十勝連峰のイワナとオショロコマ
             1992年8月5日、7日              岳彦(小学4年)と




S川の概要。支流の名前は、オショロコマの生息状況がその後、変わっていることや、 資源涵養のご意見等もいただいたため、表示していません。
 入渓される方は、幾寅の営林署で必ず入林の許可を得て、 林道の通行の可否や羆などの情報も把握して、入ってください。
 2000年以降は、S川は90年代には想像できなかったほどの大きな 変貌をとげて、多くの人々がとくに中流部に入るようになっています。
 この記録は、S川の流域にまだ人が入ることが少なかった1970年代の面影を 一部に残していた1990年代前半期の記録として受け止めていただければと 思います。




 十勝連峰めがけて遡る、大きな川

 S川は、石狩川の大支流1つの、さらに最上流部に位置する。 源流とはいっても、このS川のスケールは大 きく、五万分の一地図を縦に三枚もつなげないと、流域の全貌を見取ることが できない。車で走っても、林道を20キロも入り込んで、ようやく目的の入渓 地点の入り口に到達するほどだ。




1970年代の釣りの記録を調べ、目的地に選定

 東京から夏休みを利用して北海道へ遠征するのは、数年に一度しかない。そ の目的地に、まったく初めてのS川を選んだのは、次のような理由からだった。

 この川の記録は、最近ではまったく途絶えているが、新聞紙上の釣り欄 には1970年代の半ばに、富良野や旭川の釣りクラブ のメンバーらが、毎年数回ずつの釣行の記録を報告していた。そ の釣果も、当時のことだから、そして北海道でのことだから、現在の感覚では ついていけない感じもするが、1人で100匹以上とか、4人で700匹など という、ケタ外れのものだった。

 ところが、その釣り便りが、70年代の後半から は、この川についてはぱったり途絶えてしまった。縮刷版をたどって調べてみ ても、以後、S川の名前は、まったく登場しない。そのうえ、一般 の釣り雑誌やガイドブックで、道内のものを機会あるごとに捜しても、S 川の名前はまったく出てこない。

 もう一つ困ったことは、70年代の当時の投稿では、S川の釣り 場が、「I沢」「N2沢」「S3沢」「Y沢」………などの枝沢の名前で 、紹介されていることだった。これらの沢の名前は、二万五〇〇〇分の一地図 で捜しても、一部しか表示されていない。

営林署で「釣り人は、まったく来ない」と言われて

 「最近の記録が皆無ということは、現地の環境が激変して魚がいなくなって しまったということか」「でも、過去にそれほど魚影が濃い場所だったら、札 幌近郊の沢のように、意外に魚がもどってきているのかもしれない」………。 いろんなことを考えながら、小学4年の岳彦と二人で沢登りと釣りの装備を車 に積み込み、札幌から夕張を抜け、富良野市の営林署に向かった。

 果して、営林署で聞いてみると、「この川に釣りに来る人は、まったく いないねぇ」「釣りが目的で入林許可証をもらいにくる人も、あなたが初めて です」と言う。不安になった。「熊は?」ときくと、「いますけれど、事故は 起こっていません」。
 これは、熊はいても一般の人が入っていないせいかもし れない。ええい、とにかく、行ってみることだ。
 枝沢の名前を教えてほしい、 わからなくて困っているというと、営林署の人は、業務用に使う巨大な「五万 図」を見せてくれた。「これ、使い古しだから、持っていってもいいよ」。あ りがたい。
 作業用のこの図面には、「N沢」「I沢」「Y沢」などの 表記があり、魚の生息を探る今回の行動の、良い道しるべになる。それに、こ の地図は迷路のような林道を踏破する上でも、なくてはならないものになった。

国道を走り、長大な林道へ

 O地点は、本流河川がS川と名前を変える地点だ。ここからは支流の 「K沢」が国道に沿って上っている。この沢も20数年前の記録ではニジ マスやアメマスがたくさん釣れている。本流のS川は川幅が十数メートル もあり、深く、美しい瀞場をつくって流れている。

 国道を左へ折れ、本流に沿った道に入ると、すぐに砂利道になる。太い道に 導かれて走ったら、林道の取り付き(右折地点)を過ぎて直進し、ずっと上流 の農場に入り込んでしまった。何キロかを戻り返して、林道に入った。道は、 初めこそ離農した農家跡や畑らしい場所もあるが、やがて本流沿いに樹林の中 を走る、でこぼこの激しい路面になる。

トド松の皆伐、濁る沢水

 落合から20キロも走って、大支流のN沢を渡るY橋に着く。

 道はここで分岐するが、まず本流を探索するため右手へ。走りだすと道はカ ーブを繰り返しながら高度を上げていく。そして、そこここでシラビソやトド マツなどの大木が広範囲に皆伐されている地帯に出た。

 さらに進んでH川のV字型の谷を見下ろす場所に出、この沢を 橋で渡る。昔ながらの響きの良い名前のこの沢は、上流の原始林に伐採の手が のびつつあるせいか、表土が流されて茶色に濁っていた。本流沿いに走ってく るあいだ、水の濁りが気になったが、原因はこのH川だった。合 流点から上の本流は、上流の伐採や林道工事がいったん止まっているためか、 濁りはない。

 本流沿いの林道をさらに進むと、道はN沢からの林道を合わせて三叉路 に出る。作業小屋が建っている。第一目標はI沢ので、本流沿いの林道を さらに登る。ブルドーザーや運搬のトラックのわだちで泥土がこねまわされ、 大きなでこぼこ、水たまりが続く、ひどい道となる。周囲は、この1、2年の うちに伐採が終わったらしく、林道の両脇はかなり広く切り開かれている。伐 採地の周囲に残るエゾ松、トド松などは、みな立派に成長した大木だ。

待望のI沢。一投めでオショロコマが

 そろそろI沢。埋設された太い土管の上を、林道が横断する場所に出た 。右手から流れ下る小さな沢がある。道のすぐわきに直径4メートルくらいの小さな 淵があり、その水は土管の中を流れていて、また小さな沢となって下っている 。林道に断ち切られて様子が変わってしまったのかもしれないが、もしかした ら、この沢がI沢はないだろうか。地図の地点とも一致する。中流部のY 橋から、さらに7キロほど上って、ようやく第一目的の沢に着いた。

 まずルアー竿を用意したが、沢がかなり小さいため、もう一本は餌釣りの竿 にした。岳彦が、深さ80センチほどの淵に餌(ミミズ)を沈めると、3、4秒も たたないうちに、グイッと竿先が引き込まれた。引き上げると、体長13、4 センチのオショロコマだ。赤い斑点と黄色みがかった腹の色が鮮やか。私もルアー (スピナー、2グラム)を引いたが、これにも15センチくらいのオショロコマが かかった。この最初の淵で連続して五匹が釣れた。岳彦は、水中の魚の動きを 見ながら、「アッ、食った」と確認して竿を上げる。生まれて初めてつり上げ たオショロコマの魚体を見て、「きれいだね」と満足そう。

1つの淵で何匹でも釣れた

 I沢遡行しながら釣りを続けた。淵や落ち込み、よどみがあると、一カ 所で4、5匹は確実に釣れる。けれども、3、4匹めとなると魚も小さくなる ので、2、3匹つり上げたら次をめざすという「間引き」方式で、釣り上がっ た。この沢はオショロコマの生息密度が濃すぎて、型は15センチ以下のものがほ とんどだ。

 途中、沢幅が2、3メートルほどになったところで、ミミズが無くなり、竿を交換 する。私は、釣れたオショロコマの目玉をチョンガケし、これを餌にチョウチ ン釣り。以前、余市岳の沢で試みた方法だ。岳彦は、ルアーを投げる広さがな いので、竿先からラインを30センチほど出し、その竿先を水中に沈めて、ルアー を泳がせる。このやり方が一番、確実で、スピナーが水中でクルクル回転しな がら引かれると、岩影や深みから飛び出したオショロコマがつぎつぎと食いつ いてきた。「ウヒャーッ、また、かかったよ、お父さん」。上部の二股を過ぎ て、水流が限界近くまで細くなるまでに、小さなものは放流して、2人で58 尾を釣り上げた。

N沢は、アメマスの良型が生息

 帰途は、先ほどの作業小屋の三叉路までもどって、N沢へ行く林道を下 った。途中、営林署の人が乗ったジープとすれ違う。営林署で手続きをし たときに話をした若い職員だ。「どうでした? 魚はいましたか?」といって 私たちの釣果を聞いてきたので、一目、見せて上げたら、「おお、すごい。こ こに、こんなに魚がいたんですね」と声をあげた。

 林道は、N沢沿いの太い道に合流した。上流では、盛んに伐採が続いて いるのだろう。巨木を満載した大型トラックが車体をゆっさゆっさ左右に揺す りながら下りてくる。N沢は本流より水量が多く思えるほどで、川幅は10 メートル前後もある。それに、水は程よく澄んでいる。大きなプールのようなよど みがある開けた場所を見つけて、ここで2人でルアー釣りをすることにした。

 下流側から25メートルほどルアーを遠投し、大きな石の上手に落とした。ルアー を引いて石の脇をすり抜けたところで、ガツンと、今までとは全然違う当たり があった。竿をしならせて岸辺まで引き寄せると27センチのよく太ったアメマス だった。N沢では、2、30分ほどのあいだに五匹のアメマスを釣り上げ た。

2日後にふたたびN沢へ

 翌日は、大雨。一日おいて再び、広島町から長駆して、N沢へ。もとも と本流の2倍はある水量の沢が、一昨日よりもさらに10センチほど増水していた 。岳彦といっしょの遡行は、かなり手間取る。本当は、天気も、増水も心配だ ったので、岳彦を実家においてこようとしたのだが、「お父さんに付いていき たい」と涙を流して抗議されたのだった。おまけにこの日は、釣り場に着いた ところで、岳彦にルアー竿を踏まれ、2段目を折られた。テントのペグを添え 木にしてガムテープで応急処置をしたが、しなりは不自然だし、ルアーのコン トロールが悪い。

 それでも、最初のポイントに選んだ大きなプールのよどみにルアーを投げ、 28センチのアメマスがヒットした。遡行に苦労した上に、この日は魚の追いも今 一つで、アメマスは4匹だけの釣果(23センチ以下は放流)だった。

 流域の全体の観察が今回の目的だったので、@N沢上流で分岐するI 沢(コンクリートの橋と作業事務所あり)、AS川本流の三叉路( 作業小屋)からI沢の土管の下部まで、B中流部の断層状の小滝(落差1メートル) の落ち口、それにC下流部のK沢の出合い付近でも試し釣りをしたが、I 沢で1匹が釣れただけで、追いは少なかった。かわりに、上流部の伐採と林 道工事で流された土砂が、中流部より下流で玉石を埋めるように堆積している 場所が目立つのが気になった。雨で林道がぬかるみ車は自由が効かず、I沢 の土管からは林道を歩いて下った(Aの遡行後)が、途中、水たまり脇のどろ 土に大きな熊の足跡が付いていて、ぞっとした。

 帰途は、2日とも、トマム・リゾートの前を通り、占冠村、日高町、夕張市 と「樹海ロード」を走った。トマムには、周囲の景観とはまったく異質な高層 のホテルとスキー場が建設された。道路脇の富無川は、汚水で茶色に濁ってい た。帰京して、記録を調べて、この川も70年代にはアメマスの宝庫だったこ とを知った。

 北海道の日本海側の河川では、オショロコマはアメマスとの縄張り争いに敗 れ、ごく一部の河川の源流部だけをすみかとして、生き延びてきた。いま、そ の源流部にも、伐採と林道工事の手が延びている。子どもたちが大人になった ときに、こんどのような釣りを体験できる場所がどれだけ残されているだろう か、と考えさせられる釣行だった。

 (I沢、翌1993年、札幌の釣り人から「涸れ沢」になったとの情報 が寄せられた。私も、1994年にS川を再訪して、I沢はま ったく水がない沢になっていることを確認した。N沢は上流へいくほど 魚影が濃く、アメマスのほか、中型以上のオショロコマもすむ沢であること が、わかった。



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野原 森夫