新雪の大雪山―――黒岳から化雲岳縦走

1975年9月23〜25日



ランドサット衛星の画像と、数値地図50メートルメッシュ標高をもとに、
カシミール3Dでこの山行のルートを再現した。


◇1975年の夏休み。教養部から工学部への移行を前にして、休みはこの年だけ、9月 末まで延びることになった。この機会にしっかり山に登っておこうと、8〜9月は連続的な山行を 重ねた。そのしめくくりが9月下旬 におこなった大雪――利尻山の「はしご登山 」だった。

 夏休みの延長とはいっても9月の下旬のことだったから、山はすでに晩秋を迎え、冬の入口に 立っていた。9月23日、層雲峡から黒岳7合目へ上がるロープウェーに乗ると、北鎮岳や凌雲岳 の山頂部にはうっすらと新雪がついているのが見えた。この雪は22日に降ったものだが、すでに、 今シーズン2度めの降雪だった。この次、降れば、山は一気に冬の姿になるかもしれない。黒岳の 山肌の紅葉の鮮やかさをよろこんでばかりはいられない。縦走中の好天を祈っての、入山だった。





黒岳の山頂にて


 

9月23日、急行列車で石北線の上川駅に降り立ち、層雲峡行きのバスに乗る。大雪の縦走は 初めての挑戦で、当初は、愛山渓 北鎮岳 北海岳 旭岳 勇駒別と、大雪山のお鉢平をひとめ ぐりするコースを計画していた。しかし、8月末の台風の影響で、愛山渓へのバスが不通になった ため、入山コースを変更して黒岳へ上がる層雲峡からのコースとした。このコースは7合めまでロ ープウェーを使えるため、最初の日に大雪の主脈の一角に立つことができる。そのため縦走ルー トも大きく変更して、忠別岳から、あわよくばトムラウシ山へ、足を大きく南に延ばす計画に切り換え た。

 しかし、結果的には、天候にいま一つ恵まれず、第2日が忠別小屋泊まりとなったため、最終日 は化雲岳から天人峡へと下山した。

 15時20分、黒岳の7合めの駅から登山道の登りになる。右手の谷がすばらしい黄葉に埋まっ ている。シマリスが道をとうせんぼしていて、お菓子をねだっていた。だいぶ人なれしたリスだった。

 黒岳の山頂に立つと、強く冷たい風が吹きつけてきた(16時10分)。北海岳、間宮岳、北鎮岳 の頂が薄く雪化粧している。大雪の中心部に踏み入るこれからの行程を考えて、身が引き締まる 思いがした。



 今夜の泊り場、黒岳石室へ下る。16時35分。

 9月24日。石室を発って、北海岳へ向かう(6時25分)。お鉢平の大火口は北東の側に出口をあ けているが、その出口に向かって赤石川が流れ下っていて、登山道はこの沢を横切る。美ガ原と名 づけられた一帯で、真っ赤な草もみじが晩秋の山肌を彩っていた。前方、北海岳の山腹には大きな 雪田が残り、北海岳の頂きに新雪が舞い降りていた。生まれて初めて見る残雪と新雪。黄色と赤の 紅葉。不思議な色彩にいろどられた光景だった。





美ヶ原をすぎて、赤石川上流を渡るところで、北海岳への道をのぞむ



北海岳の山頂から旭岳方面


 黒い雲の下、風が吹きすさぶ白雲岳への道では、体が飛ばされないよう足を踏ん張って歩をすす めた。白い霜が下りた地面には、地表の石が亀の甲模様を描く構造土を見つけた。足を止める余 裕もなく、体を斜めに傾けて、冷たく暗い縦走路を走るように突きすすんだ。

 分岐点の標識から、白雲岳の頂上へ立ち寄った。広い平坦な地形が頂上近くに展開し、岩の堆 積が連なっている。ナキウサギの、か細い声が聞こえてくる。

 たどりついた白雲岳の頂き(8時48分)からの眺めでもっとも印象的だったのは、眼下に展開する 忠別川の源頭部の様子だった。沢筋には雪渓が残り、灰色の岩が露出している。真っ赤に色づいたナナカ マドがその沢を帯状にふちどり、さらに濃い緑色のハイ松が尾根を埋める。源頭の一つひとつの枝 沢が、白、灰色、赤、緑の四つの色でぬり分けられ、その沢が幾つも幾つも枝分かれして山腹いっ ぱいに不思議な絵模様を描いていた。

 白雲小屋はカールモレーンの高みに建っていた(9時40分着、10時30分発)。これから出発し ようとする3、4人の登山者がいた。石室を出てから、初めての人。そして、これが、この山行で出 会った最後の登山者となった。

 小屋は高みにあるだけに、眼前にすばらしい展望が開ける。高根ガ原の平坦な稜線の先に、忠 別岳、化雲岳が連なり、はるか遠くにトムラウシが牛の頭のように黒々とした山体をもたげてい た。

 高根ヶ原から見下ろした高原沼は、黄、赤、緑の乱雑な色使い。青黒く光っていた沼を包み込む その情景も、この世のものとは思えないものだった。この原っぱは、ハイ松に見通しをさえぎられた 道をたどるように延びていて、熊との出会いが怖い。

 忠別岳の前後から天気が変わる。ヒサゴ沼までの行程を断念し、冷たい雨に追われるように忠 別小屋に逃げ込んだ(13時47分)。季節外れのため、この小屋では、たった一人で一夜をすごし た。装備は十分だが、降雪があれば、視界が悪い場合は天人峡への下山が厳しくなる。戻って高 原沼からエスケープすることになるのか。

 

 9月25日。雷雨の夜が明けると、冷え込む朝となった。白雲岳から旭岳、北鎮岳など北部の山 には、シーズン3度めの降雪があった。



五色岳から、トムラウシ。この日は終日、誰にも会わない縦走路だった

 7時28分、忠別小屋発。うれしいことに縦走路はまったく雪が付いていない。空は快晴。ハイ松 に重たく付いた露をかぶりながら化雲岳に上がり、トムラウシを眺めた。昨日は黒々と見えていた トムラウシの岩の頂が、今朝は晴天の朝日を浴びている。それにしても、まだ遠い。今度はきっと とその姿を眺めて、化雲岳をあとにした(9時20分)。

 天人峡への下山コースは、深いハイ松帯を抜け、ツガやトド松の原生林の中を、高度を下げてい く。大雪の主峰・旭岳が雪をかぶって大きい。黄葉した草原を幾つも通り抜け、深い樹林の中へ。熊 の糞や掘り起こしの跡におびえながら、麓の温泉へと向かった。(14時10分、天人峡下山)

        ◇     ◇     ◇

 この山行については、「恵廸山の会」のノートや寮誌に、そのときの思い出を書き残して いるので、それを以下に掲げる。単独行は、五感もそれを受けとめる心も研ぎ澄ますのか、長い時間 をおいても忘れることのない情景と出来事とを胸に刻みつけてくれた。

                         




出会い
            恵廸山の会の山ノートから    1975年10月記

 暗い石室の隅で、眠っている登山者たちのじゃまにならぬよう、カチャカチャいう食器の音を気にしなが ら朝食をつめこむと、ぼくはキジをうちに外へ出た。

 外はガスだった。夜が明け切ったのかどうか判別がつかないような、濃いガスだった。でも、じっとしてい られないほどの寒さと冷たい風が、今日の好天を予期させてくれた。

 そのときだった。うす暗がりの中を、何か動くものがぼくに向かってどんどん近づいてきた。逃げよう!  一瞬そう思って足を踏み出そうとしたけれど、相手が自分より小さいことを悟って思いとどまった。

 キツネ……キタキツネだった。そいつは、ぼくから5〜6メートル手前でちょっと立ち止まり、様子をうかが うと、今度はゆっくり近づいてきて上目づかいでぼくを見上げた。まだ警戒を解いでいないで、ジロジロと動 く黒い瞳。ぼくは、あっけにとられてそれを見ていた。

 彼は、呆然と突っ立ったままのぼくのまわりをゆっくりとまわると、来たときと反対の方へ歩いていった。 彼がもう一度、立ち止まって体を横向きにしてぼくと視線を合わせたとき、その茶色の毛並みはきれいだ ったし、黒い鼻さき、やや白い感じのする、体のわりに太くてしっかりした足、そんな体つきは、とてもりりし く見えた。

 幾秒もたたぬうちに、彼はピョンと飛んで体を前の方へ向きなおすと、あとは一気にハイ松の茂みめが けて走り去ってしまった。



 忠別の小屋
            恵廸山の会の山ノートから      1975年10月記

 小屋の2階のあおり窓を開けて、ぼくは目まぐるしく移り変わる外の光景に見とれていた。

 強い西風にあおられて、ガスが不連続な固まりになって、稜線を越えて飛んでくる。そして、その大き な固まりが小屋をも包むと、ぼくの目の前はうす灰色のベールでおおわれてしまうのだった。うす灰色が 白になり、そして少しオレンジがかると、ガスは一気に通り過ぎ、晴れ上がる。その時だけ、まだ次のガス の固まりが稜線の上に持ち上げられたばかりのそんな一瞬だけ、秋の午後の低い日差しが忠別岳の山 腹を照らし出すのだった。山腹を彩るハイマツの黒と灌木の赤とのコントラストは、よけいにきわだって、 幻想的に見えた。みぞれか新雪でも舞っているのだろうか? 忠別の頂きは、山腹のガスが吹きはらわ れたときでさえも、厚いガスの中だった。

 ぼくは、一人だった。暗いガスの中に忠別小屋の赤い屋根を見つけた時でさえ、心細さはますばかりだ った。人の気配のまったくしない小屋。入り口の扉を押し開ける時の、どうしようもない怖さ。ザックを下ろ しても、すぐに腰をかけようとしないで、小屋の中に自分を怖がらせるものがいないことを、確かめるのだ った。

 階段をつたって、1階から2階へ。トタンの屋根が不気味なきしみ音を立てていた。冷たいガスと、それ が吹きはらわれたあとに一瞬だけ差す日差し。その繰り返しが、トタンに、いつ終わるともしれない収縮を 強いている。

 なんて暗い小屋なんだ。重たいあおり窓を開けて、外の光景に目を移した時、ぼくはやっと、ひとりぼっ ちの怖さから解放されたのだった。






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野原 森夫