余市岳  白井川左俣川遡行・本流下降
1975年6月28〜29日
野原森夫、吾妻学農、山野弘和


◇これは、1970年代の遡行記録です。林道や山頂部の踏み跡など、現状は 大きく変わっていると想像されます。とくに余市岳山頂部は、以前は道のない山 でしたが、新しい夏道が複数開かれています。入山・入渓の場合は、ご注意ください。








余市岳の東南面。
山頂へ、右の白井川左股川から上がり、
左の本流を下降した
カシミール3D(DAN杉本 作)で描画。
国土地理院数値地図50メートルメッシュ標高を使用



 恵廸寮を昼すぎに発ち、札幌駅前から定鉄バスで定山渓へと向かう。

 今回、目標にした余市岳(1488メートル)は札幌の西部に広がる近郊の山々のなか では、もっとも標高が高い。登山道がなく、沢コースでしか頂上に到達できない山 でもある。札幌を拠点に山登りをするならば、どうしても洗礼を受けに通わなけれ ばならない山。なによりも、つい3週間前に、空沼岳から眺めたこの山の姿が気に 入った。山頂部が平らに近く、やや鈍な感じがする無意根山と比べて、余市岳は、 頂上がすっきりと立ち上がっており、雪渓も細く伸びて、登高欲をそそる。

 イワナがいっぱいいる、との声にひかれて

 とはいっても、6月に沢をつめて山頂に到達するとなると、雪や水量の状態によ っては、苦労させられるかもしれない。第一、山野君も、吾妻君と僕も、本格的な 沢登りは初めてである。山野君が「左俣川は、近郊の山では、もっともイワナが多 い」という情報を仕入れて来たので、それに乗って挑戦してみるか、ということにな ったわけである。

 定山渓には午後3時前に着いた。ここから白井川の二股まで歩いたのでは、天 場に着くのが遅くなって、楽しみの釣りの時間がなくなってしまう。「割り勘」の強み でタクシーを使うことにした。二股から歩きだして午後4時すぎ、目的の三の沢(林 道終点)に着いた。



三の沢のテント場で。これは1976年に
同じルートに入ったときに撮影


 テントを張って、さっそく竿を手に沢の中へ。玉石の下のよどみや、淵を選んで 餌(ミミズ)を落とすと、なるほど魚影は濃い。それに渓相も変化があって、いい沢 だ。日の長さも手伝って四の沢の出合いの上まで1キロメートル余りも釣り上がって、 山野君と僕とで十数匹のイワナを確保した。小ぶりのものをさらりと流れの中に 逃がしてやる山野君はさすが。釣りの経験が少ない吾妻君は、餌を底に沈める 釣り方だったためか、この沢に多いカジカばかり釣り上げていた。



 源頭の蚊は、僕ばかりを刺す

 2日めは、いよいよ沢をつめる日だ。昨日使ったわらじをもう一度、地下足袋に つける。朝の沢の水は、身がブルッとくるほど冷たく感じる。出発する段になって、 吾妻君のザックの中で牛乳のパックが破れ、こぼれだしていることがわかって、パ ッキングをやり直した。

 出発は7時。左俣川は、昨日釣り登ったところから上部でも、登りやすい渓相が 続いている。小滝(1・5メートルナメ状)がある淵では、イワナが群れて泳いでいた。右 手から幅1・5メートルほどの五の沢が入ってくると、しばらくで奥二股。右のコースをとる と、沢の形もようやくV字型に変わる。2〜3メートルほどの滝がハング気味に落ちて、行 く手をはばんでいるところでは、草付きに明瞭なまき道があった。

 この滝を越すと水量はさらに減り、傾斜が増すにつれて、いつしか細い水流だけ となった。周囲は灌木のやぶになっていて見通しがきかないが、地形が平坦な場 所や湿地らしい所も目にすることができることから、雪渓の直下にある沼地の付近 に到達したようである。エゾリュウキンカの光るような黄色の花を目にしながら、昼 食をとる。2人はタバコをうまそうに吸うが、蚊が僕ばかり責めたててくるのには、ま いった。



左俣川の源頭で。ここから低い潅木のトンネルを
抜けると、山頂にいたる雪渓に出る


 急な雪渓に地下足袋で苦闘する

 休憩地点からは水流が途切れ、いわゆる「溝道」(降雨のときだけ水が流れ落ち る溝状のルート)をたどって登高する。「道」の両側は頭上にまでかぶさるネマガリ ダケのやぶで、両手で押しのけ、かきわけて進まないといけない。雨粒が落ちてく るので雨具をつけて、やぶと格闘した。

 登ることしばらくで、突然、目の前に白い雪が現れた。頂上部へと続く雪渓であ る。当たりは一変して開放的な景色となり、僕たちは大喜びでこの雪のルートにと りついた。わらじはさきほど脱いだけれど、地下足袋は、雪の斜面を登るのにはま ったく向かない。キックステップは効かないし、中の木綿の足袋まで濡れているか ら、足裏からひどく冷えてくる。おまけにあたりは霧が太陽を隠している。傾斜が増 す雪渓にかなり緊張もして、ようやく稜線の一角に飛び出した。

 ハイマツの中をすすむと、朝里岳方面との分岐点と思われるところにケルンが積 んであった。余市岳の頂上部は、この山を遠くから眺めたときとは大分感じが違っ て、けっこうのっぺりと広い。ケルンが目印となる山頂に着いたのは、すでに午後2 時近くだった。

 バックドロップで冷たい釜へドボン!

 そのまま山頂から南下する尾根をとって下降。ここぞと思われる稜線の一角から、 またやぶこぎが開始された。3人とも緊張していた。ルートを誤ったら、とんでもない 沢を下らされてしまう。背丈をはるかに超すネマガリダケのやぶをこいでいくと、竹の 幹が地下足袋の股のところ(親指と人指し指の間)にはさまって、すごく痛い。「溝道」 があらわれると、次には長くて傾斜はそうきつくない雪渓下降することになった。雪渓 は、下部では薄くなっていて、崩落が怖い。いよいよあぶなくなったところが、水流の 始まりだった。

 ここからの白井川本流の下降は、予想していたよりもずっと、スリルを感じさせられ た。上部は小さな釜や小滝が連続する渓相で、山野君がその釜の一つに頭から滑っ て落ちて前進ずぶぬれになる事件があった。雪解け水に全身を洗われて、山野君は 一気に憔悴。さらに下ると、滝が連続する核心部となり、下降に時間をとられた。なか でも4つの滝が下り応えがあった。

 最初はF13、F12の二段各四メートルの滝。大きく左岸をまくが、土砂崩れあとの泥壁が いやらしい。F11は、岩場で切れ落ちた4メートルのハングの滝で、これは左岸の滝際の階 段状の岩場を下降した。続いてF6は5メートルで、左岸の節理状の岩場を下降、最後のF1 は5メートルで、下降するには右岸の泥壁を木の枝を頼りにつたい降りるしかない。この本 流の核心部を終えたところで、3人とも、もう早く水から脱出して陸を歩きたいという気 分になっていた。

 林道エスケープは、遠い帰り道の始まりだった

 ところが、その陸歩きが、またたいへんだった。

 沢の下降中に林道を見つけたのが、すでに午後6時15分。日暮れを気にしていた 僕たちは、その林道に逃げ込んで、ほっと一息ついた。が、元気をとりもどして歩きだ したその林道は、豊羽鉱山に向かうのではなく、だらだらと水平に進んで沢を離れてし まったあげく、途中からは高度を上げはじめてしまった。あたりはすでに暗く、もう沢に 引き返すことはできない。右下の谷底、はるか下に見える明かりは、豊羽鉱山のもの だろう。最終バスもとっくに出てしまったはず。まさかのヘッドランプを取り出して、3人で ヒグマを恐れつつ、僕たちはとにかく先を急いだ。1人でなくて、ほんとうによかった。

 「もう、定山渓まで歩いて行こう」とやぶれかぶれになったところで、林道は右手、バス の走る白井川の谷底へ下降し始めた。車道に降り立ったのは午後9時。どうやらここ は、定山渓と豊羽鉱山との中間地点あたりらしい。すでに行動時間は14時間に達して いた。野宿するよりは、と、また歩きだした僕たちに、後方から車のエンジン音が響いて きた。手を降ると停車して、乗せてくれるという。「助かった」。聞けば、こんなところを、こ んな時間に歩いている人は、ほとんどいないとのことで、ドライバーは僕たちを見て、「ウ ワサの幽霊が出たか」と一瞬、ぎくりとしたとのこと。その本物の幽霊は、ご多分にもれ ず、「若い女の幽霊」とのことだった。

 定山渓着は9時半すぎ。ここからはタクシーを奮発して真駒内まで帰り、地下鉄に乗 り継いで、なんとかその日のうちに恵廸寮に舞い戻った。






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野原 森夫