奥秩父 大ナゲシ
           1998年11月15日  岳彦と




大ナゲシの山頂部の登り

 頂上の標高は、それほど群を抜いているわけではない。山自体も 小さい。けれども、いかにも「てっぺん」という風で、空にぽこん と岩の峰を突き上げている様子に、心をひかれてしまう。そんなピ ークが、これまでに登った山には、幾つかあった。
 故郷の吾妻連峰では、県境の稜線から北にはみ出して位置した、 小さなピークの兵子(ひょっこ)がそうだった。
 札幌近郊では、小滝をつらねる木挽沢の遡行のあとにたどりつい た定山渓神威岳。百松沢山の脇に大きなたんこぶのように突き出し た山だ。
 奥多摩の山では、日原から美しい雑木林の小尾根を登って都県境 の稜線下へ出、寂しげな避難小屋からもうひと登りではい上がる三 ツドッケ。これは三つの岩の峰からなり、子どもの恐竜の背中のよ うな高みだった。

 これらの峰は、いずれも、最初に登ったのが単独行だったから、 その印象も強いのかもしれない。まだ登っていないが、八ヶ岳のニ ュウの岩峰や、谷川連峰の大源太山も、きっと訪れたいピークの一 つだ。

 ところが、こんな岩のピークが、比較的狭い範囲に幾つも屹立し ている地域がある。奥秩父または西上州がそれで、埼玉の名山・両 神山の北西側を中心に、大小いろいろな岩の峰が頭をもたげている 。二子山(一一六五メートル)、南天山(一四八三メートル)、赤岩岳(一五二 〇メートル)、天丸山(一五〇五メートル)、大山(一五四〇メートル)、諏訪山(一 五四九メートル)、帳付山(一六一九メートル)などは、そのなかでも大きな方 、名前を知られた方の峰々だ。
 そして、案内の本などを見ると、こうした中くらいの峰によりそ うようにして、「ヤツウチグラ」(諏訪山の前衛峰、一四九〇メートル) 、「大ナゲシ」(赤岩岳の隣、一五三二メートル)、「大キギ」(両神山 の八丁尾根の稜線から外れた岩峰)など、より小さくて、とんがっ た岩峰を捜し出すことができる。

 この地域に鋭い岩峰が多いのは、成分は石灰岩に似て、水晶に近 いほど硬い岩石であるチャートが、広く分布しているからなのだと いう(地学団体研究会埼玉支部「埼玉の自然をたずねて」築地書館 、一九八七年)。チャートは石灰岩と同じで海底に貝やカルシウム 成分などが降り積もって生成され、化石もふくまれる。秩父が太古 の昔に海の底にあったことを、これらの岩峰群は物語っている。

 そんな岩峰の中から、ちょっと心ひかれる岩のピークの一つとし て、「大ナゲシ」を、今回の登山の目標に選びだした。



赤岩峠から稜線の踏み跡をたどり、赤岩岳をふりかえる


 「大ナゲシ」は、両神山の北西隣りの赤岩岳の、そのまた北西隣 りにある。へんてこりんな名前だからと、いろいろと辞書を調べて みたが、「ナゲシ」でそれらしい意味の言葉はない。「ノゲシ」だ ったら「あおむけになる」「のけぞる」の意味があり、岩の頂を「 のけぞって」眺める、なんて様子が連想できるが、これはちょっと 無理な辞引きだ。「ナギ」だと、薙刀の「薙」の字があてられ、「 「広辞苑」には「山で薙ぎ落としたように崩れたところ」とある。 そのあたりの意味の方が近いかもしれない。

 「大ナゲシ」は、隣の赤岩岳とともに、登山道は整備されておら ず、作業道や昔の峠道などの踏み跡を拾い、岩尾根をたどって、頂 上に立つことができるのだという。高校一年の岳彦と二人、足がそ ろったパーティーなら行ってこれるだろうと、睡眠十分、朝食たっ ぷりの体調で午前8時すぎに家を発った。

 往路は中央道を塩山まで行き、開通なった雁坂トンネルで奥秩父 の大滝村へ入る。渋滞で時間を食い、登山口の金山・小倉沢の秩父 鉱山に着いたときは、昼をまわっていた。途中、中津川渓谷から右 へ折れる「出合い」の地点で、大きな岩をくり抜いたトンネルをく ぐったが、このトンネルは大理石に穴をうがって造られたというか ら、驚きだ。石灰岩にマグマが貫通したときにできる鉱床が、あた りには分布しており、秩父鉱山では江戸時代には金が掘れ、一九六 〇年代にも金、銀、銅、亜鉛、鉄が採れたという。いまではさびれ 、大理石などを細々と採掘している。(前掲の地団研の本による)

 午後0時32分、小倉沢の鉱山の公民館前(標高七七〇メートル)から 登り始める。鉱山の住宅が棟を並べる斜面を登っていくが、登り始 めに古びた石の道標があり、「群馬県上野村に至る」と彫り込んで ある。いまたどろうとしている道は、秩父と群馬側の上野村をつな ぐ、往年の流通・交通ルートなのだそうである。細々とした踏み跡 をたどって、まず伐採地の中をまっすぐ高度をかせぐ。正面に見え るのは、大きな岩の固まりを稜線にドンと載せたような赤岩岳だ。 その左寄り、U字型に稜線が落ち込んで窓のように見えているとこ ろが赤岩峠だろう。踏み跡は何度か電光形にジグザグを切って、前 方左手の小尾根へ上がっていく。振り返ると、鉱山の建物群がずい ぶん小さくなった。その上に押しかぶさるように山体を持ち上げて いるのは、両神山。北面から見ると、稜線まで樹木が覆い、岩山と いう感じはしない。

 登っていく尾根は雑木林にすっぽり包まれている。その尾根道も 、稜線が迫るところまでくると、右へ斜行してブナ混じりの山腹を たどるようになる。足元は、落ち葉が厚く堆積して、踏み跡は見え ない。白い幹が並ぶなかで、楓の赤い色がところどころアクセント になる。江戸や明治のころの人達も、山中の集落から集落へと、こ んな峠道をつないで歩いたのだろうか。その中には、鉱山の仕事に かり出された人々もいたのだろうか。昔と同じその踏み跡を、いま 、こうして自分もたどっている。

 何度か折り返し、峠が近づくにつれて傾斜がきつくなると、U字 型の切れ込みの底の、小さな峠に着いた。一時三二分。針葉樹と雑 木が頭上をおおう、暗い峠だ。小さな石の祠が、木の下にあった。 樹木をすかして、大ナゲシの岩峰が、初めて姿を見せた。距離は五 、六〇〇メートルくらいか。標高差が小さいのか、この場所からは大きさ 、高さは感じられない。

 実は、このときまで、岳彦と二人で「赤岩岳と大ナゲシ、どちら の頂上に登ろうか」と最後まで迷っていたのだが、峠に着いて気持 ちは決まった。少しだけ高くて、孤立した岩峰だからということで 、大ナゲシに向かうことに決めた。

 峠からは、まず稜線を一四九三メートルのピーク近くまで、移動する。 大石や木の根が大きな段差をつくる急登が始まる。踏み跡はますま すか細いが、まだしっかりたどることができる。峠を見下ろす位置 まで登ってふりかえると、赤岩岳の西面の岩峰が人を近づけぬ厳し さで突き立っていた。この山は、左から大きく岩壁を迂回して、登 高ルートが付けられている。

 小さな上下を繰り返して少し進んで、一四九三メートルのピークの直前 にきたところで、右手に山腹を横断する踏み跡が伸びていた。その 踏み跡が支尾根へと下降した先に、大ナゲシが鋭角の三角形の姿で りりしく立っている。鞍部まで下降し、こんどは登り返す。

 すぐに、目の前に岩場が立ちふさがった。大きな岩が積み重なっ て、松や土が岩の隙間を埋めたようなところ。手がかりはあるから 、かまわず登りやすいルートをたどってよじ登る。壁の傾斜が増し て、下降するときに、ここはちょっと手こずるな、と思案したとこ ろで、左手にルートをさぐっていた岳彦が「お父さん、左側の方が 行けそうだよ」と声をかける。体をそらせて見ると、なるほど、上 方へ抜けられそうだ。「目印もあるよ」と赤いテープを示す岳彦。 体をせり上げると、ガイドブックの写真にあった岩のテラス(斜め なので滑り台状)の上に導かれた。テラスの左手(西側)はけっこ う急角度に切れ落ちている。「剣岳よりむずかしいよ」といいなが ら、岳彦も上がってきた。



大ナゲシの頂から、赤岩岳、両神山

 そこからは、いったん針葉樹の台地に上がって、最後の岩場にと りつき、こんどもホールドがしっかりある登りで、頂上に出た。午 後二時一三分。大ナゲシの頂上は、畳三枚分ほどか。あとで鉱山の 人だとわかったが、先行者が一人、昼寝をしていた。
 岩峰だけに、展望はきく。両神山の黒い稜線を背景に、赤岩岳が 立派だ。その左手、北東方向に見える岩山は二子山か。南西に見え る岩壁は、南天山の北側のカベか。そのずっと遠方の大きななだら かな山体は、甲武信岳あたりか。すると南から東へ連なるのは笠取 山へいたる奥秩父の主脈の山々か。
 初めて入り込んだ地域からの展望だけに、眺める景色に実感がわ かず、もどかしさを感じる。名前のわからない山頂をつないで、黒 々とした尾根が幾つも重なりあっている。ここは本当に、山のなか なのだ。

 食事をとって、二時四一分に山頂を出発。「四時に下までおりよ う」といいあって、どんどん難コースを飛ばす。
 峠には三時〇六分着。大ナゲシは見納めだ。ジグザグのコースを まっすぐ駆け下って、登山口の公民館には三時三三分に着いた。登 るときに、盛んに吠えかかった宿舎の飼い犬が、今度は家の中に入 れられて、人の気配にぐわん、ぐわんとくぐもった吠え声を上げて いた。

 帰途の秩父コースも、三峰口から長い渋滞となった。「今度は、 どこのピークをねらおうか。赤岩岳もよかったな」などと考えなが ら、名栗、青梅と夜の山越えをしてとばし、午後七時すぎ、あきる 野市の家に着いた。








山の便り、大地の恵み (野原森夫)
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