同じ規模 の編成でした。

 今回は、遭難の様相がなんとも現代的で、典型的です。
 天候判断とか、GPSとか、装備とかいう以前の問題でしょう。東北の脊梁山脈 の稜線へ、この編成で登ろうとしたこと自体が、まちがいと思います。

 2005・3・30  野原森夫
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 1)磁石の問題ですが、
 現在では、磁石をもって、それを使って山に登っている人は、むしろ少数で す。
 使えない、読めない、持たない人は、多数派です。
 磁石を持たずに道に迷い遭難した例は幾つかあります。とくに有名な出来事 に、1963年の愛知大学山岳部の薬師岳13人遭難死事件があります。90 度、下降路を間違って、黒部谷方向へ迷い込みました。磁石は所持せず、確か 小屋で残存してものが発見されたと思います。

 今度の事件では、リーダーは一夜明けて行動再開したあとも、自分は秋田側 に下山していると思い込んでいました。連絡に走ったパーティーの一人も、秋 田側の人家(発電所)に着いたとばかり思っていたそうです。私は、下山した 際のパーティーのこの話を聞いて、行動中、ずっと一度も磁石をつかわなかった んだと知りました。
 過信という人もいるでしょうけれども、GPSも磁石もないで、暴風雪注意報が 出た山へ入ったというのは、持ち、使う習慣がなかったからだとしか思えません。

 2)吹雪のことですが、
 吹雪のスキー場で、方向を失ったことはありませんか? 雪山では、登山道を 頼ることはできません。地形を把握して 行動しますが、視界がなければ、いよいよ位置がわからなくなります。一時、方 向を失うことは晴れていてもあることです。
 GPSは、こういう場合、たいへん有効な装備です。

 3)ベテランだからということですが、
 もしかしたら、「山のベテラン」というのは、ほんとは存在しえないのではと 思います。山も天候も多様です。また、ベテランはいつまでもベテランの体力、判 断力、モラルを維持できるわけではありません。パーティー構成もときに、違い ます。
 登山は、1回、1回が初物で、真剣勝負と私は思います。毎回、新しい気持ち で、喜びを得る努力にベストを尽くすものです。

 今回のことは別にして、よくヒマラヤの経験がある登山者だから、なんて報道も ありますが、ヒマラヤに登る日本人登山者のレベルはさまざまであり、ひどいモラ ル低下が告発されてから10年以上もたっています。一人にされたら、奥多摩も歩 けない人がいるかもしれません。地図や磁石の使い方が、いまだにわからない方が いるかもしれません。私だけが、こんなことを言っているのではありません。登山の 世界が様変わりしてしまったのです。

4)30数回登ったコースだから、ということですが、
 実は、遭難の典型的パターンの一つが、地元の経験者による遭難です。

 いろいろ後日談が出てくると、迷いこんだ尾根 が悪い沢の源流部にしては、運よく降りることができる尾根だったために、助けら れたという感じですね。また天候が最悪を脱したことも、幸いしたと思います。
 山麓の救助基地との携帯での連絡で、勘所が押さえられず、リーダーが自分の位 置を見失って迷い続けているいるのを、夕方近くまで救助隊が把握できず、自力下 山を待っていた。そのことも、伝えられていました。

 今度のケースも一昨年だったかの幌尻山荘のケースと似ていて、団体登山のな せる、独特の遭難の態様を感じます。この点は、今朝の東京新聞の見開き特集と、昨 夜10時のNHKニュース番組に出た、地元山岳会と日山協の役員のコメントも、共 通して問題にしていました。
 これほどの経験があるリーダーが、もしも2、3人の登山だったら、防風雪注意 報のなか登山をすることはたぶんなかったでしょう。「かんじき」がなかったら、登 山靴でもOKです、なんてことは、けっして参加者に言わなかったでしょう。「43人 パーティー」に出発時も、迷ってからも、肩を押され続けたのではと思います。

 2005・3・31  野原森夫
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(先に下山した一人について)
 43人パーティーから選び抜かれた人ですから、かなりの方が連絡担当で下山した と思います。それがルールに反して複数でなかったのは、パーティーの状態がそう だったからではないでしょうか。

 その踏み跡をたどって、救助隊の10人は1時間40分の登りで42人に合流した そうです。  2キロほどの距離でしょう。

 位置が近かったから、凍傷等を負いながらも伝令役を果たせたと思います。地図 で地形をみても、ほんとに幸運なことでした。

 42人は、夜間の下山に5時間かかっています。  伝令役の方は、2時間足らずで下りており、相当な体力のある方と思います。

  2005・3・31  野原森夫
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 後日談や経過、見方が様々、出ていますので、追加で紹介します。私には勉強 になりました。末尾の激励は名文です。

1)天候
「秋田地方気象台によると28日午後6時現在の天気図では、山が大荒れになる典型的な 気圧配置で、大雪も予想される状況だった」(東京新聞 31日付)
「29日朝、田沢湖町の山沿いは強い風と雪。秋田地方気象台は午前8時39分、大曲 仙北地方に風雪注意報を発令。」(河北新報、1日付)
「午前11時半ごろ、田代岱山荘近くまで来た辺りから吹雪になった。『冬山でなく春 山と認識していたが、厳冬期の山と変わらない』状況となり事態が一変した。」(毎 日 1日付)
「グループを引率した斎藤重一さん(73)の知人で、山岳家の奥村清明さん(67)に よると、斎藤さんは天候の悪さから、28日夜まで登るかどうか迷っていたという。」 (毎日 31日付)
「登山前日の二十八日夜、悪天候の天気予報から当然、総括リーダーから中止連絡がある と思っていたが、連絡がないので荷造りしていた。帰ってきたら、あの悪天候の中、登 山した理由をぜひ聞きたい」(副リーダーの妻、東京新聞 31日付)

2)磁石、位置確認
「岩手側に迷い込んだ原因について、斎藤さんは『吹雪のため視界がほぼゼロで、標高 1000メートル付近は斜面が広くなだらかなため、地形を読むことができなかった。高 性能のコンパスを持っていたが、位置を知ることは非常に難しかった』と説明した。」 (時事通信 31日)
「目印として立てたポールも吹き飛ばされてルートが分からなくなったという。また、山 荘(往路の山小屋)に戻らなかったことについては『下りれば登山口の孫六温泉に着くは ずだと思った』と話した。」(毎日 31日付)
「ルートをはずれ、180度反対の岩手県側に迷い込んだ。一行が初めて反対方向に進行して いたと気づいたのは、翌30日午後2時半過ぎ。携帯電話で知らされたときだった。秋田 県側にいるという思いこみから、『蟹場尾根にいる』などと間違った情報を伝えた。こうし た情報しか伝わらなかったことも、遭難者発見の遅れにつながった。」(朝日 1日付)

3)装備
「登山参加を募るチラシでは『あればカンジキ、なければ登山靴で可』と記しており、服 装も比較的軽装な人が多かったという。」(読売 31日付)

4)認識、救助活動、体制
「(記者会見で)関係者は行方不明となった経緯を説明し陳謝したものの、『遭難したと は思っていない』『自力で下山できると思っていた』といった強気の態度も見せた。」(河 北新報1日付)
「秋田、岩手両県警による救出のネックとなったのが、情報不足。当初は20人とみられ ていた遭難者は、実際には2倍以上もいた。」(河北新報1日付)
「携帯電話は時々、通話可能となったが、ほとんどは家族や組合関係との通話。このため捜 索側に入る情報は、大半が『また聞き』(秋田県警角館署)で断片的だった。」「『グループ の位置が特定できず、態勢が混乱してしまった。こちらに直接電話してほしかった』。グ ループ側も『30日朝まで、自力で下りられると思い、家族との連絡を優先した』と語り、捜 索側との認識の差が浮き彫りとなった。」(河北新報1日付)

5)生還 「吹雪の山中でビバークした29日夜は、43人が7つの非常用簡易テントに分かれて入 り、風で飛ばされないよう四隅を足やスキーのストックで押さえ、互いを励まし合って眠気 を必死にこらえた。」(河北新報、1日付)
 「『霧と雪で視界がなくなり、引き返そうとして迷った』。加藤さんは自分が(43人の)遭 難者の1人であることを伝えた。工事現場は町の中心から車で40分ほど山に入った地熱発電 所の近く。乳頭山山頂から5キロほど下った場所だった。」(朝日 30日付)

6)43人
「グループには、アルプスなど海外登山も経験した斎藤会長をはじめ、ベテランと呼べるメ ンバーが10人ほどいた。『服装など冬登山の装備は比較的しっかりしていた。とりあえ ず、行ける所まで行き、だめなら引き返せばいいと決まった』と斎藤会長。」(河北新 報、1日付)
「約7
割は初心者で、心臓ペースメーカーをつけたメンバーも1人いた」(河北新報、1日 付) 「(地元の山岳家の)奥村さんは捜索にも加わり、『山は新雪が30センチ積もってい て、帰ってくるのがやっとだった。40人以上のパーティーになると一人一人技術も体力も 違うので、難しいところもあったのではないか』と話した。」(毎日 31日付)
「個々の体調把握が難しいし、多人数で日程を合わせて参加した分、悪天候でも中止しにく い。弱い人に合わせたペースになるので、予定通りいかなくなる」(登山家、東京新 聞 31日付)

7)激励
「懲りずに挑戦してほしい」「中高年の登山は危険で遭難もふえている、との論法も見当ち がいだ。若者の登山者が減ったので、高齢者の遭難が目立つだけだ」「登山はむしろ高齢者 に向いているのかもしれない。・・・余裕を持って山に親しむことができる。人生経験を積 んだ分、味わいも格別だろう。・・・『危ないからやめろ』というのでは、進歩がない。」「元 気のない若者に活を入れるためにも、お年寄りにはせいぜい慎重かつ果敢にチャレンジして もらおうではないか」。(毎日の社説 31日付)




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