ヤブコギについて
  1975年11月7日記
恵廸山の会のノートから


 ヤブコギについて論ずるほどの経験は積んでいない、というのが僕自身への率直な 評価だけれど、今までの少ない経験をもとにして、少し書いてみたい。というのは、そ れが一定の必要性に迫られている(山の会にとって)と思えるからである。

 札幌近郊のエリアでは、登山道がない山が多い。大部分の山の頂きをきわめるには、 沢をつめ、わずかな踏み跡をたどるか、ヤブコギをするかしかないのである。ホームグ ラウンドたる山々がこうした現状にあること、これが我が恵廸山の会がヤブコギについ てしっかりした技術と経験とを身につけることの一般的な必要性を示していると思う。

 しかし、ヤブコギについては、こうした形での必要性の面からのみ語られてはならない 面が残されている。一般的な必要性を語るだけでは、展望もない、何の変哲もないヤブ 山に好きこのんで登りたがる人の気持ちは説明がつかないだろうからである。といって も、書いている本人は、七〜八分方、「しょうがなくてヤブコギをやっている」とうこともあ るのだが……。

 さて、本論に入ろう。

 まず服装等について 。

 よく言われている「ザックはしっかりパッキングし、突起物などは外にはみださせないこ と」「体やザックには何も吊るさないこと」という点、これは思っている以上に大切なことだ と思う。すり抜けやくぐり抜けを、カン木やクマ笹のバネに抗しながらくり返すヤブコギで、 いちいち背中を気にしていたのでは、たまったものではない。

 一番、感じる(困ってしまう)のは、足固めである。沢登りの後のヤブコギだと、特に下降 も沢コースの場合には、地下たびでそのままヤブをこぐ場合が多い。地下たびは、カンバ などのカン木帯でヤブコギする場合、軽いし、枝に乗った場合にもしっくりいって、とてもい い。しかし、笹の中のヤブコギの場合には、底ゴムが薄いため竹の切り株を突き刺すとい う不安があるし、実際、危険である。また、親指と他の指との割れ目のところに、しょっちゅ う地竹が食い込んで、足をとられたり、指を傷めたりしてしまう。ヤブコギの距離、植生の状 態などによって臨機応変な対策が必要だろうが、山靴かキャラバンシューズ(こっちの方が 軽くていい)を用意していくのが、いいように思う。足を傷めてしまったら、下降のときの難渋 はそれこそ死ぬ思いになるだろう。

 ルート・ファインディングについて。

 ルート・ファインディングにおいてもっとも基本的な役割を担うのは、地図読みの作業だと 思う。地図上のいくつかのポイント(目印) 例えば、小ピークや沢の二股(五万図では、沢 幅一・五メートルの水流のあるところまでは、水線が引かれている)など を、現地での状況と照 応させ、現在地の確認、および進むべき方向、目的地までの距離を明らかにする作業であ る。これは全体的、包括的な視野から(空間的に)、そして、それまでの行動タイム、体験な どから(歴史的時間的に)、それらを統一させて現在地を確認、さらに進路を決定していく(こ れもまた空間的時間的に)という、きわめて合理的、科学的な思考・判断が要求される作業 でもある。

 さて、進路が決まったら、いよいよGO!であるが、この場合、鉄則とすべきは、踏み跡の あるなしにかかわらず、目的地(目標)への方向と、そこに到る過程を、地図と現在地とを照 応させて明らかにしておくことである、それを頭においた上で、その時々の目標を定め、突き 進む。

 頂上への過程は、単純なものではない。「この尾根から取りついてはヤブコギが厳しいから、 ○○○メートルの等高線の二股あたりまでは、この沢をつめる。スノー・ブリッジなどが出てきて危 険になったら二股までは行けないかもしれないが、まずはあの二股をめざして、そこから支尾 根に取りつき、主尾根に出て、それをつめよう」とか、「あそこのハイマツのヤブはきつそうだか ら、笹ヤブをこいでハイマツ帯を半周し、あの立ち木の地点に出よう」とかいうふに、その時々 で臨機応変な行動が要求されるのである。鉄則をけっして忘れず、機敏な対処を実行する…… そんな力を身につけたいと思う。ヤブコギにおいては、ルート・ファインディングはルート・クリエ イティングでもあるのだから。

 技術的な問題について。

 はっきり言えることは、ヤブコギ術は植生がどんな状態かによって、千変万化とまではいかな くとも、ちがってくることである。クマザサ、ハイマツ、カン木、樹林帯、そしてこれらの混合の場合、 はては、登りか、下りか、平坦なのか、晴天か雨天かなどなど……。こうした様々な状況に応じて、 ヤブのこぎ方も変えなくてはならない。ルートの選び方も、天候によって相違してくるのは、当然、 予想されることである。そこでここでは、ヤブコギ術の最も基本的な点についてのべてみたい。

 それは、足場の確保を基礎とした空間の確保、さらに一つの空間から次の空間への連続的で リズミカルな発展である。

 足場は、地面に固執する必要はない。それに、たいていのヤブコギにおいては、地面などは隠 されてしまって、用いようがないのである。時には枝の上に、時には笹を根元から押ししならせて、 足裏のみでなく、場合によっては下半身の全てを機敏に用いて、体重を支えていくのである。これ は、ヤブコギ術の基礎であり、これをおろそかにすれば、疲労度は指数関数的に増加し、耐えら れなくなるだろうし、ケガをする率もぐっと高くなる。

 一つの空間から他の空間への連続的な発展などと書いたが、ようするに前方をよく観察し(とい っても、これは瞬間的にである)、自分が存在できる空間をどうつくり出すかということである。ガム シャラにヤブをこぐことは気迫の点ではいいが、ヤブの中でがんじがらめにされることだってあるし、 引き返しの連続にもなってしまう。ヤブの中を泳ぐような感じになりながらも、新しい空間を次々と求 めて前へ進む。これをバランスとリズムをあわせもって行えば、スゴヤブといえども、わりと疲れず通 り抜けることができるだろう。

 また一般的にいって、登りのヤブコギは腕力が、降りはバランスがものをいうことも付け加えてお く。

 三つの面からヤブコギについて書いてきたが、最後に二、三のべておきたい。

 第一に、目印のことである。

 絶対、避けるべきだと反省を伴いつつ思うのは、ナタで目印の切れ目をつけることである。表皮の すぐ下は、樹木にとっては人間の血管にも値する部分であり、表皮をはぐことはその樹木に大きな 影響を与えるからである。場合によっては枯れてしまうし、付けた傷は一生みにくく残る。この点を 考えれば、布のリボン(赤・青等を季節によって使い分ける)は有効であると思う。不測の事態も考 えて、ヤブコギを含む山行には、必ず適当量、携行したい。(ない場合は、タオルを裂いて代用)

 二つめは、ルート・ファインディングにおける溝道(自然にできたもの)の利用である。

 沢をつめていくと、源頭部からは伏流となり、さらに、人工的に伐採されたわけでもないのに、溝 道がこれに続いていることがある。降雨があった時にだけ、細い水流ができるところで、そのため に三〇〜五〇センチの幅で溝状に切れこんで、植物の生えないところだ。これは、源頭部には多く 存在するし、とくに沢に下降するためにヤブをこぐ場合などは、この溝道を早く見つければヤブコ ギも楽になるし、自動的に沢へもたどりつける。利用価値は非常に高いと思う。

 三つめは、ヤブコギにおける危険性のこと。

 登山道をたどれば必ず山頂に着けるなんていうのんきな登山とちがって、道に迷いやすい点で、ヤ ブコギはとりわけ危険な面をもっている。ガスが濃い場合だったら、にっちもさちも行かなくなってしま うのは、はっきりしている。いくら磁石を用いても、視界がないときだったら人間はけっしてまっすぐは 進めないし、無理をすればとり返しのつかないことになってしまうだろう。好天があまり期待できないと きは、コースや目標山岳を変更するなどの慎重な構えが必要だし、運悪くヤブコギが避けえないハメ に陥った場合にも、ガスが晴れるのを待つというしっかりした行動が必要だと思う。一歩、登山 道をはずれたら、そこにあるのは人工的でない、原始そのものの自然である。ヤブコギの厳しさはそ こから来ている。

 人間は自然に対して働きかけ、それを少しずつわがものとして利用するなかで、自分自身を進化さ せてきた。自然への働きかけは、科学を生みだし、人間はいっそう深く自然を理解し、自然の法則性 のなかで自然と調和・共存してきたのである。だからこそ、人間が科学性と合理性を失って自然に対峙した とき、二つの間の統一性は崩壊し、それは人間と自然、その両者の死を意味する。

 ヤブコギは、原始そのものの自然との対決であり、統一である。だからこそ僕らは、いっそう科学的 で合理的な態度を失ってはならないだろう。






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野原 森夫