羅臼岳

          1994年8月2日   家族4人






羅臼岳
カシミール3D(DAN杉本 作)で描画。国土地理院50m数値地図を使用



「今世紀で一番、暑い夏」の知床入り

 1994年夏の家族登山は、知床・羅臼岳をめざした。初めての知床半島の旅。札幌から 2泊3日の日程には、沢での釣りもプランに盛り込み、あいだの1日を羅臼岳登山に使うと いう忙しい計画となった。車の走行距離も、1日めの往路が510キロ、3日めの帰りが、沢 めぐりも入れて520キロに達した。「北海道は、ほんとうにでかい」をあらためて実感して、 3日めの夜11時30分すぎに、ようやく札幌に舞い戻った。

 「今世紀で一番、暑い」というこの夏の炎暑は、この北の果ての山にまで、およんでいた。 羅臼のキャンプ場のテントの中では寝苦しい夜を味わい、羅臼岳の登山コースでは大汗を かいて水を飲み続けるうちに、塩分不足でひどくばててしまった。なにしろ、キャンプ場に下 りついて一番、食べたかったのが、塩がきいた漬物。羅臼の町に買い出しにいって、夕御 飯にみんなでかぶりついたら、キュウリのぬか漬けも、白菜も、いくら口に入れても甘い味 しかしなくて、「塩分不足」のひどさをあらためて思い知らされたほどだった。



羅臼キャンプ場の朝(1994年8月3日)


羅臼側は、ロングコース

 8月2日、羅臼キャンプ場のテントを午前5時に出発。最初は笹やぶを刈り払った道をすす み、勾配が急になってくると尾根にとりつき、尾根筋を登るようになる。ミズナラなどの樹林の 中の道で、気持ちがよい。見晴らしがよい場所に出ると、はるか下方に知床横断道路を走る バスが見えた。道の傍らの朽ちた立木には、傘だけはヤギタケなんかに似た、名前の知らな いキノコが生えだしていた。背後には、海岸線と羅臼の町が見え隠れする。1時間ばかり登っ たところで休憩。汗が滴り落ちる。

 尾根が痩せてきて、あたりがハイマツや高山植物に変わると、しばらくで尾根の稜線が岩場 となる場所に出る。登山道も茶色の岩を縫うようにすすむ。ここが「第一の岩場」で午前7時。 尾根の上から岩を混ぜた急な斜面が沢へ向かって落ち込んでいて、その中途のところをトラ バースするように、登山道が開かれている。

 そこから少し登ると「第二の岩場」。そして、小沢が流れる場所に出て、ここで最初のおいし い水が得られ、小さな天場もあった。

 先ほどから左下を流れているのが「登山川」と呼ばれる沢で、この沢はV字谷の底を流れて いたはずだったのに、ここでは谷が浅くなってガレ場を流れるようになる。さきほどの水場の沢 は、この登山川の枝沢がガレ場を伝って迂回してきたもののよう。傾斜はひとしきりきつくなり、 そしていったん緩やかになったところで、登山川を左岸から右岸へ渡る渡渉地点に出た。川幅 は4〜5メートル。飛び石では登山靴をぬらす程度の水量があり、水に勢いがある。増水のときには 苦労するかもしれない。

 沢の傾斜がさらにゆるんで、やや開けたような地形になると、「泊り場」と呼ばれる休み場は近 い。この当たりは硫黄臭い水が多いが、途中、沢に左手(右岸)から流れ込む湧水(泊り場の 100メートル手前)があって、その一つは冷たくておいしい真水だった。ここで、3度めの休憩をとる。 東京を発って以来の強行スケジュールで、体はかなりこたえている。遥子や子どもたちも、汗を かなりかいて、つらそう。それにしてもまだ行程の半分にきたかどうかというところ。羅臼側は想 像していた以上のロングコースだ。ほとんど海岸近く(登山口は標高120メートル)から1661メートルの山 に登るのだから、よく考えれば当然なのか………。

 午前8時半に泊り場を通過する。硫黄の露頭がそこここにあり、その中に何箇所か、沢の中州 のようなザレ地を選んで、テントを設営した跡がある。

断続する雪田を越えて、ラウス平へ

 泊り場で最初の残雪が現れた。道はいったん沢を離れ、灌木の茂みに入る。見通しがきかな い薄暗い道で、子どもたちは「熊よ出るな!」としきりに怖がる。「オーイ!」とか「ヤッホー!」とか、 「さあ、こい」とか、意味不明の声をかわりばんこに上げて、とにかくこの陰気な場所の一刻も早い 脱出を願う。この道はいわゆる涸れ沢(溝道)をたどって登る様子で、茂みを抜けるとまた平坦な ガレに出た。羅臼側の登山ルートは、最初こそ尾根の刈り分けだけれども、中盤から上部では沢 床とガレの堆積場所をうまくたどって、登山道が開かれている。

 雪田が現れ、ガレの急斜面にとりつく。右手にはゴツゴツした大きな岩の尾根が、衝立のように 連なっている。これが「屏風岩」か。雪渓で埋まる沢をはさんで、高度感のある登りだ。雪解け水が ガレといわず、小沢といわず、そこらじゅうを流れ落ちている。

 途中で、ルートが雪田にいったん降りるところで、コースから外れた沢型に紺色の中型ザックが 落ちているのが見えた。なぜか、表地があちこち破れて、無残な姿………。「どうして、ザックがあ んなところに?」、声は上がったが、何故を問い詰めると、怖い答えにしか行き着かない。おおっ 怖っ………。でも最近、知床でその手の犠牲者は出ていないはずなので、別の理由で打ち捨てら れたザックにちがいない。

 沢筋のルートを終えると傾斜はまた強まり、大きな雪田が前方をふさぐように現れた。あたりは 今度の山行で一番、いや知床連峰でも屈指といわれるお花畑が展開する。雪田にのったり、草 地の中の道をたどったりしてひと登りすると、主稜線の一角、ラウス平に到達した。そのまま羅臼 岳へと登りだして、30〜50メートルばかりいった岩場で、まったく望外な水場に対面して、休憩(午前 11時すぎ)。高さ3メートル近い黒い岩が衝立のように立っていて、水はその岩の面からしみだし、ハ ングした岩の突起から雨垂れのように流れ落ちている。その源は、羅臼岳の山頂部に降った雨 や雪なのだろう。山頂まであと一息というところで、これまでに体験したことのない水場の存在で あり、流れ出し方だった。その水がまた手を切るように冷たいという形容がぴったりで、おいしか った。テント場は水場から300メートルくらいは離れているけれど、いつか、この水を使って、ラウス平 で幕営したい。

知床最高峰の山頂に立つ

 出発からすでに6時間もたっているけれど、頂上が近いとなればみんな元気になる。例によって 岳彦が先行し、峻ニが後を追う。ガレ場が岩場に変わって急な斜面を高度をかせぐと、すぐ隣の 三ツ岳の向こうにサシルイ岳や硫黄山など知床の峰々が姿を現してくる。高度を上げる分だけ、 遠くが見えるという感じだ。ラウス平から35分ほどかかって羅臼岳山頂(1661メートル)に立った。 (午前11時50分)





羅臼岳山頂から、硫黄岳方面


 山頂は細い岩場の高まりで意外に狭く、反対側は岩の断崖になっている。周囲に山はなく、大 斜面が四方に広がっている。オホーツクと太平洋(根室海峡)の海岸線まで見渡せ、独特な高度 感がある。ラウス平の鞍部を隔てて三ツ岳、サシルイ岳、硫黄山が遠望でき、そのさき、雲にまか れた中にも山々が連なっている。太平洋側の海岸線には羅臼の町が見え、その先には国後島の 山々も望むことができた。

 海から突き出したような山頂に立つのは、私は利尻岳(1975年)いらいのことだが、遥子と子ど もたちは、この不思議な眺望はもちろん初めて。360度のうち、硫黄山へ続く一本の稜線以外、 みんな下まで見渡せるめずらしい眺めを4人でゆっくり堪能した。

 山頂には、7〜8人の登山者がいたが、後から登ってくる人も含めて、大半が岩尾別から登って きた人達だった。ラウス平の下りたあとも、岩尾別からは3パーティーほどが登ってきた。私たち はとにかく今日はテントにたどりついて、明日の釣り行に備えなくてはならない。長大といってもい い羅臼側の下山ルートをふたたびたどることにした。それにしても、この場所から眺める羅臼の 町のなんと遠いことか。

 屏風岩の手前まで下りたとろで、雪田で峻ニが「足が痛い」といいだした。峻ニは、その先、第 一の岩場の下の樹林の尾根まで下りてきて、膝の痛みがひどくなって泣きだしてしまった。4人と も、みんなひどい脱力感と足の痛みとで、めったに味わえない疲労に襲われていた。後でテントま で下りたって気づいたことだが、この日は汗を激しくかく度に、真水ばかり体に補給して、行動食も 塩分が少なかったため、急激な塩分欠乏の状態にあったよう。テントに下りたって、塩っぱいもの を補給して、ようやく体はほっとした。

 羅臼のキャンプ場には、夕方5時40分着。行動時間は12時間30分。町に買い出しに行って調 達してきた漬物が、次々と口に運ばれる夕食のあと、みんなぼろ雑巾のようになって眠りこけた。

(翌日は知床半島の沢でオショロコマを釣って、札幌に夜中に帰った。そのあと中1日おいて、十 勝へ釣行。その翌日に長躯帰京。)





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野原 森夫