札幌へ      北大での私と、山登り


 北大の入試のため、初めて津軽海峡を渡ったのは、1973年3月2日の朝だった。前 日は高校の卒業式で、このとき初めて、「政治的ポスター」というものを作った。「卒業式 での君が代の強制を拒否する」という内容で、字がいっぱいつまったものを3枚、手書き で作り、生徒の利用が大半のトイレの中にはった。教師にできるだけ見つからないように、 少しでも長くはがされないでいるように、との思いからだった。こういう生徒の主張と行動 に理解を示してくれる教師がいる様子は、私の高校の場合はまったく感じることができな かった。
 はたして、卒業式では、君が代はプログラムから除かれていた。

 その夜、函館の入試会場へ向かうため、夜行の急行で福島駅を発った。東北本線を北 上し、3月2日朝、青森駅から青函連絡船へ。春の低気圧の通過で海は波立っており、私 は船が津軽海峡部に出ないうちに、ひどい船酔いに襲われた。自席にはほとんどもどれず、 船のトイレのなかにすわりこんで、動けないほどだった。宿でも夕食をとれず、ボロボロの 体のまま、眠り続けた。そして、入試当日の3日の朝、私は飲物しか受けつけない体で、市 内の入試会場へ向かった。(当時は北大の理類、文類はそれぞれ学部を横断して 一括募集で、入試会場は札幌の 校舎と函館の水産学部キャンパスとを選ぶことができた。)

 初めての津軽海峡渡航の前後の、この波瀾の出来事は、思い返せばその後の自分の学 生生活を暗示していたのかもしれない。北大をなんとか脱出して、もう一度、この海峡を渡り 返すまでに、ずいぶんと年数をかけてしまった。

 けれどもこの期間は、自分にとって少しも長くなかった。
 全体のうち、山登りは3割弱、勉強に費やしたのが同じく3割程度というところだったろう か。やりなおせるなら、あのころのこういう時間の使い方を、もっとましなものに組み立て直す ことはできるかもしれない。が、北海道というところは、とても4年限りの学生生活で堪能しき れるところではなかった。

 ともかく、原始的な自然が残っていることに憧れて北海道に渡ったが、とくに最初の1年は 「山へ行って気分直し」という心の余裕さえなくて、せっかく札幌へ住んでいるのに、北海道の 山には全然、登らない1年間になってしまった。この時期の山行記録が、郷里に帰省したとき だけのものになっているのは、こういう事情からである。

 山と勉学と学生運動の、この相並び立ちがたい課題に挑んでしまったことからくる矛盾は、 札幌での生活の最後まで、ずっと解消できないままとなった。ある時期には、半年で40日以 上も山にはいっていたこともあるし、別の時期には年に何度も山へ行かない時期もあった。あ る時期の山ノートに、こんなことも書いている。

 「………もう4ヵ月も山へ行っていない。それも、秋に行った一度にしても、気安い日帰りの 山行だった。忙しいのはそうだ。でも、山へ行かないのは、そのせいばかりではない。行きた い気持ちが失せてしまったのではない。ただ、行くことがもどかしいのだ。山なんて、もちろん、 行けばいいというものではない。下界での実生活を生き生きと創りあげ、そこから湧き出るす なおな欲求を精一杯ぶつけるものでありたい。また、山行自体も目的意識性をもったものであ りたい。今、ぼくには、そこが欠けている。試験が明けたら、澄みきった気持ちで、そんな山行 をしよう。」(1978年2月)

 こんな生活の節目節目で、私は、自然の中に分け入る欲求をおさえきれず、山行を重ねて いった。山行の内容も、沢遡行、渓流釣り、ツアー・スキー(スキーはなかなか上達しなかった) が加わり、季節を選ばず多彩なものになっていった。学生寮の仲間たちと山のサークル「恵廸 山の会」をつくり、工学部では職員・学生でつくる「北大秀岳会」に加えてもらった。

 北大秀岳会では、事務局長のコンペイさん(工学部職員)に大変お世話になり、日高・楽 古岳や、無意根山・千尺高地ツアー・スキーなどでおともをさせていただいた。

 恵廸山の会の結成時のメンバーには、私と同じ高校の出身の吾妻学農君(農学部)、釣りの 恩師で北大釣り同好会のメンバーの山野弘和君(水産学部)、道産子で世話好き、鉈使いの達 人のSA君(理学部)、雄の雑種・忠犬「翁丸」の飼い主で北大ワンゲル部のSM君(獣 医学部)、文学青年で苦労人ぽい人だったYK君(教育学部)、北大山岳部キャプテンとな ったHK君(農学部、78年3月、知床で遭難死)、秀岳荘の山スキー板を大事に使っていた TE君(理学部)、大分県出身で"詩人"のHY君(経済学部)、医学部生の年長者・H さん、静岡県出身の熱血青年・S君、それに富山県出身のTS君(法学部)らがい、その ほかに地質学専攻のNH君(理学部)、その他寮内外のメンバーが加わって、山行が組ま れた。
 その山行の模様は、いま思い出しても口元がほころび、顔が赤らみ、ときには大声で笑っ てしまうような、数々の珍事件・怪事象で彩られている。こういう仲間と体と心をぶつけ合うような ときを、青春の一時期に得られたことは、思い出してみれば幸せなことだった。

 

              (1994年10月記)





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野原 森夫