奥利根  山菜採り
    1983年5月21〜22日       家族3人



沢の取り付き地点で

 岳彦(8カ月)を背負って、家族3人で奥利根へ山菜採りに出かけた。 奥利根は、80年7月に渓流釣りに入って以来、ほぼ3年ぶりになる。

 5月21日、国立(当時)のアパートから西国分寺の駅まで歩いて、6時すぎの武蔵野線の電 車に乗る。大宮駅から急行列車で水上駅へ(9時半着)。

 水上からのバスの中からは、淡い緑色 に染め上げられた山また山を眺めることができて、あきることがない。道のそばの斜面 に、ちょうど食べごろに伸び出したタラの芽も見つける ことができて、思うところに止めることのできない乗合バスをうらめしく思った。

 宿で昼食をとって、山菜採りに出かける。

 沢の取りつきまで、かなりの道のりをすすむ。
 ふりかえると谷川連峰がまだ残雪をいっぱい積もらせたままの、春山の装いを見 せている。道の両側は、萌え出したばかりの若芽に飾られた木々でおおわれている。この 沢なら山菜があるだろうと予想した。日当た りは暑さを感じるほどで、岳彦を背負っての登りはきつい。でも、予想通り、ウド、ワラ ビが道の両側に見つかり、ポリ袋が重くなっていく。

 沢を渡り返して2キロばかり行ったところに、まだ枯れた草におおわれた小広い湿地があ った。そこは、ウドがあちこちに群れをなして生えている「ウドヶ原」だった。「すごい ね」といいつつ、遥子と2人でウド採りに熱中する。気がつくと、わきを流れる沢に は、私たちの姿を見て逃げまどうイワナの姿も見えた。枯れ草の上に足を投げ出して1服 する。

 ここから100メートルばかり登って、道が沢から離れて登りにかかったところで、引き返す 。ウドとワラビ、それにゼンマイ、タラの芽もほどほどに摘むことができた。

 山荘には夕方5時すぎにもどる。岳彦は、ヤブコギで足と顔をかすられ、ブヨにもささ れて、かわいそうだった。けれども、山荘の温泉は、ザーザーと湯船から流すほどお湯が 豊富で、タイルに腰をおろしておしりで 湯の感触を楽しみながら、岳彦は大喜びだった。翌日はかぜをひいて熱を出してしまった が………。

 その夜はちょうど、山荘の山菜採りツアーの日で、東京からやってきた30人ほどの参加 者も山荘に泊まった。講師の先生が、山菜のスライドを写しながら勉強会もやっていて 、私たちも聴講した。ツアーの一行は上の原高原で山菜採りをしてきたが、採れた量では 人が入らない沢に行った私たち2人がダントツ。ウドの束を見て、1行に大いにうら やましがられた。

 22日は、熱を出した岳彦と看病の遥子を残して、今日は1人で、山道をたどる。

 ぐんぐん飛ばして、ブナ林の急坂を登って、山荘から1 時間半足らずで尾根道に合流する。 道の両側は根曲がり竹におおわれ、腰をかがめると地面からはタケノコがにょきにょきと 生え出しているのが見える。竹のやぶのなかに入り込み、太そうなものを選んで採る。き りがないで途中で打ち切って、尾根上の道をもう少し、高度をかせぐ。残雪が現れ、このあたりではタケノコはまだ小さい。ムラサ キヤシオツツジとコブシの花が美しかった。

 引き返して先程の分岐(合流点)から、こんどは道を尾根筋に忠実に下った。 尾根の上は、ウドとワラビが豊富で、ポリ袋がまた一杯になった。

 意外に長い尾根歩きを1時間余りで、ひょっこりと林道(作業道)に飛び出る。そこか ら、山荘へ(12時25分着)。遥子と岳彦が、遅い帰 りを待っていた。






山の便り、大地の恵み (野原森夫)
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