日高・ペテガリ岳

          1986年7月21〜23日   野原、吾妻学農・麻耶夫妻


日高君とともに、遙かな山へ

 山友達の吾妻学農君・麻耶さん夫妻の長男・日高君は、生まれて半年たらずで、星に なってしまった。日高君が亡くなった翌年の夏、夫妻のペテガリ岳登山に同行させてもら った。札幌へは、私の家族は東京から、吾妻君夫妻は郡山から向かい、合流した。遥 子、岳彦、峻ニは、遥子の札幌の実家に残して、出発する。

 7月21日。 札幌(8時30分発)からは吾妻君が運転する車で長沼を通り、山間の道 をぬけて日高の海岸へ出た。静内町まで走って駅前で昼食。営林署で入林許可をとり、 昼過ぎに同町発(12時50分)。

 最初は静内川に沿って走る気持ちのよい舗装道路だったが、平野部から山の入り口 まで走ってくると、道はひどい蛇行が始まる。日高横断道路として計画・建設中の道で、 静内ダムを過ぎると、メナシベツ川沿いの道となる。拡幅・改良工事の最中のジャリ道は 激しい振動を伝えてくる。昼でもヘッドライトをつけて走れ、と注意書きがあったけれど、 対向車とすれ違うと、土ぼこりで視界が消失して、なるほど危ない。それでも、時速30キロ の制限速度をまったく無視して吾妻君はアクセルをふかし、小さなダムや、幾つもの 堰堤・分岐を越して進んでいった。大きな石積みのダムも途中にあり、土砂が堆積して 川原を埋めていた。

  美しい渓谷は土砂の下に

 途中、コイボクシュシビチャリ川出合いで横断道のルートと別れ、今度はコイカクシュシ ビチャリ川に沿った、一段とひどい悪路を登っていく。1300tの小さな車の腹を、林道 の土や石がゴツゴツ、ガリガリとこする。このあたりは、昔の記録にはマス(ヤマメ、サク ラマス)や大型のイワナが群れる地域と紹介されていたところだが、ダムと堰堤が川をせ きとめ、林道は山土を崩し、沢は土砂が堆積して、ただの水路のように見える。林道が延 びた分、困難で日数がかかる沢の遡行からは解放されたわけだが、失ったものは取り返 しがつかない。タラの木やウドが、道端で懸命に背を伸ばしている。

 林道が車がやっと通れるくらいに細くなり、雑草で道が埋まりだしたころ、静内から2時間 ほどの走行で、ようやくペテガリ山荘に着く(午後2時55分)。  このあたりまでくると、沢は自然の美しい姿のままだ。釣りの支度をして林道を少し登り、 ペテガリ沢との出合いにかかった吊り橋のたもとからコイカク沢に下りた。どちらの沢も水 量はまだかなり多い。コイカク沢で竿を振ったが、追いはまったく見られなかった。すぐ上流 で大きな淵に通せんぼされて、釣りは断念。林道沿いでタラの若芽の先を摘みながら小屋 に帰った。小屋では、サッシビチャリ川からペテガリ岳を直登して下山してきたという、北大 の2人の学生といっしょになった。


ペテガリ山荘前で、出発の準備


西尾根のアップダウンをたどって

 7月22日。今日は、遙かな山、ペテガリ岳を往復する長丁場。標高400メートル未満のこの小 屋から山頂まで、単純な標高差は1350メートルだが、なにしろ西尾根は幾つもの小さな峰が連 続し、標高差の何割増しもの余分の登高を強いられる。当然、下りも、登り返しが繰り返さ れる。夜になって小屋に帰り着くのは、この日高ではできれば避けたい。暗いうちに起きて、 5時半に小屋を発つ。

 チシマザサの刈り分けをすすみ、尾根筋に出ると、西尾根コースのアップダウンが始まる。 最初は樹林に視界がさえぎられていたが、1050メートルのコブに着くと(6時50分)、深い谷をは さんで、ドーム型の独特のピークをもつ山が目の前に現れた。「1839(いっぱーさんきゅう)峰」 で、雷光のように細く鋭い雪渓が二筋、三筋、山頂やその鞍部めがけて駆け上がっている。屹 立という言葉がぴったりの、いい山だ。右手にはヤオロマップ岳も見える。

  ペテガリ岳へ標高差500メートルの最後の登り

 西尾根の登下降をさらに繰り返して、最後の1301メートルのピークの展望台に立つと(9時25 分)、目の下の鞍部を隔てて、ペテガリ岳の大きな山頂部がせり上がっていた。この展望地 点からは、南に中ノ岳、北にルベツネ岳、ヤオロマップ岳、そして1839峰など、中部日高の 山々が眺められる。周囲のそれらのどの山とくらべても、ペテガリ岳はひとまわりも、ふたま わりも、大きく感じる。この山が日高で人気を集めてきたのは、アプローチの長大さ、遙かな 山としての登頂の困難さだけではなかったのだな、と実感できた。サッシビチャリ川の西沢が、 トイ状の滝を連続して懸けながら、山頂の西の肩にせり上がり、小さな鋭い切れ込みを刻ん でいる。

 「山頂まで、どれぐらいかな。一時間半くらいかな」「いや、2時間かかるんでないか」。鞍部 までいったん下降して、標高差500メートルの登りにかかる。
 日高側も十勝側も、今日は雲海の下だ。南の主稜の山々をふり返ると、ガスは先ほどより も切れ始め、高度を上げるにつれて、名前が確認できないピークが姿を現し始める。「早く山 頂に立って、カールを見下ろしたい。北の山脈の大展望を見たい」。十勝側からふき上げる風 も涼しく、3人ともペースを落とさずに登りつめた。

  山また山の大展望と、大きく切れ落ちたカール

 ペテガリ岳の頂上へ(11時35分、1736メートル)。山頂の十勝側は、カール底に達する壁が急 な断崖となって切れ落ちていた。体をしっかり支えて北を展望する。



ペテガリ岳山頂から北を望む


 それは期待通りのすばらしい大展望だった。ヤオロマップ岳の右に大きなカムイエクウチカ ウシ山、さらに北へエサオマントッタベツ岳、札内岳、十勝幌尻岳。日高の主稜線は、ピークを せり上げるごとに大きく屈曲しながら、北へ伸びている。
 南は、神威岳、ソエマツ岳、そしてはるか遠くに7年前に視界ゼロの霧氷とガスのピークを踏 んだ楽古岳。
 ほんとうに、シーズン中、何度あるだろうか、というくらいの大展望だった。イワナの姿にお目 にかかれなかった昨日の落胆など、十分とりかえしてお釣りがくる眺めである。山頂の足元か ら切れ落ちているカールは、もっとも大きなAカールで、モレーンのあたりは残雪の白とカンバ の緑の配色が鮮やか。主のヒグマの姿を捜したけれど、やっこさん、そうやすやすとは姿を見 せてくれなかった。

 吾妻君と麻耶さんは、山頂のケルンのわきを浅く掘る。日高君のお骨を埋めるためである。 2人で土をかけ、小さなケルンを積んだ。「それじゃな」。吾妻君がケルンに向かって声をかけ、 麻耶さんもふり返る。登りに6時間をかけた西尾根を、下りにも5時間余りかけて、谷筋のペテ ガリ山荘はもう夕暮れの中だった。
(午後6時45分山荘着。翌23日午前7時すぎに山荘を発って、札幌に午後1時すぎ着。)





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野原 森夫