ニセコの山と、後方羊蹄山

1974年8月27〜30日 単独

 ニセコの山は、札幌から福島への帰省の行き 帰りに函館本線を使うと、列車の窓か ら眺める ことができた。私がよく使っ ていた列車は、函館と稚内を往復する 急行「宗谷」で、この 急行は上りも下 りも、日中の明るい時間帯にニセコや 倶知安のあたりを通過した。

 高校時代に読んだ深田久弥の『わが 愛する山々』では、周遊券をフルに使 った家 族三人の山旅の途上、後方羊蹄 山(しりべしやま)に登る話が出てく る。この紀行で は、列車の窓に入りき れないくらいの大きさで後方羊蹄山が 迫ってくることや、登山 口の比羅夫の 民家が夏でもストーブを焚いていたこと、などが印象深く描かれていた。

 札幌に来て、忙しくて余裕を見い だせなかった生活が一年余りも続いて 、どこか 山に登ってみようと、ふと思 いたった夏休み。登山の対象にニセコの山域を 選んだのは、こんな 記憶があったためかもしれない。

 当時の山ノートの記録と思い出とか ら、このときの山行をまとめた。

              





右手前から左後方へ、イワオヌプリ、ニセコアンヌプリ、後志羊蹄山

カシミール3D(DAN杉本作)で描画。国土地理院50m数値地図・日本T使用


 ベースはアンヌプリの麓に

 8月27日。札幌発10時15分の鈍行で2時間かかって倶知安駅に着く。バスに乗り 換えニセコの山に分け入るように登って、「ニセコ山の家」という国鉄のロッジに着い た。温泉の臭い。あたりはスキー場に囲まれて、山の中という感じがしない。山の家は ちょうど新築の工事の最中で、ガッガッガッガッとすごい音が響いている。ニセコアン ヌプリの西側の山すそにキャンプ場があって、ここにテントを設営した。騒音現場まで は、400メートルくらいの距離か。単独行でも怖さを感じないのはいいのかもしれないが、山 に来てこの騒音ではたまらない。



 食事を終えて、午後2時50分にテントを発ち、イワオヌプリ(1118メートル)まで片道30分 ほどで往復してくる。頂上は、福島の安達太良山を思わせるような、火山岩とザレの山 だった。山頂からは、山すそがのびやかに広がって、その先に海が見えた。岩内あたり だろうか。風があるのか、海面が波立っているのさえ、わかった。山頂から海を見たの は、これが初めてだった。

 東をふりかえると、ニセコアンヌプリの三角形の大きな山体が、こちらを見下ろしてい る。アンヌプリの左肩には、富士山そっくりの後方羊蹄山の山頂が、浮かび上がってい た。ここから見る後方羊蹄山は壁のように立ちふさがっていて、登りはかなりきつそうだ った。

 5時、キャンプ場のテントに帰る。

 ニトヌプリとアンヌプリに登る

 8月28日。朝、テントを出ると、昨日登ったイワオヌプリがだいだい色に染まっていた。 今日は、ニセコ山塊の稜線をたどってニトヌプリからチセヌプリまで、ピストンしてきたい。

 6時40分発。イワオヌプリへの分岐からニトヌプリへの道に入ると、そこから先は細い 山道となった。道はいったん下降して、やや広い窪地にいたる。赤茶けた土の上に、なに か獣の大きな足跡があった。熊を思って怖かった。

 ここからは元気づけに、かけ声をかけながら進む。ニトヌプリの山頂は、登山道の分岐 から道をそれて急な登りを上がったところにあった。ハイ松のブッシュこぎをしばらくして、 頂上に出た(1081メートル、8時17分着)。この山は双耳峰になっていて、ガスの中で南(東) に見え隠れしている峰は、こちらよりやや高く見えた。しかし、頂上までの踏み跡は見当た らず、30分ほどのやぶこぎを強いられそうだ。

 西側を見下ろすと、細長い沼がある。行く手はと、チセヌプリへの登山道を目でたどると、 刈り分けの踏み跡は、途中の鞍部付近で道路工事のため断ち切られている。雨がザッと きそうな雲行きになってきたので、チセヌプリ行きはとりやめて、いったんテントへ帰り、模 様ながめをすることにした。

 駆け足のようなペースでテント場へ引き返す。雨が降り始めるのといっしょに、テントに飛 び込んだ。10時30分着。

 2時間近く、食事と雨宿りをしていたら、天候が回復してきて雨はガスに変わり、空が明る くなった。午後0時10分、テントを出てアンヌプリに向かう。

 登山道は、東南の方向に張り出した尾根をジグザグに登っていくが、ニトヌプリ方面の山 道にくらべれば、よく整備されている。かなり登ったはずだが、ガスの中で下の方が見えな い。途中、登山道に出てきて小刻みに動いていたエゾシマリスを見つける。人の気配を感 じたのか、灌木の中に姿を隠した。

 電光形の登りは、頂上のすぐ下まで続いた。そして道が尾根筋をまっすぐたどるようにな ると、ふいに頂上(1309メートル)に達した。午後1時35分。

 頂上は、ガスをともなった冷たい風が吹きつけていた。ガスは、吹き飛ばされて、視界を 閉ざすベールのあちこちに、不意に空隙をつくっていた。ガスを割ってできたその"窓"か ら、まったく突然に、後方羊蹄山の山頂部が濃い灰色の姿を現した。威圧的なほど、大き く高い。昨日、イワオヌプリで見たときよりも、はるかに大きく、すごみがあった。ガスの海 の中に大きな山頂が島のように浮かんでいるようにも見えた。明日はあの頂をめざそう。

 テントには午後3時前にもどる。

 後方羊蹄山の避難小屋に泊まる

 8月29日。山の家前のバス停から、午前9時前のバスに乗って、倶知安へ下る。倶知 安で比羅夫側の登山口へ向かうバスに乗り換え国道を走ると、後方羊蹄山がどんどん 近づいてくる。高度感があるし、大きな山だ。午前10時すぎ、国道沿いの「登山口」のバ ス停で下りて、ニセコの山を背にして、森の中の道を歩きだした。

 最初は車道。うっそうとした林の中に半月湖があった。今夜は山頂の小屋に泊まるつも りなので、テントや余分の衣類、食糧などは不要になる。大型のキスリングごと道路わき の木の根元にデポして、半シュラフ、衣類、必要な食糧とホエーブスのバーナーなどをサ ブザックにつめて、登山道の登りにかかった。バスからは6人の登山者が下りたが、荷物 のつめかえをしたため、ぼくはどんじりだった。

 長い登りになることは、覚悟していた。一合め、二合めと上がっていくが、一合分登るの に25分かかるペースで進む。五合めから上では、灌木帯のきつい登りになって、「何合 め」と記した赤いペンキを見つけるごとに、休憩をとった。見上げると、山頂部が霧につ つまれているが、空は明るい。

 八合めをすぎると、登りはいっそうきつくなった。灌木がまばらになってガレ場がまじって くると、そこが九合めだった。冷たいガスの中に、ぼんやりとした標識を見つけた。そこは 山頂部の直下にある分岐点で、避難小屋への道が右に分かれていた。他の登山者はそ のまま山頂をめざしたようだが、このガスの中では展望はない。1泊する予定できたぼくは、 登頂は明日と決めて、小屋へ向かう緩い下り道に入った。ガレ場の中を目印になるロープ が道の脇に張ってある。リンドウが咲いていて、鮮やかな青紫色が美しかった。

 尾根らしい地形を二つ、三つと越えて、山頂部を西から南側にまわりこむように進むと、 ガスの中に避難小屋が姿を見せた。しっかりした木造のつくりだ。中に入ると、営林署の 管理人さんが、ストーブにあたりながらラジオを聞いていた。午後3時45分、ちょうど気象 通報の時間だったので、ザックの中身をどたばたと出して、天気図を書く。台風が2つある が、まだ遠い。そして、低気圧をいくつかともなった前線が東北以南の列島を縦断してい た。

 人気の高い山なのに、夜は管理人と2人きりだった。彼は27〜28歳くらいか。無口な 人だ。小さな発電機を動かして電灯とテレビをつけてみせて、「ここには何でもそろってい るんだから」と自慢していた。



後志羊蹄山の山頂部の概念図。山ノートから


 雲海に囲まれた後方羊蹄山の頂へ

 8月30日。目を覚まして、薄明るいのにはっとした。水筒とチョコレート1枚、それに上着 を衣類袋につめて、それだけをもって午前5時に小屋を出た。ヤッケをはおっているが、外 は寒い。

 おおっ、すごい。小屋の標高から少し下は灰色の雲海に埋め尽くされている。遠くを見る と、昆布岳やニセコの山々が、波打つような雲を割って、頭だけ、黒々とした山の形を見せ ている。御来光に間に合いますように………。ぼくは昨日きた道を必死で駆けていった。

 九合めの分岐からは、ガレ場の急登になる。先行している単独行の登山者は、夜通し、 登ってきた人か。頂上に続く火口尾根に出たところで、東の空がオレンジ色に染まってき た。急げ、急げ! ヤッケを脱いで、先行の登山者を途中で追い越して、火口尾根の北東 にある最高点をめざす。進みながら、火口を見下ろすと、火口の大きな釜は50メートルくらいの 深さで、中が大小3つの火口に仕切られていた。

 頂上のすぐ手前のヤセ尾根にとりついたところで、ついに太陽のまぶしい一片が顔をの ぞかせた。灰色だった雲海はすでに白い海に変わっていたが、その海が灯台の灯に照ら されたように、瞬間、輝くオレンジ色に変わった。そして、白い海がオレンジ色に変わるそ の色の変化は、目の前からサーッとニセコの方面に走っていった。気がつくと、岩場にとり ついているぼくの手も、そして黒い岩も、すべてがオレンジ色に染まっていた。はるか北東 の雲海の彼方には、無意根山や余市岳の連山も小さく浮かんでいた。

 さあ、頂上だ(5時15分、1893メートル)。後方羊蹄山をとりかこむすべての山々が、みな雲 の海に浮かんでいる。南東には、太平洋の入り江、噴火湾があるはずだが、これも雲海 の下。その彼方には駒ヶ岳も望見できた。山頂の岩場から見下ろすと、斜面は落石があ ればとても止まらないほどの、かなりの急な角度で、雲の波の中にのみこまれていた。

 下山は、そのまま火口尾根の円周をぐるっと時計まわりに回って、小屋をめざす。通 過する人が少ないのか、踏み跡は切れぎれで、気の抜けない岩稜が続いた。その尾根 が平たい地形に変わったところで、踏み跡は急に下降に移り、真狩の分岐に至る。避難 小屋は、その分岐からトラバース気味に進んで、すぐのところにあった。

 (避難小屋を9時すぎに発って、半月湖に午後0時すぎに下山。バス待ちで時間を費や して、倶知安経由で札幌にもどったのは、午後5時半だった。)






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野原 森夫