木挽沢遡行、定山渓神威岳

1975年8月3日
単独
(この記録は、山ノートのメモと図をもとに2000年7月にまとめた。)



恵迪寮→札幌真駒内(7時20分)バス→定山渓(8時05分着、同08 分発)タクシー→木挽(こびき)沢出合(8時15分着、同30分発)→最 初の二股の手前・3つめの大きめの滝(9時30分着、同45分発)→ 沢源頭の10mの涸れ滝(10時30分着、11時00分発)→神威岳山 頂(11時35分着、13時00分発)→林道に下り立つ(14時00分着、 同10分発)→百松橋(15時30分、同40分発)バス→札幌(16時30 分)→恵迪寮



 神威岳という名前の山は、道内にいくつかあるが、札幌の西に眺め ることができる神威岳は、他と区別して定山渓神威岳と呼ばれてき た。北大の農場など市街地からは、百松沢山の双耳峰の南隣やや 後に烏帽子岳が見え隠れして、烏帽子岳の南の稜線が下っていく途 中に、大きな「たんこぶ」のように突き出た山容が眺められる。たんこ ぶではかわいそうで、「ドーム状」の山頂部と形容される場合もある が、「あれが神威岳」と指差すときには「たんこぶ」と形容すれば一目 瞭然の山だ。

 1975年、北大3年目の夏休みは連続的な山行を9月までとりくん だ。その一つが神威岳だった。「木挽沢という短いけれどなかなかお もしろい入門の沢がある」というので出かけることにしたもの。源頭に 10メートルの涸れ滝があり、素手で直登できるというので、ヘルメット を持っていくことにした。

 真駒内までは地下鉄で。そこから定山渓へバスで入った。時間の節 約のため真駒内川と木挽沢の出合までは、タクシーを使った。
 小さなコンクリートの橋を渡るところが、出合だった。橋から見下ろす と、幅3、4メートルほどの水流が流れている。遡行の取り付き点は、 橋のたもとから作業道のような刈り分けを木挽沢の上流へ少しすす み、緩やかな平瀬の沢床に入るようになっていた。

 

 この遡行当時(1975年8月)のノートの記録に、私は、取り付きから 源頭の涸れ滝まで、12の滝の記号を書きこんでいる。(図参照)
 この滝の数はどこまで正確か、いまでは思い出すことができないが、 木挽沢は中流部で小さな滝や淵が連続していた。図には、「二つめの 大きめの滝はハング気味」と記入している。淵は太もも程度まで水に つかって抜けていけるものもあれば、スリルを味わってへつっていくも のもあった。滝はみな短くて直登できるか、まき道があった。25年後 の現在では、小樽内川に大きなダムがつくられて、木挽沢の下流部 から中流部(下部)にかけては、水没してしまっている。

 最初の二股の手前に、3つめの大きめの滝(といっても落差5、6メー トル)があり、ここまで1時間の遡行。二股では右手から水量の少ない 枝沢が合流してきた。
 ここから先は滝は少なくなり、左の烏帽子岳方向から2本の支流が合 流すると、水量はぐんと少なくなり、傾斜がました。
 最上部の二股は、山の会のメンバーに教えられた通り、水量が少な い方をとった。
 すぐその上に、話に聞いていた10メートルの涸れ滝が目の前に立ち ふさがった。ここまで、最初の二股から45分。
 涸れ滝は、40度から50度ほどの傾斜。水がポタポタと流れ落ちてく るような状態で、表面は黒っぽく濡れていた。ワラジのフリクションを頼 りに、取り付き、よじのぼる。上部では幅が1メートル前後なので、ホー ルドがとれなくても、滝脇の枝も手がかりになった。
 登りきると、その上には、おそろしくきつい源頭の溝道が待っていた。 両側のヤブをつかみながら体を引き上げていく。

 ヤブがつき、目の前が小広く開けると、神威岳の山頂に飛び出した。 取り付きから休みを入れて3時間。短かかったけれども、おもしろい障 害物がつぎつぎと目の前に現れて、ほどよい手応えのある遡行だっ た。

 百松橋へ、登山道を行って下山する。途中、振り返ると、神威岳のド ームがとても見栄えがする場所があった。百松沢沿いの林道に下り立 つあたりでは、熟した桑の実を見つけてほおばった。

 百松橋を渡って、国道へ。札幌の街へは、バスで帰っても夕方早く に着いてしまった。



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野原 森夫