大雪・カウンナイ川遡行

     1983年8月2日〜4日
 野原森夫、野原遥子、山野弘和、ズナガくん、吾妻麻耶



カウンナイ川の滝


 大島亮吉が辿った沢

 1979年の夏、十勝側のトムラウシ温泉からトムラウシ山に登り、化雲岳から高原 沼へと縦走したとき、トムラウシの山頂から西に伸びる黄金ガ原の湿原と、その北側 をすっぱりと切り落としたようなカウンナイ川(クワウンナイ川)の深い谷に、心をひかれた。

 大雪連峰と十勝連峰の接続の地域に位置するトムラウシ山や化雲岳は、太古の昔、 盛んに噴火をくりかえしていた火山である。噴出した溶岩と泥流は、山肌を流れ下り、 長大な斜面をつくった。カウンナイ川は、この厚く長大な溶岩の斜面が、永い歳月のわ たる浸食を受けて刻みこまれた、谷である。浸食で磨かれた結果、沢床には、黒くすべ すべした、ひとつづきの岩が顔を出し、沢の上流部に延々2キロメートルにわたって、長いナメ が形成されている。ナメの要所要所には、一枚岩の滑滝やハング状の滝が懸かり、そ の核心部は「滝の瀬十三丁」の名前で知られている。





西から望むトムラウシ。正面の深い谷がカウンナイ川。
ランドサット衛星画像、数値地図50mメッシュ標高をもとに、
カシミール3Dで描画。




今回の遡行ルート(青い線)のカウンナイ川。赤い線は下山ルート。
カシミール3D(DAN杉本 作)で描画。国土地理院数値地図を使用。


 アイヌの狩人が熊を追って駆けめぐっていた大雪山のなかで、おそらくカウンナイ川 の場合も、遡行や下降はアイヌの人たちによって、自然の生業のなかでなされたのだ ろう。和人として初めて「滝の瀬十三丁」に分け入ったのは登山家の小泉秀雄で、1919年 (大正8年)のことだった。

 翌1920年、慶大山岳会の大島亮吉は案内者2人をふくむ4人パーティーでこの長大 な沢を遡行した。大島らは、熊とイワナを追うアイヌの狩人らと山中で接触しながら、トム ラウシ、化雲岳、石狩岳へと沢と稜線をつたって縦走し、倒木帯や函の通過に難渋しな がら石狩川を下降して、層雲峡をへて上川側へ下山している。カウンナイ川のこの2度 めの遡行の記録は、大島の紀行文「石狩岳より石狩川に沿うて」のなかの「クァウンナ イ川を遡って」や「トムラウシ岳」の節におさめられている。登山口の天人峡温泉は、今 ではホテルが並んでいるが、当時は「松山温泉」と呼ばれ、その建物は「ただ板片を集 めて組み立てたような極めて粗造の小舎造りの浴舎の、古新聞紙を張りつめた板壁で 囲まれた部屋」のようであったという。松山温泉そのものが「貧しい美瑛忠別の開墾村」 などを抜けて「遠く長かった道程」の果てにやっとたどりつける「人事の世界の最後の地 点」だった。

 天人峡あたりの情況はもちろん一変しただろう。けれども、カウンナイ川そのものは、 はたして、いまも往事のまま、原始の姿を見せてくれるだろうか。

 札幌を離れ、上京して4度めの夏を迎えた1983年8月、「いつか、きっと」と在札時代 から心に期していたカウンナイ川の遡行のチャンスに恵まれた。メンバーは東京から私 たち夫婦、札幌からズナガ君、麻耶さん(吾妻学農君の奥さん)、そして北海道に就職(当時)した 山野君の5人。息子の岳彦(11ヵ月)は、札幌の遥子の実家にあずけて、出かけること になった。

 幕営地でオショロコマを釣る

 8月2日、札幌を車で発ち、途中、旭川で昼食をとって、天人峡温泉手前の駐車場に着 く(12時10分)。カウンナイ川は、駐車場のすぐ近くに流れ出している。両岸を岩の斜面 にはさまれて、沢幅は7〜8メートル程度と思ったより狭い。でも、流れは深く、速そうだ。

 遥子は山菜採りのハイキングやツアー・スキーをしたことはあったけれど、テントをかつ いでの本格的な登山は初めて。もちろん、沢登りは初体験。この日は体調も良くなくて、 出発してから何度もくりかえされる沢の渡渉で、膝上まで水につかるのは、つらそうだっ た。

 初日は、6時間の行程で化雲の沢との出合い(二股)まで行く計画だった。しかし、出発 が昼すぎになったので、二股まではとても行き着けない。長い河原歩きを途中で打ち切っ て、標高850メートルの左岸の平坦地で幕営した(15時50分)。

 このテント場には、札幌山岳会の3人の女性(40代の初心者風の人たち)が先着でテン トを張っていた。ガイド役で案内してきた青年は、山野君の知り合いだった。



オショロコマ

 山野君は、テントを張り終えないうちに、フライ竿を振り始める。最初のポイントですぐ食 ってきたのは、赤橙色の斑点が鮮やかなオショロコマ。その下のポイントでも、また1匹。 私もルアー竿で1匹、釣り上げた。3人の女性は「まぁ、岩魚がつれるの!」「どれ、見せ て!」と見物に集まってくる。山野君が「ぼくらは、しょっちゅう食べてるから」と魚を差し出 す。この魚たちは、この夜、アルコールに化けて(女性パーティーからイワナのお礼にと進 呈)、焚き火を囲む全員の気分を盛り上げた。天気はくもり。夜空には星がなかった。

 化雲の沢出合いを越え、滝の瀬十三丁へ

 3日朝は、未明に起きて、出発(5時45分)。沢は傾斜を増し、大きな石を積み上げた ような沢の中を、石づたいに登り上がる場所も出てくる。腰までつかった渡渉では、早朝 の水の冷たさに声を上げてしまう。でも、遥子の体調がもち直してきたので、少し安心。 沢歩きが2日めなので、足の運びも、濡れた岩をやりすごすのも、不安でなくなった。

 左手から岩と岩の間を流れ出てくる支流と合したところが、化雲の沢出合いの二股(9 時30分)。テント場がいくつかあり、いい泊まり場である。何よりもオショロコマの魚影が ものすごく濃いのがいい。ジャブジャブと沢を歩くと幾匹もがあっちへ、こっちへと逃げま どう。夕べのうちに、ここまで登っていたら、夕食はもっと豪華になったな、と思う。30分 ほど先で、魚止めの滝が行く手をさえぎるところまできたら、もう周囲はオショロコマだら けという感じで、足にも何匹もぶつかってきた。

 次々に現れる滝。間をつなぐ美しいナメ

 魚止めの滝から、心まちにしてきた「滝の瀬十三丁」が始まる。F1(5メートル)となるこの滝 を乗り越して、5人は、上がった順番に「おおーっ」「わぁー」「ひぇーっ」と声を上げた。滝 を登りきったすぐ上には、これまた沢幅をいっぱいに横断するように、F2(12メートル)が立ち はだかっている。先行するズナガ君と山野君が、滝の水際をシャワー・クライムして上がり、 また上で「すげー」と声を上げている。追いついて見上げたF3(15メートル)も、沢いっぱいの スケールで流水と白い飛沫を踊らせる。足元を見れば、くるぶしまで達しないような浅い 水深で、水がなめらかに流れ下る美しいナメとなっており、次々と現れる滝と滝とは、こ のナメで互いにつながれている。





F4へ向かう

 幾つか滝を乗り越したところで、前方に滝が見えなくなり、一枚岩の長いナメがひろが った。見通すことのできるずっと先まで、視界が続くかなたまで、延々と平滑なナメが続 いている。沢幅は10メートルほど。水深は、あくまで、くるぶしまで。「ここだね、例の場所は」と 声をかけあって、5人で横一列に並んで、手をつないで登った。日本中で、こんな愉快な、 爽快きわまる沢登りができる場所が、他にあるだろうか………。



長く、かつ幅もたっぷりのナメ



ナメを越して、本流が屈曲すると、上部には長大な滑り台のような滑滝が待っていた

 大きな滑滝にもわらじのフリクションが良く効いて

 このナメの先で、沢が左に屈曲するところが、圧巻だった。上部は陰になっているが、視 界にとらえられる部分だけでも、高度差100メートルほどの滑滝がいっそう急な傾斜で流れ落ち てくる。右手からは支流が一本、ハングの滝となって水を落としている。こんな場所でも、登 高ルートはあくまでも本流の沢床を忠実にかけ上がるようにとるしかない。傾斜を増したそ の滑滝に取りつくと、わらじのフリクションが意外によくきいた。さっきまでのナメ歩きとは、 流速がくらべものにならない。わらじが岩にはりつく、その足元から行く手を阻まれた流水が、 ビューッという勢いで空間に吹き上げられ、放物線を描いて10メートルも先に着水する。それでも、 水深は、あくまで、くるぶし以下なので、流水に足を取られる心配はない。滑滝の傾斜が弱ま ったところで、もう一度、カメラを出す余裕ができた。沢の脇の斜面のエゾキンバイを前景に、 ナメを上がる4人を写す。

 ここでは、何もかもが、大正期の大島亮吉の紀行文のままだった。大島は書いている。「安 山岩の少しも大きい凹凸のない川床を一杯に清冽な水は無数の白泡を浮かべ飛沫を跳ね 飛ばして淙々とした音をたてて流れていく。その河床は数町にて終わらず、屈曲して河身の 見えないところまで続いている。我々は………一種の幽趣を帯びた、まるで南宗画にあるよ うなこの景図のうちを歓声を挙げつつ進んだ」「河床は少しも滑らずしっかりした歩調で歩く足 先に水は激してそのくだける飛沫は細い霧となって冷たく顔へかかる。屈曲する河の行く手に また同じような光景の顕われるたびに双手を挙げて不用意な歓声が洩れる」

 花の源頭からナキウサギが鳴く稜線へ

 沢はぐんと傾斜を増して源頭部が近づいてきたようだ。上部の二股でハングの滝に行く手を さえぎられたところが、「滝の瀬十三丁」の終着点だった。滝を右岸から巻いて、灌木にぶら下 がるようにしてはい上がったところには、テントを一つ張れる場所があった。





 残雪が現れ、きつい傾斜を登るにつれて、花の数が増えてきた。そして、いつのまにか、一帯 は、幾つもの花の群落につつまれてくる。沢の源頭は、稜線の下の、雪田と火山礫に囲まれた 小さな沼に達していた。

 この沼を左手に見ながら、火山岩が累々と積み重なる、急なガレの登りにかかる。と、ガスが 舞う斜面から、「チチーッ」と鋭く、細い鳴き声が聞こえてきた。ナキウサギだ。声があちこちから 聞こえてくるのに、姿はちっとも見えない。ようやく、縦走路の真下の場所で、20メートルほど離れた 岩の上に1ぴきの姿を見つけた。予想していたより大きな体で、ネズミの2倍はありそう。丸い 耳が可愛らしかった。

 縦走路に出た(14時ちょうど)。プリンス・メロンをみんなで分けて食べたあと、トムラウシの山 頂往復はやめにしてヒサゴ沼の小屋をめざす。これには事情があって、みんなおなかがすいて いたため。食糧計画が、あまりにもつつましくて、さっきカウンナイ川の源頭で食べた昼食も、そ うめんだけだった。そのそうめんも、くもり空の下、濡れた体で、生煮え(秋川の責任)のを食べた ので、山野君らからはきびしい叱責の声があびせられたばかりだった。

 ヒサゴ沼のテント場は人で一杯。なぜ?

 雪渓の斜面をトラバースしたりして、ヒサゴ沼へたどりつく。小屋(定員30人弱の避難小屋)は やはり満杯。なんと、テント場(30張り程度)もいっぱい。沼のテント場までやってきたのに、張る ところがない。自分たちだけで、長大なナメも広々とした源頭のお花畑も堪能してきたカウンナイ 川の静けさを、あらためて思った。それにしても、いったいどうして、こんなに登山者が増えたん だろう。数年前の大雪とはちがって、夏の盛りに本州の登山者が大勢訪れるようになったことも 影響しているらしい。(下山してしばらくして、以前にない混雑は百名山ブームのためであることを 知った。)

 しかたなく、テント場になりそうなところをさがしながら、化雲岳へハイマツと草原のなかを登る。 登山道からややはずれた化雲岳の中腹に、ハイマツに囲まれた小さな裸地を見つけ、水もない この場所に幕営した(17時05分)。この夜は、テントがけっこう風にあおられた。疲れたのでぐっ すり眠った、のは私だけだと、朝になって教えられた。みんなは、テントと外のハイ松が風であおら れる音に、ヒグマの出没を思って怖くてなかなか眠られなかったとか。

 十勝連峰、旭岳の展望を楽しみつつ、天人峡の湯へ


小化雲岳からトムラウシ、十勝連峰

 4日は6時に泊まり場を出発し、化雲岳の山頂で7時まで遊んだあと、天人峡への道をとった。 この道は、75年の秋に、単独行で、新雪に追われるようにして下ったことがある。忠別の小屋でも、 たった1人だった。あのときは、白雲岳を出て、翌日、天人峡に下りるまで、誰にも会うことのない 山行だった。今回はにぎやかな5人パーティーで、ヒグマを気にすることもない。天気もようやく回 復し、忠別川の源頭をはさんで、旭岳、熊野岳、白雲岳が大きな山容で並んでいる。小化雲岳で は、十勝岳、富良野岳も美しく眺められた。とくに、緑の山肌に残雪が白く輝く富良野岳に心をひ かれた。キタキツネも現れて食べ物をせがむ。

 みんな思い思いにゆっくり歩いて、天人峡には昼すぎ(12時10分)着。温泉の大きな風呂に入っ て汗を流した。札幌に帰って、「留守番」の岳彦に再会したのは夜の7時すぎだった。

 帰京して、アルバムの写真を貼って、遥子はこんな言葉をそこに書き込んだ。

 「初めての山は、下るのが惜しくなるほど、すてきなところでした。お花畑というけれど、とても言 葉にして『きれい』の一言でいい表せないのです。
 自然のなかのリス達、ナキウサギ、キタキツネ。みんな"生きている""山でくらしている"という、た くましい顔をしていました。
 今度は、岳彦君、きみと一緒に行きましょう。どんなふうに見えるのかなぁ、何を感じるかなぁ。」



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野原 森夫